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2014年2月27日 木曜日

2月27日:促進と停滞

2月27日(木):促進と停滞

 今、朝の6時半。深夜のアルバイトを終えたところだ。一昨日もこんな感じで、これで二連続で徹夜だ。現在、たまらなく眠い。
 眠いだけでなく、とても疲労している。疲れたなんて言うのはまだ10年早いのだが、それでも疲労は疲労だ。疲れるのも身体を所有することの恩恵だと思うとするか。
 2月と3月はアルバイトもできるだけこなす。これは僕の今のノルマだ。4月から負債が増える。それまでに少しでも稼いで、今抱えている負債を減らそうと考えている。この二か月で、3件の負債が減る予定だ。その代り、新しい負債が舞い込んでくるのだが。
 何も減らない。煩わしい柵から解放されたいと思っているのに、新しい柵が付き纏ってくる。
 4月にはこのサイトもスマフォ対応する。5月には広告も始まる。前へと進んでいたい。それでも後ろに引き戻そうと付き纏うものがたくさんあるということだ。
 交際でさえ今は煩わしい。Yさんとは火曜日に付き合ったが、朝と夕方は本業で、夜はそのまま朝まで現場のアルバイトに行った。その前にかつての飲み友達だったY君が電話してきたことがあった。どうせ飲みに行くお誘いだ。予定なんて入ってなかったけれど、予定が入っていて忙しいと言って断った。
 Yさんの方は、しばらく間を置こうと考えている。2年近く交際して、一定以上進展しない関係だ。20年後もこのままの関係を維持しているのだろう。彼女はそれでいいかもしれないが、僕はこの停滞した関係に留まるつもりはない。常に変化していきたいと思うからだ。
 彼女だけじゃない。その他の交友関係も今は断ちたい。仕事上、生活上のつながりは残しておいて、それ以上の交際は今のところお断りだ。
 僕たちは誰もがプロセスの途上にある。人は常に次の瞬間の自分を実現しようとしている。そうして常に今の自分を超越して何者かになっていく存在なのだ。そのプロセスを促進するか、停滞させるか、後退させるかは、個人の選択によるものだと思う。僕は促進していきたいし、そちらを選択する。プロセスの促進は、決して穏やかなものではないだろう。だから僕の選択の中には、激しい動揺や困難が付き纏うだろう。それでも停滞するよりかはずっといいと考えている。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 この当時、望んでいた状況が、平成28年の現在に至って、ようやく実現しつつある。無益な交際は断ち、負債を減らしていくことを中心にやっている。軛からもだいぶん解放されたものだと思う。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2014年2月24日 月曜日

