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2013年6月30日 日曜日

6月30日:無意味な副業

6月30日(日):無意味な副業

 この一週間はそれなりに忙しかった。月末でいろいろやることもあった。予定外の作業や用事が入ることもあり、なかなか時間を構造化するのが困難な日も多かった。
 明日からの一週間もそれなりに忙しい。その翌週は恐らく少しヒマになるだろう。次の一週間は酒を飲む余裕もなさそうだ。
 昨日は飲んだ。飲んだというよりも、晩御飯を食べたかったのだ。しっかりしたものを食べたいという気持ちがあって、その時にワインとビールを付けたのだ。だから飲み屋で飲んだのじゃない。あくまで食事がメインだった。まあ、それはともかくとして、恐らく、当分は飲む機会がなさそうだ。それでいい。
 今日はこれから副業の夜勤だ。本業の仕事を終え、それから風呂に入った。サウナでしっかり汗をかいて、コーヒーを飲みながらこれを書いている。幾分、睡魔に襲われている。タバコの本数がやや増えている。明日の朝まで寝れないと思うと、気が滅入る。でも、あまりしんどいことを先取りしてしまうのはよそう。副業も何とかなるだろう。これまで何度もやってこれたのだから。
 副業の方も、今では何のやりがいもない。若い頃のように情熱を傾けることができない。むしろ、今は副業の店に対して冷ややかだ。どうせ他人の店だという感じがしている。昔は、それでも自分が貢献しようという気持ち、もっと店を良くしようという気持ちが強かった。今ではみんな失せてしまった。
 本業の方が刺激的でやりがいがある。こちらを知ってしまったから、情熱を傾けられない副業の方は嫌気しかささない。勤務はそれなりにする。任せられていることはするし、時間内はそれなりに勤勉に働くつもりだ。それは雇われているからそうしているだけに過ぎない。
 その副業の店、コンビニであるが、あそこはもう先が見えている感じがしている。これ以上は大幅に業績が伸びることもないだろう。僕から見ると、間違っている所がいくつもあるけれど、彼らは改善していかないだろうな。
 バイトの誰かが失敗するとする。僕はそれが誰なのか知りたい。するとそれは犯人探しだと言って非難される。僕は犯人捜しをしているのではなくて、その失敗をした時に、その人にどういうことが起きたのかを知りたいだけなのだ。それはきっと他の人たちにとっても有益な知識になるはずなんだ。今後、同種の失敗を防ぐことにもなるし、お互いにそういう機会を減らすために助け合えるだろうと思う。
 実際、僕から見ると、犯人捜しをして、その犯人を叱責するのはパートの人たちなんだ。それをしたければすればいい。その代り、バイトはそういう人を信頼しなくなること間違いなしだ。困ったときに助けても教えてもくれない人が上にいるのでは、下は続かない。これは間違いなく言えることだ。
 いずれにしろ、コンビニはもう頭打ちになっているように僕には見える。これはどこのコンビニであれ、同じだ。同じような店構えで、同じような品物を売って、同じような店員がおる。各店舗にそれほど独自性を打ち出すだけの余裕が与えられていないのだから仕方がないことか。そんな中で、僕は独自の店員になろうと目指した時期もあるけれど、それももう昔の僕の話だ。今では、とにかく勤務終了の時間が来るのをひたすらカウントダウンしているだけの人間に成り下がった。もう、そこに興味が持てないんだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 20代の頃にバイトしていた時のメンバーは今でもよく覚えているけど、この頃のメンバーを僕は誰も覚えていない。かすかにこういう奴がいたなくらいだ。
 いつかこのコンビニの話をしてもいいな。僕がバイトしていたお店は、入り口がすごく良かった。通りから流れるように入店できる構造だった。そこがあの店舗の長所であり、武器だった。僕はそこだけは損なわれないようにしてきた。
 でも、パートのおばさんたちは、その武器を台無しにしていた。何がこの店の長所であり、武器であるか、考えたこともないのだろう。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2013年6月29日 土曜日

