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2015年10月20日 火曜日

10月20日:安い買い物

10月20日(火):安い買い物

 先日、日曜日に外出先で足をひねってしまし、昨日はいささかびっこを引いて歩かなければならなかった。今日、火曜日は、日頃の運動不足解消のため、できるだけ歩こうと計画していたけれど、足がそんな状態なので、予定を変更して家にいることにした。
 夕方頃、大分痛みがなくなってきたので、軽く歩こうと思い立ち、外出する。
 電車に乗る。とある駅で降りる。駅前に古書店がある。そこを覗いてから、その辺りを散策しようかと考えていた。ところがである。古書店に入ったのが運の尽き、木々高太郎の『人生の阿呆』が店頭で叩き売りされているではないか。即買いしてしまう。
 この作品、かつて創元推理文庫から出されていて、普通に本屋さんに並んでいたのであるが、当時は日本の推理小説にあまり興味を持っていなかったのだ。それで特に購買欲を駆り立てられることもなく、そのままになっていた。後年、日本の推理小説、それも戦前の推理小説にのめり込むようになった頃には、絶版になっていた。僕の中でいつか読みたい作品の一つとして心を占めていた。
 その作品とこんなところで巡り合うなんて。古書店に並んでいたのは、先述の文庫本ではなくて、推理小説体系の一冊で、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』と久生十蘭の作品とが併録されている。これらは読んだことがあり、重複するのだけど、まあ、100円で買えるのだから、よしとしよう。
 こうして僕は前々から読みたいと思っていた『人生の阿呆』を入手したわけであるが、こうなると早く読みたいという気持ちに襲われて、とてもウォーキングどころではなくなってきた。近所の喫茶店に入って、早速読み始める。
 面白い、実にいい。これは後日改めて評しよう。喫茶店で半分ほど読み、帰りの電車の中で読み、帰宅後に残りを読んで、その日のうちに読み切ってしまった。その後でこれを書いているけれど、まだ作品の雰囲気に包まれているよう。コーフンと感動が鎮まらない。すごく良かった。
 この長編小説は、推理小説なのに直木賞を受賞しているのだ。確かに素晴らしい。犯人当ての推理小説で、読者への挑戦までついているくらいであるが、それだけで終わらない内容の濃さがある。
 優れた文学作品を読んだ後のあの充実感がある。同時に、優れた推理小説を読んだ後のあの爽快感もある。一作で両方が楽しめる、なんとも得した気分だ。いや、実際、安い買い物をしたと思う。

 実は、昨夜はほとんど寝ていない。今日、歩きに出るのを断念していたから、昨夜は遅くまで書き物をして過ごして、いつしか朝を迎えていたのだ。今、本当はすごく眠たい。それでも読み切ったのは、その作品の魅力によるものだ。それくらい惹きつけられて、夢中で読んでしまった。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2015年10月16日 金曜日

10月16日:映画を観る~『96時間リヴェンジ』

10月16日(金):映画を観る~『96時間 リヴェンジ』

 昨夜に引き続き、今日もテレビで放映される映画を見る。
 今日の映画が『96時間 リヴェンジ』というもので、これは一作目があり、その続編という体裁である。
 一作目を僕は見ていないけれど、そこで主人公が恨みを買ってしまい、今回の事件につながっているそうだ。敵は復讐のために、主人公の家族全員を捉えようとするが、娘だけ助かる。娘は救出に向かう。そこで父親である主人公だけが助かり、母親は連れて行かれる。主人公は超人的な推理でもって敵のアジトを発見し、敵を倒して妻を救出するという展開だ。
 こういう映画は基本的に西部劇である。ただ設定が現代になっているだけのことだ。
 中盤からラストまで、アクションシーンはふんだんにある。しかし、これが曲者だ。ごく短いカットが連なるので見にくいのだ。それによってスピード感は出るかもしれないけれど、何が何だか分からないまま過ぎていく。わずかな時間のアクションシーンでも、画面がころころ切り替わり、じっくり見る間もなく次のカットに移って行くので、見ていて疲れるというのが正直な感想だ。
 さて、この主人公たち、街中で手榴弾は爆発させるわ、銃撃戦はやるわ、車(タクシー)を盗んでカーチェイスはするわ、挙句の果てにアメリカ大使館に警備を突き破って突入するわ(舞台はイスタンブールである)で、本当にやりたい放題という感じがしないでもない。

