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2016年5月26日 木曜日

5月26日:唯我独断的読書評『グリーン家殺人事件』

5月26日(木):唯我独断的独読書評~『グリーン家殺人事件』(ヴァン・ダイン著)

 中学生の時に一度読んだきりの本書だが、20年後に読み返してみて、やはり面白いと思った(当時ほどの感銘は受けなかったけど)、新たに思うことや気づいたこともあった。
 ヴァン・ダインという人は、けっこう強迫的で几帳面な人だったんじゃないかと思う。そう言えば、彼は数にこだわっていたように思う。最初、彼は推理小説を3冊だけ書くと宣言した。しかし、この3冊が好評だったので、その倍の6冊で推理小説を終えると決める。半ダースというのは切りのいい数字だと本人も言っている。ところが、結局はその倍である12冊の推理小説を書くことになったのだ。
 本書でも、僕の勘繰り過ぎかもしれないけど、構成がひどく数学的である。本書では4つの事件が起きるのだけど、最初の事件に7章割き(1~7)、第2の事件では5章(8~11)、第3の事件で再び7章(12~19)、最後の事件でやはり7章(20~26)という具合に、限りなく均等に配分されている。とても几帳面な人が書いた本であるという印象を受ける。
 さらに各々の事件は同じような構成で描写される。事件が起きる、警察の捜査が記述される、関係者の尋問が行われる、事件について論じられる。この流れが4回繰り返され、それ以外のパターンはあまり見られない。
 また、描写は細かく、正確さを極め、見取り図や間取り図が挿入され、あくまでもフェアプレーに徹している感じが伝わってくる。
 以前読んだ時は、推理小説なので几帳面に書かれているのだろうなどと思ったけど、どうやら著者の性格であるようだ。

 さて、14歳の時に一読して、僕は本作にノックアウトされてしまった。なんて凄い推理小説なんだと感嘆したものだ。30年を経ても、犯人が誰であるかを覚えている。その上で読み直してみると、犯人がここでこう動くのかと、何かと感動(別の感動だけど)することも多かった。
 何しろ、この犯人には鉄壁のアリバイがあるのだ。そのために捜査は難航し、第2、第3の惨劇を許してしまうことになる。また、その都度、同じような描写が繰り返されるので、難点を言うと、中盤がちょっとダレるというか、マンネリ感を覚える。探偵のファイロ・ヴァンスの推理や言動も、どこかキレがないという感じがしてしまう。それだけ難しい事件であるということなのだ。

 いずれにしても、この作品は僕の推理小説人生を変えた一作である。「家族間で起こる殺人事件」というジャンル(僕が勝手に作ったジャンルだけど)にのめり込むきっかけになった作品である。
 家族間で起こる殺人事件というのは、容疑者の数が限られている上に、一人殺されるごとに容疑者が減っていくわけだ。『そして誰もいなくなった』形式は、これの変奏のようなものだと僕は位置づけている。容疑者が減るほど、読者には犯人の目星がつきやすくなるわけだから、その裏をかくためにさらに優れたトリックが用意されていないといけない。おそらく、書く方にとっても難しいシチュエーションなんじゃないかと思う。

 今回、オッと思ったのは、ヴァンスの次のセリフである。
「そこを僕は見落としていた。活力だ。この犯罪の底にあるものは、それだ。(中略)これは老人の持っているものではない。この事件にはすみずみまで若さがある」(第22章p364)
 探偵は、この事件の物的証拠ではなく、事件の性質というか性格、その心理学的な特性を指摘しているのだ。これは現在で言うプロファイルではないだろうか。1928年の作品なのに、ここだけは妙に現代っぽくて、素晴らしい。

