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2014年3月31日 月曜日

3月31日:月末にて

3月31日(月):月末にて

 今日は月末で、月末作業と月初め並びに来月の準備関係のことをしておかなくてはならない。それで、午前中はずっと外回りのことをやった。いくつか銀行に行き支払関係を終わらせ、郵便局で振り込みをし、来月必要になる諸々の消耗品を買っておいて、午後に職場に着き、これを書いている。
 明日からは消費税が上がるということで、どことも買い溜めを勧めている店ばかりだ。僕はまったくそういうことをしない。100円の商品が、現在105円のところが108円になるというだけのことだ。1万円の買い溜めをしてもその差額は300円にしかならないのだ。おまけに秋にはこれが10パーセントに上がるというのだから、その買い溜めに意味があるのかと思う。なによりも良くないことは、みんなが物価の話ばかりしているということだ。他のことが意識に上らなくなってるんじゃないかって、僕は心配になる。
 オイルショックの時、人々はこぞってトイレットペーパーなんかを買占めした。そういうものが手に入らなくなると当時の人たちが信じていたからだ。後から見ると、滑稽だなと感じる。もちろん、僕はその時代、まだ何も知らない幼児だったから、現実に見てきたわけではない。でも、人はそれと同じことを今も繰り返しているのだなと感じる。一体、日本人は進化しただろうか。

 モード・マノーニの『反―精神医学と精神分析』を読んでいる。折にふれて手にしたくなる本で、これまでに繰り返し読んでいる。その中で、「(精神)分析の研修は、分析家志願者が<患者>と同一視する方向よりも、<精神分析家になる>という幻想を目標にした研修の方向に向けられてしまった」(p241)という一文に、昔はひどく感激したものだ。今回、読み直しても、やはりそれを忘れてはいけないと自分を戒めたくなった。
 しかし、<患者>、クライアントに同一視する方向はやはり辛いものである。それは昔よりも今の方がよく理解できる。この前の、月曜日もそうだったけれど、土曜日もまた辛い一日だった。
 ここ数日のことを書こう。僕は毎日いろんな体験をする。それを意識するかしないかで人生の色彩も変わってくるものだと思う。
 土曜日に来られたクライアントたちからも僕は何がしらのものをいただいてしまった。気分が重く、独りでいることに耐えられないような思いがした。よろしくないことに、その夜はやはり酒を飲んでしまった。本当は、酒よりも、誰かと居たいのだ。
 よく行くバーに行く。顔見知りの女性と会う。一緒に飲みに行きましょうと、彼女は電話番号を教えてくれた。酒を控えようとしている時に限って、こういうお誘いが増えるのは皮肉なことだ。もう一人、そんなふうに誘ってくれている女性がいる。どちらも断ることができず、ズルズルと先延ばしにしている。
 隣で、カラオケで歌うグループがいた。改めて考えてみると、カラオケっていうのは自閉的というか自己中心的な遊びだなと気づいた。歌っている本人だけが気分良くて、こちらは大声張り上げて会話をしなければいけなくて、その女性との会話にも僕はヘトヘトになった。会話自体は楽しいのだけれど、声を張るのがしんどい。工事現場でお喋りするようなものだ。カラオケって、ああいう音を出す遊びだからこそ、気遣いとかマナーっていうものが一層大事になるんじゃないかと思う。カラオケを楽しむこと自体には反対ではないけど。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 この日のブログは長文なので、内容に応じて、3回に分けることにした。
 この時、消費税が引き上げられたのだったな。5%のうちに買い溜めしても、いずれは8%の値段で買うようになるのだから、あまり意味のない買い溜めだと思う。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2014年3月31日 月曜日

3月31日:「父と現場に向かう夢」

3月31日(月):「父と現場に向かう夢」

 そう言えば、夢も見たのだった。この夢は残しておきたいと思う夢だった。確か、土曜日に見たのじゃなかったかな。こんな夢だ。

「父と現場に向かう夢」
(夢)「僕は仕事仲間と一緒に待合所みたいな一室にいる。僕は数人の同僚と談笑している。何人かが先に現場に行くと言って出発した。僕たちは少し遅れて出発ということになった。途中まで友人の自動車で送ってもらう。前方に父がいるのが見えた。僕はそこで車を降りた。父のところへ行くと、ここから先は道が細くて車では行けない、だから自転車を用意したと父が言う。それなら僕が運転するから道順を教えてと父に言い、父を後ろに乗せて自転車をこぎ始める。最初はふらついたけれど、じきに安定して走れるようになった。後ろから、父が次は右とか、そのまま真っ直ぐとか指示を出している」