 前作では娘が誘拐されたという話だったようだ。この娘にはその時の後遺症とかがまるでない。一応、そういうものがあるという設定のようであるが、とても健やかに成長している。車の運転免許も無事に取得するし、ボーイフレンドを父親に紹介するしで、この娘の成長や変容ということも物語の軸になっているようには感じる。
 タイトルの『96時間』は、前作においては意味のあるタイトルだったのだけれど、その続編である本作にはその時間に意味があるわけではない。ただ、タイトルがそうだったのでこうなっただけといったところだ。
 しかし、時間ということが重要な働きをしていることには注目しておこう。時間はもう一人の主要登場人物だ。随所に時間が前面に出てくる。(中絶)

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(追記)
 どうも途中までしか書いていない原稿のようだった。どうして中断したのかまるで覚えていない。中断しているということさえ気づかなかった。
(平成29年7月)

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2015年10月15日 木曜日

10月15日:映画を観る~『アナコンダ4』

10月15日(木):映画を観る~『アナコンダ4』

 アナコンダ、追いつかないよう、追いかける。
 意味のない一句だけど、本当にそうだ。
 深夜の映画で放送されていたのをたまたま見た。この映画、第1作目は見たことがあるけれど、これだけ続編が作られているとは知らなかった。

 細胞を増強、再生させるエキスを作る研究者がヘビを実験台に用い、恐ろしい巨大人食いヘビを生んでしまう。調査に来たアマンダたち一行、発掘隊、そしてエキス研究のスポンサーに雇われた殺し屋の一団が森に入る。そこで巨大ヘビに襲われるというお決まりのパターンである。
 このヘビが速いのである。自動車で逃げてもそれに匹敵するスピードで追いかけてくる。そのくせ、走って逃げている人間に追いつかないのである。そこで冒頭の一句が生まれたわけである。
 そして人間が襲われる時には、必ず人間の動きが止まっているのである。逃げている最中に襲われるのではなく、立ち止まったところで襲われたりするのである。CGで合成する関係上、そうなるのだろう。その辺り、チープさが隠せないように思った。
 あれはどうなのだろう、すべてCGで作成されているように思うのだけど、多少、模型や着ぐるみを使った東宝特撮映画的な撮り方をしたりしているのだろうか。

 一か所、時間の順序がおかしいと感じたところがあったけれど、気のせいだろうか。蘭の栽培小屋でアマンダが気を失ってから回復するまでの時間が何だか割に合わない感じがする。その間に調査団たちのエピソードが挿入されているのだけれど、一体、アマンダはどのくらいの時間、気を失っていたのだろう。そこで夜を明かしたのだろうか。でも、その間にヘビが生き返っているはずなので、すぐ近くに倒れているアマンダをヘビは襲わずに森の中へ行ったということになる。なんだかおかしい。
 森の中の位置関係もはっきりしない。アメリカとか大陸で言う森は日本のものとはるかに違って、とにかく広大なのだ。それでも登場人物たちが森の中で遭遇する率の高いこと。広大な森の中の一地域だけで展開されている話のように思えてしまう。
 また、発掘隊の生き残りが一人登場するのだが、彼は腕を食いちぎられたという設定だ。あの巨大ヘビが人間の体のごく一部だけを食うなんて、ちょっと信じられない話である。ケーキを食べずに上に乗っているイチゴだけを食べるようなものだ。
 そして、このヘビは強い再生能力を持っている。でも、腹の中から爆発させれば死ぬだろうというのは、若干の無理がある。体を半分に切っても、再生するくらいのヘビだ。バラバラにしても一個の肉片からだって再生できるかもしれない。だから再生には限界があるということにしないと辻褄が合わなくなってくる。
 要するに、物語や設定がいささか荒いのである。気にせずに見れば楽しめるのだろうけれど、僕のような細かなことが気になるような強迫的な人間には無理だ。

 巨大モンスターものの映画で、チープなCG映像と大仰なセリフ回しなど、B級の匂いがプンプンする、なかなかステキな映画である。きっと、ツッコミを入れながら見るのが正しい見方だろう。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2015年10月13日 火曜日