 推理小説の暗黙のルールで、あまり内容に触れてはいけないというのがあって(僕が勝手にそう信じている)、そのために詳細にストーリーを書くわけにはいかない。
 グリーン家はニューヨークに居を構える富豪であり、故トバイアス・グリーンの遺言で、遺産相続のためには25年間この家に住まなければならないことになっている。母親と5人の子供たちは、いがみ合いながら、一つ屋根の下に暮らすことになるのだ。
 6人の一族と4人の使用人(医者を含めると5人)の各々の対人感情(誰が誰を嫌悪しているとか、誰が誰に好意的であるとか)が錯綜し、グリーン家全体に、ひいては作品全体に緊張感を漲らせる。まず、この雰囲気に僕は引き込まれる。
 そして、家族が一人、また一人と命を失っていく。家族メンバーが少なくなっていくさまは、あたかも一族の没落を見るような、何とも言えない無常感がある。この作品は、かつての名門グリーン家で起こる連続殺人事件ではなく、栄えあるグリーン家の衰退の物語でもある。僕にはそんなふうにも読める。

 では、最後に、僕の独断的評価だけど、中盤のダレる部分が欠点ではあるが、それでも5つ星を進呈しよう。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2016年5月19日 木曜日

5月19日:趣味にハマっていないのは誰だ

5月19日(木):趣味にハマっていないのは誰だ

 これは本当は昨日書くつもりでいたことだ。すべて昨日のことである。
 昨日は、朝8時には職場に出て、夜の8時まで、けっこうフルで仕事をする。面接をこなし、サイトを更新し、少しでも空いた時間には原稿を書いて、それだけで終わる一日だった。
 帰宅時、リハビリを兼ねて歩く。高槻から水無瀬まで歩く。平地は大丈夫だけど、スロープや段差で若干膝に痛みが走る。今の僕にはちょっと距離が長かったか、今朝は少しだけ足に疲労感が残り、膝の具合がよくなかった。まあ、じきに治まったけど。
 帰宅したのはけっこうな時間だった。夕食をとり、自室で寝転がる。何気なくテレビをつけてみた。

 なんという番組だったか、スマップの中居さんとバカリズムさんが司会の番組だ。中居さんが無趣味なので、さまざまな趣味にハマっているゲストが趣味の面白さを伝えるという趣旨のものだった。
 なかなか楽しく拝見した。趣味に一生懸命になっている人の姿が僕は好きだ。仕事のことや日常から離れて、一心に打ち込んでいる姿を見ると、いいなあと思ってしまう。
 サイゲン大介さんは、神の舌を持つそうだ。一度食べた料理を再現できるそうだ。彼は、料理屋でのバイト時代の修行の話をする。僕はひどく納得した。実はカウンセリングの勉強でもそれと同じことをするのだ。それを経験したカウンセラーと未経験のカウンセラーとでは雲泥の差が出るくらいのものである。
 さて、番組の最後に、なぜか心理分析のコーナーがあった。こんなコーナー、必要なのかねと言いたくなる。
 4人の心理学者やカウンセラーがいて、実は今日の放送の中で本当は趣味にハマっていない人が一人いるという、それが誰かを指摘する。
 その一人とはつるのさんだと言う。女性カウンセラーがその裏付けを説明するのだけど、正直言って、僕にはさっぱり訳が分からんかったね。女性カウンセラーはつるのさんが頻繁に見せていたしぐさに注目したのだけど、それがどうして趣味にハマっていないことになるのか、その関連性がまったく伝わってこなかった。
 もし、ゲストの中に一人だけ趣味にハマっていない人がいるとすれば、僕はあのアイドルの女の子(名前を失念してしまった)だと思った。そのアイドルの女の子の趣味がアイドルだったのだけど、それは自己の延長のようなものだと思った。アイドルがアイドルにハマるというのは、自分にハマるということに等しいだろうから、それは趣味とはちょっと違う活動であるように思うわけだ。元プロ野球選手がラジコンにハマるというのとはちょっと違うわけである。

 さて、今日は昨日ほどには予定が詰まっていない。今夜こそ呑みに行くぞと思っている。一週間ほどお酒を飲むヒマもなかった。今日こそはアルコールを入れないと人間が変わってしまいそうだ。そして、明日にはまた後悔するのだろうな。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2016年5月18日 水曜日

