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2013年9月30日 月曜日

9月30日:作法から外れる人たち

9月30日(月):作法から外れる人たち

 昨夜は夜勤をした。夜勤まで原稿やブログを書いて過ごした。つまり、仕事を終えて直接夜勤をしたわけだ。もう、たいへんだった。アクシデントもあり、たくさんの業務もありで、フラフラだった。朝の5時頃、本当にフラッとなった。足に力が入らない感じだった。頭もボーッとしている。
 夜勤を終えて、そのまま高槻に出て、これを書いている。コーヒーが欲しい。月末でやることがいっぱいある。仮眠くらいはするつもりだけれど、それだけの余裕があるかどうか。
 コンビニの夜勤なんて、本当に下らない。真夜中にフラフラしている連中が客だ。そういう人は大物にはなれないと思っている。
 深夜のコンビニで雑誌なんかを延々と立ち読みしているような人も多いが、そういう人間は器が小さいのだ。無料で読んで得したと彼らは感じているかもしれないけれど、そういう生き方しかできないのだろう。読みたいのなら購入して自分の物にすればいいのに、店で読んで間に合わせるという、そういう間に合わせの人生を送るのだろう。
 また、これも面白い現象だと思う。立ち読みをするというのは店の商品を借りているわけだ。いつもそういうことをする人がたまに買い物をするとクレジット払いで清算したりする。よく分かる。借り物の人生を送っているのだろう。
 僕は本はよく読むけれど、立ち読みはしない。目次を見たり、後書きや解説に目を通すことはあるが、それは買うか買わないかを決定するためだ。中身は購入してから読む。だから、コンビニの立ち読みの心理がよく分からないのだ。あれはそんなにいいものなのかね。
 雑誌くらい読んでいってくれても構わないのだ。トイレも使用していいのだ。それで何も買わないというのが、僕から見ると礼儀知らずと言うか、セコイと言うか。少しでもお金を落としていけよと心の中で呟く僕である。

 昔、僕がもっと若い頃のことだけれど、ある飲み屋に忘れ物をしたことがあった。翌日その店に電話をかけると確かに忘れていて、店で預かっているという返事だった。僕はその日、忘れ物を取りに行った。僕はそこの店主に叱られた。忘れ物だけ取りに来たんかってね。僕は驚き、一瞬腹を立てかけたけれど、その店主の言うことの方が正しいとも思った。飲み屋に忘れ物だけを取りに行くというのが作法から外れているわけだ。飲み屋なのだから一杯でも飲んでやらんといけないのだ。飲み屋としては他のお客さんの手前もあるし、それに店の面子にかかわることだったのだ。僕はそれに気付かなかったのだ。
 その時の店主のように、立ち読みだけしに来たんかとか、トイレだけ借りて帰るつもりかと言いたくなることも多々ある。そういう客は店の面子を潰しているわけだ。店の顔に泥を塗っているわけだ。なお性質の悪いことに、自分がそういうことをしていると気づいていないのだ。
 僕は街中でトイレに行きたくなったら、コンビニではなく、パチンコ屋を探す。普通にトイレは使わせてもらえるのだが、僕はパチンコは打たない。悪いから飲み物を買って、休憩所で飲む。トイレを使わせてもらったのだ。せめてそれくらいのことはする。あの飲み物の利益がパチンコ屋に入るのかどうかはわからないけれど、そういうことでもしなければ僕の気持ちがおさまらないのだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 どこにも作法から外れる人や、店の面子に泥を塗るような客(と言えるのか)がいるものだ。単に気づいていないだけかもしれないし、無知なだけなのかもしれない。でも、その人たちの人生が上手く行っていないと聴いても、僕は不思議には思わないだろう。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2013年9月29日 日曜日