 いろいろ考えることのできる夢だけれど、詳述は控えよう。ただ、僕が感じるのは、父との関係のあり方の違いということだ。以前の夢には見られなかった関係性が見られる。もちろん、ここで言う父とは、現実の父だけでなく、夢に登場する父、僕の内面的な父親のことでもある。何かが以前とは違っているなという、嬉しい感覚を覚えてその日は始まった。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 夢の中にはさまざまな人物が現れる。夢見手とそれらの人々との関係に注目するようにしている。協調的か反抗的か、友好的か敵対的か、など、誰とどのような関係を築いているかを見ると、僕の中のどういうものが協働していて、どういうものが僕に抵抗しているかを推測することができる。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2014年3月31日 月曜日

3月31日:パチンコを打ってみる

3月31日(月):パチンコを打ってみる

 日曜日は、前日のしんどさをまだ少し引きずっていた。それでも予定はこなした。最低限のことだけしかしなかったが、どうにかこなした。
 夜、仕事が終わって、高槻周辺を歩いた。これは日課でもある。人の出歩き具合、景気の具合を見て回るのだ。ところが、歩いていて、お腹が痛くなった。トイレに駆け込む。
 こんな時、僕はパチンコ屋を探す。高槻の駅周辺に何軒かパチンコ屋があるのだけど、僕が毎回利用する店が一軒ある。今回もそこのトイレを拝借した。
 トイレに駆け込んで、助かったと安堵した時、ふと思い出したことがある。コンビニでバイトしていた頃、トイレだけ借りる人に随分腹を立てていたものだ。一回くらいなら許せるのだけれど、毎日のように利用して、それでいて何も買わないというような人にはうんざりしていたのを思い出した。僕もそれと同じことをしている。
このトイレもこれまでに何度も使用させていただいたけれど、しかも夏場なんかは休憩場所としても活用させてもらったこともあるけれど、一度もそのお店でお金を使ったことがない。僕も一回くらいパチンコを打ってみるかと、そう決めた。
 パチンコ台を見て回る。まったく分からない。0.5円パチンコか、これは安いと思い、適当な台に座る。左上のここにお札を入れるのだなと千円札を投入する。おいおい、玉が出てこないじゃないかと、思わず台を叩きそうになった。いろいろボタンを押してみて、ああ、ここを押すと玉が出るのかと、初めて知った。
 ジャラジャラと玉が出る。取り敢えず打ってみるかとハンドルを回す。中央のチューリップに玉がポトンと落ち、スロットが回転する。いきなり「リーチ」とか言いおる。一体、どこを見ればいいのか分からず、こんな忙しいことをみんなしているのかと、改めて感心する。
 やっていて、一つ重大なことに気づいた。そう、僕は実は左利きなのだ。書字だけは右だけれど、それ以外は基本的に何でも左手を使う。だから打ちにくいのだ。そこでハンドルを左手で操作する。そうすると、ハンドルを回すために体は45度右方向に、台を見るために首は45度左方向に向けなくてはならず、なんとも窮屈な格好で打たなければならなくなってしまった。
 ずっと、そんな変な姿勢で打っていたせいか、今日はあちこち体が痛い。でも、まあ、1000円で40分ほど遊べたし、それにここ2年くらいトイレや休憩所を利用させてもらっていることの借りも多少は返したことになるだろうと、そう自分を納得させている。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 ものすごく久しぶりにパチンコを打ってみた時のことだ。ちっともいいものとは思えんかった。じーっと座って、当たりが来るまで待つっていうのは、僕の性に合わないようだ。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2014年3月25日 火曜日

3月25日:堕ちよ!

3月25日(火):堕ちよ!

 昨夜は酒を飲んでしまった。別に飲んでも構わないのだけれど、健康のために控えようとは思うのだが、まあ、適度に飲むくらい罪にはならんだろう。
 昨日は仕事を終えると、何て言うのか、ズシーンと重たいものが気分にのしかかっていた。とても辛く、切なくなって、一杯引っかけてから帰ろうと決めたのだ。
「結婚はしないの」と言ってくれた女性が働いている店に行く。上手い具合に、その彼女の勤務日だった。彼女も僕のことをよく覚えていてくれた。
 差し出されたウイスキーを啜る。少しも美味しいとは感じない。その時、初めて気づいた。酒を飲みたいのではなくて、とにかく誰かと居たいという気持ちでいたのだと。あのズシーン感は見捨てられ、見放された人の体験する孤独感だったのだ。
 昨日は朝のうちは外回りをやったり、業者と連絡取り合ったりで、割と余裕があった。午後から、三人のクライアントと面接した。三人ともひどく重たいものを僕に残していってくれる人たちだ。本当かどうか僕は未だに半信半疑なのだけれど、クライアントからそういう感情を貰うくらいの方がいいとかつての師匠から学んだ。臨床家が分け持つ分だけクライアントはラクになるということらしい。
 誰かと居たいという気持ちは、そのまま彼らの抱えているものを表しているのだ。それが分かると、彼らのことがもう少し理解できた感じがする。