5月18日:カウンセラー派遣ニュースに思う

5月18日(水):カウンセラー派遣ニュースに思う

 熊本県の地震で被災児童のためにスクールカウンセラーが40人ほど派遣されたと、今朝のニュースで聞いた。
 40人とはね。一人当たり日当5万円だと見積もると、一日200万円の支出ということか。十日で2000万円、一か月だと6000万円くらいになるか。そんな金があるんだったら一刻も早く街を復旧すべきだと僕は思う。いつまでも地震の傷跡が生々しく残っていることの方が子供を脅かすだろうと思うのだが。
 まあ、それはいいとして、スクールカウンセラーが現地に行って何をするつもりだ。子供たちをどうしようっていうんだ。
 子供たちが不安になっているのはわかる。どうにかしてあげたいという気持ちもわかる。僕個人の意見では、各町内や各学区に拠点を設けて、そこに職員や地域の人を常駐させて、不安に襲われた子供がいつでもそこに駆け込めるというようにするといいと思う。
 子供に関わるのは、あくまでもその地域の大人たちである。今後ともそこで生活する大人たちである。協力してくれそうな大人を応募して、志願してきた人たちにカウンセラーが指導なり教育なりをするというのなら僕も許せる。

 実は、阪神大震災の時、現地でカウンセリングを実施するカウンセラーの募集があった。僕のところにもお声がかかった。当時、一緒に勉強していた友人はそれに参加したようだったが、僕は辞退した。一週間かそこら現地に行って、何ができるというのだ、そんな思いから辞退したのだ。
 もちろん、そういう活動をしてもいい。しかし、短期間でそのカウンセラーはいなくなるわけだ。永続的というか、長期的に関わることがないわけだ。大人ならいざ知らず、相手が子供である場合、これがどれだけ子供を苦しめることになるだろう。

 被災児童は、目の前でさまざまなものが失われるという光景を見てしまったのだ。家も生活も、これまでの日常も、そういうものが失われてしまったという経験をしてしまったのだ。場合によっては、身近な人が死ぬのを目の当たりにしてしまったという子供もいるかもしれない。
 僕が思うに、自分に関わってくれた人が、速やかに自分の目の前からいなくなってしまうということ、これがこの子たちの一番恐れていることではないだろうか。親切なカウンセラーさんと知り合う。このカウンセラーさんがいると安心する。でも派遣期間が来たのでカウンセラーは去って行く。その時、子供がどんな思いをするだろうか。
 だから、その子たちに関わるのは、今後ともその町に暮らすであろう人たちがいいと思うのだ。復興後も、子供の前から姿を消すことのない人たちが関わるというのが大事なのではないかと思う。
 被災地にスクールカウンセラーを派遣するのならそうしてもいいが、僕にはこういう活動が意外と子供の目線を無視してなされているように思うことがある。不安に怯える子供を一人にしない。僕もそれには賛成だ。そこで援助者が方々からワンサカ駆けつける。期日が来ると、今度はその人たちが一斉に引き上げる。僕の認知の歪みなのか、心的投影物を見てしまっているのか、どうも、そこで子供が置き去りにされてしまうように僕には見えてしまうのだ。
 まあ、僕個人があれやこれや言っても、どうしようもないのだけどね。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2016年5月17日 火曜日

5月17日:作家さんのような一日

5月17日(火):作家さんのような一日

 昨夜はクタクタで、早い時間にいつの間にか寝ていた。今朝、4時頃に起きた。起きて、そのままサイトの原稿を書いて過ごす。昨夜、やろうと思っていながら、寝てしまったから、何も手つかずの状態だった。そこで2節ほど仕上げる。

 8時ごろ、高槻に着いた。そのまま、原稿の続きを書く。今日は定休日なのだけど、サイトのことで業者に訊くことがあった。どうも、サイトの更新に不具合がある。システム上の原因か、僕のパソコンの原因か、はっきりさせたいと思った。そして、今日中に処理できることならしてしまおうと思った。そのため、早めに業者に連絡しようと考えていた。
 担当の業者さんに連絡がつく。彼でもよくわからないと言う。僕の案件は技術部門に回すということで、返事に数日かかるということだった。
 できることなら今日中に処理しようと思って、その時間を見繕って早めに出てきたのだけど、どうやらその甲斐はなくなったようだ。