2月24日 自動車衝突事件

2月24日(月):自動車衝突事件

 昨日に引き続き、今日もニュースから。名古屋で繁華街の歩道に自動車が突進して十数人の人が怪我をしたというニュースを聞いた。犯人は、その少し前にレンタカーで車を借り、殺すつもりで突っ込んだと証言しているそうだ。確か、30歳代の男性で、無職だと報道されていたように思う。
 死者が出なかったのは不幸中の幸いであるが、本当に殺してしまうか負傷させるところで終わるかは、恐らく犯人の超自我、良心の影響があるのではないかと僕は考えている。いずれにしても、それが犯罪であるという点では違いはないのだけど。
 この事件の結末は、彼の運転する車が街路樹か何かに衝突することで終わる。つまり、自らが負傷することで終わりを告げるわけだ。従って、自殺とか自傷行為の色合いを僕は強く感じてしまう。
 また、この手段も興味深い。彼は無職だそうだが、レンタカーの料金はどうしたのだろう。僕はその辺りの値段は詳しくないのだが、レンタカーで一日車を借りるのとサバイバルナイフを購入するのと、どれほどの差があるだろうか。僕の勝手な憶測では、彼はどちらの手段も経済的には可能だったと思う。でも、なぜ彼は、路上でサバイバルナイフを振り回すというような事件ではなく、自動車で突っ込むという手段を選んだのだろう。
 僕はこう思う。彼には防御壁が必要だったのだと。ナイフを振り回すというようなやり方は、それだけ自分は無防備であるわけだ。だから武器よりも防御の方を彼はより必要とする人だったのかもしれないと思う。
 いずれにしても、事件は事件であり、罪は罪だ。彼は刑に服することになるだろう。精神鑑定なんかも施されるだろう。
 精神鑑定と言えば、それは刑を軽減するものだと考えている人も多いように思うが、決してそうではなく、刑を確定するためにするものだ。実際に刑を決めるのは裁判官であって精神鑑定医ではないのだ。ドイツでは各裁判所に複数の精神鑑定医が所属していて、どの事件であっても精神鑑定が実施されるのだそうだ。僕はそれが普通だと思う。日本では事件の種類によって精神鑑定が必要かどうかが決定されるようだが、それでは裁判の公平性が損なわれるように僕は思う。
 それはさておき、今のところ犯罪事件を起こすことなく、それなりに善良な市民の顔をして暮らしている我々も、衝動をうまくコントロールできているおかげで彼のようなことはしないのだが、一つ精神の水準が低下すれば、彼と同じものを持っているということに気づくだろう。自分にも同じものがあるということを我々は知るべきだと僕は思う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 人を殺そうと決める。繁華街で車を暴走させる。これは非常に合理的なやり方なのである。人間が合理的になればなるほど、それらの行為を機械的に行うことができるようになると、僕は考える。つまり、合理的にやっていくとは、感情抜きで行うということである。この犯人はそれをしたのだと思う。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2014年2月23日 日曜日

2月23日 アイドルファン事件

2月23日(日):アイドルファン事件

 ワイドショーを見ていたら、こんなニュースを耳にした。某アイドルのブログに殺害予告のようなメールを送りつけ続けた男性が逮捕されたというものだ。
 こういう事件自体は昔からある。シャロン・テートやジョン・レノンのように現実に殺されてしまうという事件さえ数多くある。有名人はそのような被害に遭いやすいものだ。ただ、時代によりその手段は異なるが。
 今回の事件では、これも従来から見られる通り、容疑者はそのアイドルの熱狂的なファンだったそうだ。彼の言い分では、そうすることでそのアイドルから注目されようとしたということだ。
 彼のことはそれ以上に何も知らない。これから報道されたりするのかもしれないが、どういう人なのか全く知らない。でも、その動機はエディプス期の失敗に帰せられるような話だ。
 崇拝する対象から特別視されたいという願望やその対象を独占したいという欲求が子供にはあるものだ。この対象は、初期では親であり、年が上がるとアイドルやスターだったりするし、さらに成長するとそれが教祖になったりする。
 この願望、欲求は自己愛の文脈に属する話である。つまり、素晴らしい人から特別扱いされている私は素晴らしいという文脈であり、それは個人の自尊心を高める経験である。
 ところが、多くの場合において、このような願望や欲求は断念しざるを得ない。それが普通のことであり、正常なことでもあるのだが、確かに辛い体験にもなる。
 そうして崇拝する対象に向けていたエネルギー(リビドーと言ってもいい)は、それらを断念することで言わば宙ぶらりんになる。行き場のないエネルギーは同胞へと向かうことになる。つまりアイドルのファンどうしで同一化や取り入れ、一体感とか親近感が生まれることになるのだ。家族関係で言えば、かつてはライバルどうしであった兄弟姉妹の間の関係が良好になるのだ。
 縦の関係を断念することで、横の関係が生まれると言ってもいいかもしれないが、この経験は後の集団への適応を助けることになる。だから、この過程をうまく経なかった人は集団への適応が難しいということでもある。いつまでも縦の関係を求めてしまう。崇拝する対象と一体になりたいとか、特別になりたいとか、独占したいというようなことを延々と求めることになる。
 この容疑者の男性もそのような人だったかもしれない。彼も、私生活では集団適応で、同胞関係で困難を感じていたかもしれないと、僕は思う。事件を起こす前に、何か手を打つことができていれば良かったのにと、このような事件を見聞する度に、残念に思う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 ファンがいやがらせ行為をするというのは、昔からスターやアイドルにはつきものの話だった。ただ、時代が進むほど、そのツールが異なってくる。もし、100枚の手紙を書いて郵送するとなると、たいへんな労働となるだろう。でも、メールで100件送付するのはそれほど労力がかからないかもしれない。ツールが便利になるほど、迷惑行為もお手軽にできるようになるということだ。労力は削減でき、与えるインパクトは倍増し、そして執拗に継続することができる。使用する人間が進歩しない限り、ツールはいつでも凶器に早変わりしてしまうものだ。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2014年2月20日 木曜日