6月29日:質の低下

6月29日(土):質の低下

 昨日に引き続いて、今日もコンビニの話をしよう。
 以前、コンビニでバイトしていた頃、マニュアルがあった。レジやストコンの操作方法が書いてあるのだけど、当時でさえ、それが百科事典のような分厚さだった。今はもっと膨大な量になっているだろうな。
 「だろうな」というのは、実は紙媒体のマニュアルがもはや存在していないのだ。マニュアルはコンピューターで見るようになっている。あれを全部印刷したらすごいことになるだろうな。一体、あれだけのものを全部覚えているという人がどれだけいるだろうか。
 ファミマは店員の格付けがある。初級、中級とかいうように、店員にレベルがあるのだ。ユニフォームについている名札の色でそのレベルが示される。だから名札を見れば、その店員さんが初級とか中級とか、そういうことが分かるのだ。
 一番上は、ゴールドらしい。僕はそれを付けている人を未だに見たことがない。そういう人はどこの店舗でも働くことができるそうだ。僕は初級でけっこうだ。中級になるような資格は僕にはない。それほどいい店員ではないと自覚している。
 しかし、初級とか中級、上級といったランクは、もはや個人の頑張りとは関係がないということなのだ。その店でいくらその店員さんが貢献しているとしても、試験を受け、認可されない限り、初級のままなのだ。個々の店員さんの個性など関係なく、中級なら中級ランクの人と位置づけられるわけだ。はっきり言う、中級の店員さんが初級の人より優れているとは決して言えない。初級の店員さんの方がお客さんから好かれているという場合もけっこうあるものだと思う。
 そして、店員はみな同じことをするように要請されてしまう。可哀そうなのは大人しい性格の人だ。その人は元気がないなどと上からお叱りを貰っていたりしてしまう。明るい人は元気な接客をすればよい、大人しい人は丁寧な接客をすればよいと僕は考えているのだけれど、そういうのが通用しなくなっていくのだろうな。
 おまけに24時間、年中無休で営業するからには、そういうバイトの人たちを確保しなければならないし、一度確保したバイトに簡単に辞められては困るのだ。これはどこのコンビニでも事情は同じだろうと思う。
 商品を搬入するドライバーさんで一人お喋りな人がいて、その人が余所の店舗のことをいろいろ話していくのだ。それを聞いていると、ああ、それはバイトを維持するための工夫なのだなと分かる。ウチの店は、あいにくなことに、そういう工夫をこらしている人たちが皆無だ。
 せっかく入ったバイトがすぐに辞めていったりする。パートのおばさんたちは、今の若い子は辛抱がないなどと言って済ましている。でも、見ていると分かるのだ。若い子たちの自尊心を粉砕しておいて、そのことに気づいていないのだ。実は僕もこの人たちにはうんざりしている。僕が本当のことを言っているのに、一方的に僕を嘘つき呼ばわりするとか、そういうことを平気でやる人たちなのだ。そして、深夜勤務者はサボっているとか勝手に思い込んでいるのかもしれないな。
 よく、同僚を名指ししては、あいつはサボっているとか、ラクしているとか告発するという人がいる。そういう人は決まって低い自尊心しか持ち合わせていないのだ。自分が有能だと信じられない人なのだ。それはその人の抱えている問題なのだ。それで告発された人たちが辞めて行って、そういう人だけが残ってしまうという悪循環が生まれてしまう。ウチの店もそうだという感じがしている。僕もそういう人たちを残して、一日でも早くあの店と縁を切りたいという思いに駆られているくらいだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 質の悪い上司の下には質の悪い部下が残るものだ。全体の質が低下すると、質の低い客しか来なくなるものだ。その悪循環の中に浸かっている限り、そのことが見えないものである。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2013年6月28日 金曜日