 そのまま原稿を書き続ける。
 先日、日曜日に散歩したのを契機に、足のリハビリも兼ねて、毎日、短時間でも歩こうと決めた。あいにく、昨日は雨だったので中止したのだが、今日は必ず歩こうと決めていた。
 午後から、歩きに出る。どこに行こうかで迷うが、結局、城跡公園をぐるぐる回ることにした。
 平地はかなり普通に歩けるようになった。膝も曲げられるようになったけど、力が入る場面では痛みが感じられる。階段はやっぱり無理だと思った。しばらくは平地で普通に歩くということを続けよう。できれば、適度な勾配があるといいのだが、いいコースが今のところ思い描けない。

 職場に戻る。今日の分を公開しておく。第1章第3節をアップする。更新時に、多少のトラブルは発生したけど、どうにか公開できた。
 その後、休憩しながら、再度、原稿書きに精を出す。今日だけで7節分仕上げた。A4用紙に換算して25枚程度の分量を書き上げた。これを公開までに校正し、手直しをする。まるで作家さんのような一日だ。そんな気分になると、ふと思い出したことがあった。

 こうして書いている時とか、何気なく、ふと思い出すことがある。「そう言えば、どこかでこういうのを読んだことがあるぞ」と思い出すのだ。思い出すけど、それが何で、どこで読んだのかがはっきりしないと、モヤモヤが生まれる。実は、ここ数日、この種のモヤモヤを抱えていたけど、今日、それが判明した。それは私小説作家の上林暁の私小説観だった。
 私小説というのは、作家の個人的体験を綴るといった文学形式であり、昭和の戦前戦後の頃にはよく書かれていたものである。
 上林暁の私小説観を少し引用してみよう。
「私小説作家の多くは、自分を魅力的であると考えるどころか、むしろ逆に、自分を愚かな人間とするところから、その文学を出発させている。そこから自己嘲笑、自己蔑視、自己虐待、自己否定の文学を生み、果ては太宰治のように走る作家さえ出たのである」
「(略)私小説の起こりは遺書を書くのと同じ気持ちから書き始めたものだった。(略)生活的にも肉体的にも行き詰まり、自分はもはや長く生きながらえることが出来ないのではないかと思うような状態に立ち至った際、自分の生活を書き残しておこうと発心したのが、その書き始めであった。だから、自然発生的だった。(略)ただもう、自己をぶちまけたいという、止むに止まれぬ心奧からの要求だけが、真の小説を書かせるのである。私小説の書き方に秘密があるとするなら、この、自分のことを書かざるを得ない気持ち、この気持ちだけである。(略)私小説家にしてみれば、自分が身辺日常生活で掴んだものが何物にも代え難く美しく真実に見えればこそ、飽くことを知らず、日常生活に即して書くのである。その意味では、私小説家は他人の思惑のために書くのではなく、自分のために書くのだと言えよう」
 いい文章だなあ。上林氏はそれを小説にまで昇華したけれど、僕はせいぜいこのブログ程度だ。でも、その気持ちは僕にもわかるような気がする。氏と同じではなくても、似たような気持に襲われることが僕にもある。
 僕にも自分のことを書いて残したいという気持ちに襲われることがある。他の人にとっては、このブログや僕のサイトは何の価値もないだろうけど、僕にはとても意味のある活動なのだ。

 モヤモヤの一つが解消した。夜は本を読んで過ごす。アダム・シャフというポーランドの哲学者の書いた『人間の哲学』を読む。この本は、それまで読まず嫌いだった。理由の一つは当時のポーランドの状況に僕が不案内だったからだ。でも、その部分をそのままにして読み進めていくと、けっこうスラスラと読める。第1部は一気に読み通した。案外、いい本なのかもしれないと思い始めている。

 こうして今日も一日を無事に終われそうだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2016年5月15日 日曜日

5月15日:やっちまった!