2月20日:「きりきり舞いする夢」

2月20日(木):「きりきり舞いする夢」

 昨夜見た夢は次のようなものだった。

<夢>「きりきり舞いする夢」
 割と広い部屋に僕を含めて数人の男女が集まっている。この部屋は職場で、ここで仕事をすることになっていた。ある者は準備をし、別の人は業務を始めている。また別の人たちは休憩をしている。
 廊下に布団を敷いて寝ている人がいて、起こそうと思った。その時、女性臨床家が僕のところに来て、クライアントと連絡がつかないと訴えてくる。僕は少し間を置いて、つながるまで掛けるように指示する。
 各々がバラバラに動くのでなんとか統一しようとするが、また別の臨床家の女性が来て、クライアントが箱庭を作ったので見てほしいと頼んでくる。床に置いてある箱庭を僕は見る。陸地と海があり、所々に木が生えている。アニメのキャラたちが並んでいて、皆一方向を向いている。僕は彼女に「これはどちらが前か」尋ねる。彼女はクライアントの位置を教えてくれる。するとキャラたちはクライアントに背を向ける形になる。僕は「この人は生から目を背けようとしている」と彼女に示唆し、その箱庭をいくつかの角度から写メに撮る。
 その後もいろんな人が僕に仕事を持ち込んでくる。それらを処理しながら、僕は部屋の中央に置いてあるピアノのことが気になっていた。同僚の一人が演奏している。僕も弾きたいと思うのだけれど、処理すべきことが多すぎた。限界が来たのか、僕は舞い込んでくる仕事を後回しにして、僕もちょっと弾いてみたいと言い、ピアノに向かう。演奏してみるとすごく弾きにくい。まず、ペダルが利いていないようだったし、左半分の鍵盤がきちんと音が出ていなかった。僕はピアノを修理してみた。その間もいろんな人が僕に相談を持ちかけたり、仕事を依頼してきたりする。僕はきりきり舞いの状態だと思った。

<連想と感想>
 何か仕事をするという場面を頻繁に夢で見る。現実には僕は独りで仕事をするけれど、夢では大勢の人たちと一緒だ。この夢では、処理しきれないほどの仕事が舞い込んできて、慌ただしさを感じる。
 このピアノは僕の今の状態のようにも感じる。他の人が弾くときにはきちんと音が出ているのに、僕が弾くと不具合がいっぱい出てくるのだ。僕が自分自身に関わる時にはそんな感じではないかと思った。
 臨床家の人たちや、クライアントによって作られた箱庭のことなど、取り上げたい要素はたくさんあるけれど、これくらいにしておこう。今日はもう疲れた。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 処理しきれないほどの仕事が舞い込んできて、どうにもならなくなっている夢だ。箱庭を解釈する件は、なかなか鋭いなと自画自賛したくなる。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2014年2月17日 月曜日