6月28日:書架より~『疑わしき母性愛』

6月28日:書架より~『疑わしき母性愛』(ヴァン・デン・ベルグ著)川島書店

 最初に読んだのは96年頃だったろうか。その時にも深い感銘を受けたのだけれど、今回、読み直して、同じような体験をした。著者はオランダの精神科医で、とても啓蒙的な本を何冊も著しており、邦訳書も何点かある。
 家族や親子関係について、今、僕はいろいろ調べたりしているのだけれど、その一環として本書を読み直した。160ページ程度の小冊子で2時間もあれば十分読み通せる。でも、それは内容が簡単という意味ではない。薄いけれど内容の濃い本だ。

 ホスピタリズムの発見は、「人生の初期において、十分な愛情を欠如した子供は、後年、大きな心理的障害を抱えるようになる」という結論を導き出したが、著者はまずこの結論の妥当性を検証する。
 スピッツやボウルビーの著書を参照して、その縦断的研究の欠如を指摘する。継続的に被験者を追跡調査できていないのに、これらの著者らはその結論に飛躍しているということを明証する。
 そして、その結論が支持されるのは、それまでの精神分析や心理学の見解と一致するからである。つまり、学者は自分の理論の方に変更を加えるということをしないという意味である。
 この結論は、従って、「子供にもっと愛情を」というアドバイスをもたらす。著者は、愛情欠如よりも、こうした愛情過多の方が問題が大きいと論じる。愛情過多に陥ると、親は両極的なあり方を取らざるを得なくなる。両極的な親に育てられた子供は、そのパーソナリティを吸い取られてしまい、両極的な社会に出た時に発病すると述べる。
 上記の理論に、僕は一部疑問を覚えるのだけれど、確かに納得のいく理論だと思う。それよりも重要なことを著者が述べている。それは、育児はごく自然に思える普通の仕方が大切なのだという点である。それのできない母親がどれほど多いことか。
 多くの僕がお会いする母親は不安なのだ。不安であるがために、子供に対して自然な態度が取れないのだ。不安で自然な態度が取れないとなると、その母親は技巧にしがみつく。どうすれば子供を泣き止ませるか、どうすれば子供が悪戯をしなくなるか、どうすれば・・・、こうしたことを書籍やネットで調べまくるのだ。
 本書はそういう母親にこそ読んでほしいと思う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 これ以後、同書は2回くらい読み直した。僕の好きな一冊である。
 母親が不安になる。母親は子育てに過剰に敏感になる。それがまた母親の不安を駆りたてる。尚悪いことに、心理学者や教育者たちが、母親たちの不安を煽るような理論を打ち出してしまう。しばしば、それらの理論は間違った理解のされ方をしてしまうこともある。こうして、母親にとって過酷な状況が募っていく。それは取りも直さず、子供にとっても過酷な状況であるということにつながる。
 自然な親子関係はもはや存在しないかもしれない。親と子の間に、いくつもの心理学や教育学の理論が介在してしまっているからである。
(平成28年12月)