 今日は、昨日の外回りでやり残したことをこなして、昼からはゆっくり休もうと決めた。実際には帰宅したのは夕方頃になっていたけれど、買ってきたCDを聴きながら、ワインを飲む。眠気がさしてきて、そのまま眠る。
 起きて、これを書いている。今日はのんびりして過ごすことができた。明日から二週間は休みがないのだから、ゆっくり羽を伸ばしておこうと思う。
 サイトのことをしないといけない。これがものすごく時間を要する。通常の仕事に加えてそれをしていかなければならない。おまけに、この二週間に勉強会が二日、シンポジウムが二日入っている。どちらも参加するだけなのだけれど、興味のあることにはとにかく参加してみる。何か得るもの、経験するものがあるはずだ。

 自分を解放し、心を自由に漂わせ、内にあるものをそのまま言葉にしてみる。僕がカウンセリングでクライアントに求めることはそれだけなのだ。でも、それをできない、もしくはしてはいけないと頑なに信じているクライアントたちも多い。昨日の三人もそういうタイプの人たちだった。
 昨日のクライアントたちに限らないけれど、クライアントを見ていると、上手く生きようとしすぎていると言うか、綺麗に清く正しく生きようとしすぎている感じがしないでもない。堕ちないでおこうとして、非常に脆いものに必死にしがみついているような人もおられる。個人的には、いっそのこと堕ちてしまえばいいのにと思うこともある。堕ちてみて初めて見えるものもあるからだ。ユングの言う死と再生とはそのことだと僕は思う。
 エリア・カザンの『アメリカの幻想』という長編小説がある。僕の好きな一冊だ。この小説も死と再生をテーマとして含んでいる。いつか、この本を取り上げたいと思いながら数年経ってしまったが、人は生の底辺に堕ちて、初めて自分と向き合うことができる場合もあるのだ。

 しかし、昨夜、改めて認識したけれど、飲み屋というのは話のネタの宝庫だなと思う。店の人、他のお客さん、その時々で僕が思い出す事柄、いろんな発見がある。どんな人がカラオケでどんな曲を歌うかにもその人らしさを感じる場合もある。見ていると、いかにもその人らしい歌を選び、その人らしい話題を挙げ、その人らしい物言いをするものだ。
 
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 飲酒はいいことはないけど、飲み屋で学んだことも多い。いろんな人を見ることができるというのもメリットだ。ただ、いつも学びが得られるとは限らないけど。
 それと、だんだんとクライアントや面接のことをブログで書かなくなってくる。この頃はまだ多少は書いていたのだなと思う。
(平成28年12月)

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2014年3月24日 月曜日

3月24日:「子供を託される夢」

3月24日(月):「子供を託される夢」

 この土日はけっこうな忙しさだった。両日ともパソコンに触れる間もなく終わる。

 今日は、朝のうちに少し事務的なことを済ませ、昼前に入室。業者に電話を一本かけ、それから昼休みに入る。午後からの面接に備えて、一息入れ、それから準備しようと思う。

 今朝、夢を見た。こんな夢だった。
(夢)「ある母親らしき女性から、『この子をお願いします』と、ものすごく小さな子供を受け取った。乳児なのか、未熟児なのか、両手のひらで収まるほど小さい子だった。その子がなぜか小学生くらいの女児童になっていて、公園のような場所で遊んでいる。ジャングルジムのような遊具があって、僕は上に座っている。下の方でその子が遊んでいて、上ってくる。その子が足を踏み外す。『危ない』と、僕はとっさに手を伸ばし、その子の腕をつかむ。でも、その子の腕は油でも塗ったかのようにつるつる滑る。僕は何度もつかみなおすが、その甲斐もなく、腕は僕の両手からするりと抜け落ち、その子は地面に落下してしまう。僕はたいへんなことになったと慌てて降りる。取り返しのつかないことをしてしまったという感じがしたのを覚えている。その後が脱落しているのだけど、最後は母親とその子が僕の前に立っていて、僕は自分の不注意から起きた事故を母親に謝っていた。母親は『またお願いします』と言って、まったく怒っている様子はなかった。子供も、何事もなかったかのように、ピンピンしていた」
 罪悪感と、僕の中の切り捨てられた未熟児の部分と、その両方を感じる。

 今日の仕事を終えた。パソコンの電源を落とそうとしたら、このページが表示されたままだった。少し書き添えておこう。
 非常に疲れた。精神的な疲労感が感じられている。午後からがきつかった。今日はもういろんなことから解放されたい。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 なんだかキツイってことばかり書いているブログのように思えてくる。実際、当時はキツイ日が多かったのは確かだけれど。もう少し元気な内容のことも書かないといけないな。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

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