2月17日:「三つの断片夢」

2月17日(月)三つの断片夢

 再び、夢を見た。今回は三つの断片から成る夢だ。

<夢>
(場面1)現場へ行く。年配の男性と一緒に、現場の下見に行った。山の上の現場だった。どこで仕事をするかを見て、僕たちは一旦帰宅することにする。仕事の用意を持ってきていなかったからだ。年配の男性は一人だけ先に行ってしまう。僕は車くらい乗せてくれてもいいのにとぼやく。道路に出る。夜中なのでバスがない。タクシーを待つが、なかなか来ない。
 すごく苦労して帰宅したが、準備をして現場に行くと、もはや集合時間が過ぎていた。その現場のリーダー格の同僚が、無理をするなと言い、そのまま僕を帰宅させた。
 その後、バイトの店の店長とばったり出会い、僕たちの共通に知人のM君も交えて、一緒におしゃべりをする。僕たちは三人で、何か法制度のことで話し合った。僕はそれを詳しく知らなかったし、一部は間違って覚えていた。今度、訂正してみると僕は言った。

(場面2)まったく見知らぬ場所だった。高槻ということは分かっていた。あまりこの辺りまで足を延ばすことがなかったなと思った。いろいろ見て回る。商店街に入る。ファストフードの店に入り、商品をテイクアウトする。店の外に出ると、ガラの悪そうな一団が座り込んでいた。彼らの脇を通り過ぎる。いささかさびれた感じの商店街で、環境もあまりよくなさそうだと思った。道路を渡る。道路の向こう側は公園と住宅街だった。公園に入り、ベンチに腰を下ろす。買ってきたものをそこで食べる。自分が何を注文したのかも分かっていなくて、袋を開けると、飲み物と箱があり、その下に大きなハンバーガーが二つ並んでいた。乳房のようだなと僕は思った。そのハンバーガーを一つ取り、頬張る。そこに議員さんのような人が二人、公園の視察に来る。人だかりができる。僕はその方に行ってみる。一人の女性が公園と裏のアパートとの境の塀について、かつてはこうだったと論じている。彼女の話では、この塀の構造では風の流れがこうなって、不自然な流れになり、かつてはこのようなものではなかったはずだといったことを、憤りながら、言っている。

(場面3)
 僕はアパートに戻る。棟が二つあって、その一つに僕の部屋がある。一階だった。同じアパートの住人が遊びに来た。曲か何かのタイトルのことが話題になった。それが思い出せない。僕は調べて、二階に住む彼に教えに行った。彼は部屋に居て、切手シートを広げて眺めている。こうして見ると切手もきれいだねというようなことを僕は言った。そして僕はあれのタイトルはこれこれだと教えてあげた。彼は紙に書いてきて欲しいと頼んだ。僕は彼と一緒に外に出る。彼の部屋のすぐ前がトイレだった。二階はここにトイレがあるから住みにくいねというようなことを僕は言った。彼も同意した。
 もう一棟の方に行く。ちなみに僕の二階に住む彼はシェフだが、こちらの棟の一階は寿司屋の大将が住んでいた。僕たちが行くと、大将が出てきて、何かと振る舞ってくれる。そこは大将の部屋なのに、カウンターがあって、寿司屋のような佇まいである。
 僕はごちそうになる。二階のシェフと他に数人の人たちと一緒に。他の人たちもみなここの住人であるようだった。シェフは店の方があるからと言って早々と切り上げた。彼は僕に会釈をして、僕もそれに応じた。
 テレビで「高槻の○○公園特集」が始まった。さっき僕がいた公園だ。画面に映し出される。その公園はゴミ捨て場のようになっていたのを、市民ボランティアがきれいにしているのだそうだ。まだ所々でゴミが残っているし、新たに投棄されたりもする、そんな現状が映し出される。ボランティアの人がインタビューに答えている。女性だった。ゴミの中には人や動物の死骸なんかもあって、どうしてこんなひどいことができるのだと涙ながらに切々と語っている。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 断片的な夢なのに、非常に際部まで覚えている。含まれる材料が多すぎて、それで解釈とか連想の部分が欠落しているのだと思う。全体として、何かに取り掛かるようで取り掛からず、他の何かがそこに割り込んできて、僕はそっちに流されているかのような印象を受ける。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

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