9月29日:客目線で

9月29日(日):客目線で

 しばらくブログも書いていなかった。サイト自体触っていないという日が続いた。今月はどうもサイト作業に身が入らない。いくつかのブログや原稿は書いたのだけれど、公開していない。どうも億劫に感じられてしまうのだ。
 最近は生活が不規則で、いろんな雑用に追われたりもする。面接だけをできればいいのだけれど、なかなかそういう訳にもいかない。他のいろんな作業もこなさないといけない。
 コンビニのアルバイトは、10月、もしくは11月に辞めようと考えている。それ以上はやらない。コンビニでもいいのだ。僕はそこでもっと接客やサービスの展開、経営に関する事柄などをもっと学びたいと思っていた。いや、それは今でも思うのだ。でも、あの店ではもう学ぶことはない。むしろ間違ったことを学んでしまいそうで、それが困る。
 今のオーナーの考えややり方に関しては、それは正しくないと思うことがいくつもある。そこで末永く働くつもりなら、たとえ正しくないと知っていても、僕はそれに従うだろう。でも、もう去っていくのだから、僕はそれに従わないことにしている。自分の信念を曲げてまで従うつもりはないし、そこまでする義理がもうないのだ。言い換えれば、あの店に愛想が尽きているのだ。
 今日もこの後夜勤をする。仕事はする。ただし間違ったことはしたくない。自分勝手なやり方だけれど、もうどうでもいいのだ。
 コンビニというのは、自分が利用する時の体験を見つめていると分かるのだけれど、その時の買い物しか眼中にないものだ。タバコを買いに行く時はタバコの所しか見ない。夜食を買いにコンビニに行こうという時は、今日の夜食しか探さない。そういうものだと思う。
 このことは逆に言えば、その一回の買い物でお客さんに商品とサービスを提供できなければ意味がないということなのだ。いささか飛躍した感じがするかもしれないけれど、夜食を買いに行って、それなりに求めているものがあれば、その人は次も利用してくれるものなんだ。それ以外の事柄は、お客さんからすれば二の次なんだ。その一回の買い物で、欲しい物がなかったり、品揃えが悪かったり、店舗や店員の印象が悪かったりすると、二回目はないと僕は思う。
 だから、考えなければならないことはそういう部分なのだ。それが僕の考えで、オーナーはそこがまるで理解できていない。僕が怒るのは店全体が客目線でなくなる時なのだ。一応客商売なわけだから、本部の方針も守らなければいけないとは言え、店員の一人一人が客目線を保つ必要があるわけなのだ。客をそっちのけにして、自分たちのルールだけを考えているようでは、僕はそれは正しくないと信じている。そういうことなのだ。
 しかしながら、そんなことを考えている自分にも、もういい加減、嫌気がさしている。他人の店のことであれこれ考えるよりも、そこから解放されたいと思うようになっている。解放されれば、気がかりも減って、少し生活が楽になるんじゃないかと、そういう期待も抱いている。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 あの店に限らず、コンビニ業界全体が客目線で店が作られていないと思うことが僕にはよくある。時に最近はそれを特に感じる。店側が客へのサービスのつもりでも、客からすると不便なものがけっこうあるものなのだ。特にひどいのが、防犯意識の低さである。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2013年9月19日 木曜日

9月19日:負債を考える

9月19日(木):負債を考える

 今日もひどい疲労感や睡魔に襲われている。タバコの本数がいつもよりも増えてしまっている。仕事はあったけれど、それほど忙しいわけでもない。この後は夜勤を控えている。
 夜勤を持ち堪えられるかどうかで不安になっている。何度もこういう状況でやってきたのだから、今夜もいつも通りに仕事ができると信じる方が論理的なのだけれど、弱気になってしまう。
 僕はいくつかの負債を抱えている。独立して仕事をするとそうなるものだ。月々の金額は4000円程度のものから4万円程度のものまで幅広いが、一つずつの金額よりも全体の数が多いのだ。今年、春頃に一件終了させて、8月の末にも一件終了した。12月にもう一件終了する予定だ。11月には強制的に一件終わらせる。そして、これはいささか無謀な計画なのだけれど、年内にもう一件終わらせようとも計画している。まあ、最後の分は来年になっても構わないのだけれど。とにかく、この四件が終わるだけでも月々の支払いがラクになる。
 あまり経営感覚がないのか、当初計画していた月々の経費の3~4倍の経費がかかっている。それを年内に2倍まで落とすという計画を立てていたのだけれど、2倍までは減らせそうにないな。せいぜい2.5倍といったところだ。それでも大きい。
 これらの負債がなければ、カウンセリングの料金も下げられるし、アルバイトもしなくていいようになるのだけれど、当分はまだこの生活、状態が続きそうだ。
 今年、四件は終わらせる。頑張って五件終わらせることができればそれにこしたことはないが、ちょっと年内には難しいという様相を見せている。
 来年も三件終わらせる。そのうち一件は期限が来て、自動的に終了するのだけれど、後の二件は前倒しで終わらせる。それで全部が終わったわけではないのだけれど、再来年まで残る分はそれほど痛くない程度のものだ。
 こうして今年と来年の二年で、八件終わらせる計画だった。今のところ、何とかなりそうではある。これらが終わると、本当にラクになりそうだ。
 振り返ると、頭の中で常にお金の計算をしている自分がイヤでイヤで仕方がなかった。でも、どうしてもそういう計算や計画のことで頭が占められてしまうのだ。現実に追い立てられているわけではないのだけれど、あたかも借金取りに追われているような感覚を体験する。何よりもそういう体験から解放されたいというのが正直な気持ちだ。お金のことよりも、そちらの方が大きい。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 何も分からないから、サイトのことや広告のことで負債を作ってしまう。何をやっても一緒だということが見えていなかったのだ。広告を出せば儲かるというような時代は過ぎ去ったのだ。今はもっと別のルートから入っていかないといけないのだ。時代が変わった、あるいは終わったのである。
(平成28年12月)