10月13日:無駄にしたら勿体ない

10月13日(火):無駄にしたら勿体ない

 この三日間、土日月ですっかり疲れてしまった。月曜日はそれほどでもなかったけれど、土日がけっこうたいへんだったのだ。今日は定休日なので、ゆっくり休もうかと考えていた。
 午前中、ずっと原稿を書いて過ごす。事例を書いている。このサイトに掲載する予定のものだけれど、ボツにするかもしれない。でも書いておく。
 書いていて行き詰る。もう一回、全体の流れを再構成しようと思い、近所の喫茶店に入ってメモを取りなおす。一番神経を使うのは、個人が特定されないようにすることだ。クライアントが話された一つ一つのエピソードを検討していく。いささか特殊だったり特徴的なエピソードは、本当はそういうものの方が興味が持たれるのだけれど、他の人のエピソードと差し替えたりする。実際、面倒な作業ではある。
 2時間ほど喫茶店で頭を絞って、一応、形にはなった。それからどこか歩きに行こうと思い立ち、計画もなく歩く。
 歩いていると、トイレに行きたくなった。すぐ近くにホームセンターがあるので、そこまで行こうと決める。ホームセンターの中を見て回る。あれも買おうと思っていたのだとか、これを揃えとこうと考えていたのだとか、いろいろ思い出す。財布に毒だ。

 帰宅して、くつろぐ。テレビを観る。「オトナの社会科見学」というBSの番組だった。東京と大阪の商店街を紹介していた。大阪は天神橋筋商店街だ。しばらく行ってないなと思いながら見る。
 どこの商店街であれ、働いている人たちの顔がいいね。客商売で身に付いた部分もあるんだろうけれど、皆さんいい顔をされているなと、そう感じた。彼らの言葉の中にも光るものがたくさん感じられた。おそらく、その商売をずっと続けていなければ出てこないような言葉もあった、僕にはそう感じられた。見て良かった。
 実際、僕自身、商店街を歩くのが好きだった時期がある。本当は今でもそうだ。各駅前の商店街めぐりをしようと計画したこともあったな。派手な商店街より、地元の人が利用するローカルで、生活感あふれる商店街が好きだ。あの雰囲気がいい。
 しかしながら、テレビでは商店街のいろんな美味しいお店とかを紹介しているのに、CMは健康食品、ダイエットサプリばかりだった。何となく気分が萎える。

 CMも変わってきたな。以前はもっといろんなCMがあったのに、今では健康美容系か保険系か、あるいはゲーム系とか、限定されてきて、昔のようなバラエティに富んだ感じがなくなったな。映画のCMとかも少なくなっているし、オーディオ系のCMなんて皆無になったな。なんとなく単調な感じがしてしまう。

 自室に戻り、鞄を開ける。クレペリンの『強迫神経症』が出てきた。ああ、忘れていた。この本の後半には「精神病質性人格」の記述があって、それを読もうと思っていたのだ。昨日決めたことなのに忘れている。
ちなみにその記述は、精神病の範疇に入りきらない症状に関するものであり、現在の「人格障害」に該当する部分である。クレペリンがどういうふうにそれを記述しているかを再確認しようと思っていたのだ。僕は精神医学の原点はクレペリンにあると考えているので、現在の病理を理解する際にはその原点の臨床記述から始めるのがいいと思う。原点においてどのように記述され、どのように分類されているかを知っておくと、現在の記述や分類の理解が随分助かるものである。

 まあ、それはいいとして、今日もいろいろあった。その時々で、何かを体験している僕がある。僕の自我は絶えることなく体験に触れている。どんな小さな体験であれ、体験している自我があり、体験する僕という存在がある。無駄にしたら勿体ない。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2015年10月 9日 金曜日