5月15日(日):やっちまった!

 昨日の朝、膝の具合はまだ良くないけれど、平地なら普通に歩けるくらい回復していた。普通に歩いていたので、ウッカリしていたんだ。普通に階段を上がろうとしてしまったのだ。その瞬間、ズキッと膝に激痛が走った。ああ、やっちまった!
 水曜日の晩に転倒して、今回、またドジってしまった。しかも、忙しい日に限ってそんな災難を招いてしまう。自分をもっと意識化していないといけないなと思う。

 昨日の土曜日は、そういうわけで痛みを抱えながら仕事をした。
 今日は、また順調に回復している。もう無理はしないし、痛みが感じられなくても、痛みを忘れないようにしている。
 昨日とは打って変わって、今日は午後から空き時間がある。サイトの改定作業をついに着手する。100節は揃わないと安心できないのだけど、長引かせるのも良くないと思い、現在60節くらいしか用意できていないにも関わらず、着手した。今日は第1章の2節を公開した。

 夕方、リハビリを兼ねて、歩きに出る。久しぶりに城跡公園に足を踏み入れる。
 日曜日の夕方っていうのは、なんだかいいなあと思った。親子や家族連れの人たちを何人も見た。
 城跡公園の池に水鳥がいなかった。親が子供に残念だねということを言っていたけど、その小さな子供は「きっとあの草の裏にいるわ」と言った。僕はたまたま裏手に回ったのだけれど、本当だ、水鳥はそこにいた。大人が思っている以上に子供は物事がよく見えているのかもしれない。
 城跡公園を出て、その周辺の住宅街を歩く。この辺り、僕は不案内だ。道が狭い上に、斜めに入っている道路のせいか、いろいろ入り組んでいて、よく分からない。もう少し地元のことを知ってもいいかもしれない。

 1時間ほど歩いて、職場に戻り、ブログを書いておこうと思い立ち、こうして書いている。
 自分の足で立ち、自分の足で歩く、これがいいことだと体験されなければいけないと、そんなふうに思う。大げさに聞こえるかもしれないけど、久しぶりに歩くと、歩けることが素晴らしいと思える。そんな感慨に耽りながらこれを書いている。
 歩行に限らず、どんなことでも自分の足で立ち、自分の足で歩くということが大切なのだと、今はそう思う。そしてそれがいい体験として体験されることが本当に大事なのだと思う。

 そうそう、ふと、思い出した。
 昨夜、帰宅すると、母がテレビを見ていた。熊本地震の特番だった。僕は夕食をとりながら、何気なく見ていた。地震が発生して、怪我人が出る。病院で収容するけれど、病院が満床状態で、新たな患者を受け入れることが難しくなっているそうだ。
 僕はある人を思い出した。その人は阪神大震災を経験したのだ。避難所生活を送って、どうにか日常を取り戻すことができたのだけれど、自分は何も人助けをしなかったと言って自分を責め続けた人だった。
 昨日のテレビを見て思ったのは、人助けのために無理なことをして怪我でもしたら、それはそれで迷惑なことだということだ。避難所でおとなしくしていても、怪我をして新たな病人にならないということが、それだけで多くの人が助かるということだ。
 一人が病人になる。その一人のために割かれる人手は相当なものである。医師やスタッフなどは、震災状況では、ただでさえ手一杯になるのだから、新たな病人にならないということが、医療の場ではどれほどの助けとなることか。そして、本当に治療の必要な人たちのために十分なケアが施されるということが本当に大事なことである。
 何もしないことでも、実は人助けになっていることがたくさんあると思う。阪神大震災を経験したその人は、何かをして二次災害を招くよりも、何もしないことでそれを招かない方がどれだけ人を助けたことになったのか、その辺りのことをよく考えてみればよかったのにと思う。

 まあ、その点は僕も同じだ。ドジなことをして、足を痛めると、クライアントさんが余計に心配してしまう。だからドジな怪我なんかしないということだけで、クライアントが安心するものだ。大丈夫、今日の感じからすると、この膝ももうじき回復しそうだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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