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2013年9月18日 水曜日

9月18日:再び飲酒の後悔

9月18日(水):再び飲酒の後悔

 思うところがあり、今日から断酒している。昨日は飲んでしまったけれど、ひどく後悔している。最近は飲む頻度が増えてしまって、それのダメージもある。
 疲労感があるとお酒が欲しくなる。でも、飲んで愉しいかと問われると、どうかなと思う。いろいろ考え事をしながら飲むのがいつものパターンで、当然それは独り酒だ。自分ではあまりいい飲み方ではないなと思っている。だからと言って、仲間とワイワイしながら飲む酒も、たまにはいいのだけれど、そんなに好きでもない。
 今日は午前のクライアントがお休みなので、朝は少しゆっくりしようと決める。昨夜の酒が残っているとかいうわけではないのだけれど、何だか疲労感に襲われている。
 午後からは通常のテンションで仕事をしている。夕方に来られるクライアントの初回面接分のテープを聴き直そうと思っていたのを思い出した。午前をのんびり過ごしたことを少し後悔する。わずかの時間を縫って、適度に飛ばしながら、その面接を聴き直し、記憶を新たにする。そのクライアントの話し方が独特で、分かりにくい箇所がいくつもあるのだ。だから僕が思い違いをしていないかどうか確かめておきたかったのだ。
 夕方のクライアントも含めて、今日はそれなりにソツなく面接をこなした感じがある。それぞれのクライアントがそれなりに得るところのものがあれば、それで十分なのだけれど、僕の中では可もなく不可もなくといった仕事をしたような感じが残っている。
 いろんなことを考えないといけない。やらなければいけないことややりたいこともたくさんある。酒が欲しくなるのは、それらから逃避したいから、あるいは距離を置きたいと思うからかもしれない。酒を飲むより、それらを一つ一つ片づけていく方がはるかに健全だと思うのだが。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 飲酒の何がいけないかと言うと、得るところがないからである。何か有意義な体験なり学びなりを得たのなら、その飲酒の甲斐もあったと言えるのだけど、何もない場合、時間と金と健康の浪費にしか思えなくなるのだ。
(平成28年12月)

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2013年9月 8日 日曜日

9月8日:飲酒の後悔

9月8日(日):飲酒の後悔

 9月に入って、僕は酒を飲まないで来たけれど、昨晩は飲んでしまった。ただ、今日はそのことをすごく後悔している。酒そのものも良いものに思えなかった。飲むまでは酒が無性に欲しくて、魅力的に見えるのだけれど、いざ一口飲んでみると、それが期待していたほど美味しいものでもなく、素晴らしいものでもないということを実感した。
 量はそれほど飲んでいないのだけれど、今日はひどく酒が残っている。二日酔いというのではなくて、胃腸の具合がよろしくないのだ。はやり飲酒しない方が良かったと思う次第である。
 胃腸の具合を悪くしているのは、食生活も関係している。このところ、あまり食べたくないのだ。食事をするのもひどくしんどく感じられるのだ。そこで空腹を感じたら何か食べることにしようと決めた。空腹感に襲われるまで食べないでおこうということだ。そうすると、一日二食になってしまった。9月に入って、体重がすでに3キロほど落ちている。
 今日は朝、ご飯を一善、ふりかけをかけて食した。昼はラーメンを食べる。そのまま夜勤に突入してもいいのだけれど、この後、やっぱり何か軽く食べておこうと今は考えている。今日はかろうじて一日三食になりそうだ。
 いろんなことに追われていて、落ち着いて食事できないのだ。食べている間も気になっていて、悠長に食べていられないという気分に襲われるのだ。
 昨晩、仕事を終えた頃、僕は飲酒欲求に襲われていた。すぐに飲みに行ったのではない。二時間くらい葛藤した後の飲酒だった。その間、僕は歩いて気を紛らわした。初めてキャップ書店に入った。JR高槻駅に新しく出来た書店だ。なかなか広い書店で、いろいろ本が揃っている。専門書はほとんどないけれど、本を眺めていると、あの本も読みたい、これもまだ読んでいないなどという気持ちに駆られる。それはどこか向上心のようなものを刺激される感じである。そういう気持ちに駆られると、酒なんぞ飲んでいる暇はないと思えるのだけれど、昨夜は効果がなかった。
 酒を飲まないでいたけれど、その代わりにタバコの本数が増えている。一方を控えれば他方が増えるというのは自然なことだが、あまり望ましいことではない。でも、本を読む時間も増えている。9月に入って、すでに何冊か読み終えている。多少なりともバランスよくならないものかと思う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 飲酒して後悔した話か。こういう後悔をどれだけ繰り返したことだろう。食生活の乱れも今も昔も変わらないな。それとキャップ書店ができたのはこの頃のことだったか。今はジュンク堂になっているけど。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

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