10月9日:テレビを見て

10月9日(金):テレビを見て

 今日は一日中家にいて、原稿や記録を書いたり、家の作業をしたりして過ごす。職場をきれいにするのと同時進行で実家の自室を片付けている。
 夜、少し疲れたので休憩しようと思い、テレビをつける。ほとんどテレビを観なくなっているので、こういう機会に何か観てみようと思い立ち、何気なくチャンネルを替えていく。
 ちょうどダウンタウンさんの番組が始まったところだった。まあ、これにするかと思い、観つづける。ダウンタウンの二人と坂上忍さんの三人で「はしご酒」をするというもので、「はしご」するそれぞれのお店に誰かゲストが控えていて、そこで本音トークをぶっちゃけるという内容だ。いささかチープな企画という感じがしないでもない。
 場所は東京の下北沢だった。見ていると、なんだかいい所であるように思われてきて、いつか下北沢まで呑みに行こうかななどと思ってしまった。
 それはさておき、いろんなゲストが出てきて、あれやこれやとトークをするのだが、何が面白いのかさっぱり分からなかった。もう現代の感覚についていけなくなっている自分を発見してしまった。
 見ているといろいろと思うところもあるが、芸能人さんであれ、あまり個人に触れるようなことは書かないでおこう。その中で一つだけよく分かるという場面があったので、それだけ取り上げよう。
 最後のお店のゲストにウエンツさんが登場する。ウエンツさんはそこで彼が抱えている悩みを打ち明ける。坂上忍さんはそれに応じるのだけれど、険悪な雰囲気が両者の間に漂う。そして話は平行線を辿ったまま終わる。
 ウエンツさんは、いろいろな仕事をこなしているけれど、その中で核になるものが欲しいと訴えている。一方、坂上さんの方はいただいた仕事を一つ一つこなせばいいんだと返している。どちらの言い分も正しいというか、よく分かるように僕には思える。
 ただ、この両者の話がすれ違うのは、レベルに差異がるからだと思う。つまり、ウエンツさんの訴えは、いわば「人格障害」レベルのものであるのに対し、坂上さんは「神経症」レベルでそれを捉え、それに基づいて返しているように思われるのだ。
 ウエンツさんの言っていることは、「自我の拡散」ということになるかと思う。バラエティの困ったところであるが、もっとその人の話を聴きたいと思っても、他の出演者が横槍を入れてきたりするので、聴きたいと思うことが邪魔されてしまうのだ。だから本人の口から聞けないことは僕の方で想像力を働かせるしかないのである。
 自分の核になるものが欲しいというウエンツさんの訴えは、僕はこういうことだと理解している。歌手として歌を歌っている自分、俳優として演技している自分、バラエティでいじられている自分、クイズ番組で回答している自分と、それぞれの自分が個別に独立しており、それをもっと凝集させたいのだということなのだと思う。バラバラに経験されてしまっているのだと思う。それに統一感を持たせたいということであり、それは拡散する自我並びに自我体験をもっと集中させたい、凝集させたいということなのだと思う。
 坂上さんの方は、長く俳優さんとしてやってきて、その土台の上にバラエティやロケ番組やMCをされたりしているわけであり、各々の仕事に対して、さらにはそれらの仕事をこなす自分を凝集的に体験されているのだと思う。その目線でウエンツさんに応じてしまっているのだと思う。
 両者のやりとりは、このずれが解消されないまま、平行線を辿って続けられる。「うるせえ、坂上」というウエンツさんの一言は正しい反応であるようにも思われてくる。こうしたズレは、臨床の場面でもよく生じることであるが、特に立場的に低い者もしくはより自我水準の低い人にとっては、相手との間の越えがたい壁であるかのように体験されるようである。自分の言っていることが相手には何一つ伝わらず、相手がひどく分からず屋で頑固に思えたり、意地悪な人間に思えたりすることもある。相手側に悪意があるわけではないにしても、そんなふうに見えてしまうことがあるのだ。
 一方で、坂上さんの言葉も正しいとも僕は思う。しかし、その言葉は早すぎるわけである。「自我拡散」レベルの悩みが「神経症」レベルの悩みにまで発展(回復)してからなされるのが良いと僕は思う。逆に言えば、ウエンツさんがこの時の坂上さんの言葉を本当に理解できるようになったとすれば、それだけウエンツさんの中で「問題」が克服・快復していっていることになるわけである。
 そんなことを思いながら見ていた。それにしても、紹介される料理やお酒がどれも美味しそうで、アカン、飲みに行きたくなってきた。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

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