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2013年6月28日 金曜日

6月28日:無駄な経済活動

6月28日(金):無駄な経済活動

 副業の深夜勤務を終えたばかり。6時までシフトで、6時10分には外に飛び出していた。そこに長くは居たくない。
 昨夜はまるで勤務に熱が入らなかった。作業をしながらも、考えているのは本業のことばかり。まるで集中を欠き、身体が機械的に動いているだけだった。
 先日、店長と飲んだ。店長ももう引退したいのだな。確かに引退してもおかしくない年齢だ。引退を考えているので、後を任せられるような人を探していたのだろう。僕にも手伝って欲しかったのだろう。店長には申し訳ないけれど、僕はそれを務められそうにない。僕の方がもう嫌気がさしている。
 僕が以前バイトしていた頃、我々で動かしているという感覚がもっとあったように思う。今は言われたことだけをした方が無難だ。気を利かして何かやったら、なんでやったんだと言われるし、やらなかったらやらなかったで、なんでやらないんだと言われる始末だ。上の人間がぶれまくっているから下にいる人間が苦労するわけだ。
 まあ、コンビニ業界自体が今は下火だろうという気がする。どこか全体的にマイナスムードが漂っているように僕には感じられてしまう。多分、ある程度、行き着く所まで行き着いたのだろうな。
 もちろん、コンビニは24時間営業だけど、深夜の客といえば、大半がタバコだけ買うとか、その程度だ。品物はあまり売れない。一部の品においては値引きされているけれど、大部分は定価販売している。同じ品が、例えばディスカウントショップや大手のドラッグストアなんかに行くと、もっと安く買えたりする。どうしてもそれが朝までに必要だという場合でない限り、商品は売れない。
 そこでコンビニがどういう路線を打ち出しているかと言うと、自社ブランドを立ち上げているわけだ。ローソンにはローソン商品が、ファミマにはファミマブランドの商品を打ち出しているのだ。でも、僕はこれは全体的に方向性が正しくないように思っている。
 自社ブランドを立ち上げても、それを目当てに来店する客がどれほどいるだろうか。要は、スーパーやディスカウント、百貨店、ドラッグストア、100円ショップなどから客を奪わなければならないのだ。でも、それらの店と比較して、コンビニのメリットというものがやはり弱いのだ。24時間営業は、もはやそれほどのメリットではない。百貨店やスーパーも割と遅くまで営業している店があるくらいだから。
 挙句の果てにFF(ファストフード)辺りでちまちま勝負しているだけの状態だ。FFというのは、つまり、フライドチキンだとか、コーヒーだとか、おでんとか中華まんとか、レジカウンターで什器に入っている商品だ。そこだけでしか勝負にならないというのは、何とも頼りない話ではないか。
 おまけにあの廃棄だ。ロス商品だ。これは賞味期限が切れた食品のことだ。コンビニの場合、期限がきたら、すべて処分する。割り引いたり、再利用したりというようなことができない。実に不便な話だ。
 僕はスーパーでもバイトした経験がある。そこでは商品の再利用、再々利用が普通に行われていた。例えば、食パンの賞味期限が近付いているとする。まず、値引きする。それでも売れなかったら、サンドイッチなどに利用する。また、パン粉にして、同じく賞味期限の近づいている豚肉と一緒にトンカツにして売ったりする。そうやってできるだけ廃棄にしないように工夫しているのだ。コンビニはそういうことができない。
 毎晩、一日の廃棄商品を僕はゴミ箱に放り込むのだけれど、あれを見ると、本当にイヤな気分になる。食べるのに困っている人もいるのにとか、そういうことではないのだ。ただ、捨てるために作ったのかという感じがするのだ。なんとも無意味な経済活動じゃないかという気になる。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 多少は許せるのだけど、ああいう廃棄は無意味だ。動物は今自分が必要としている分しか捕獲しない。目の前に獲物が5頭いても、今食べる1頭だけを襲うのである。人間だけが消費以上に捕獲する。そして、余剰分はただ捨てられるだけなのだ。悲しいことに、これが人間の経済活動なのだ。豊かさとはこれをすることなのだ。
(平成28年12月)

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2013年6月27日 木曜日

6月27日:町内を歩く夢

6月27日(木):「町内を歩く夢」

<夢>
「町内を歩いていた。どこかからの帰りのようだった。立ち話をしている母を見た。なぜか母を避けたいような気持だった。僕に気づいた母は『援助するよ』と言った。
 僕はそのまま町内を歩く。うっかり行き過ぎてしまう。ぐるりと迂回する。飲食店があったので、なぜか僕はそこに入る。大勢の男性たちが食事していた。彼らは僕の仕事仲間だということが分かっていた。
 食堂のカウンターでラーメンを受け取る。それを持って席に着く。すでに兄が食べているのが見える。僕はそれを食べる。何となく、味気ないなと思い、あまり好きになれないなと思った。でも、他の人たちは美味いと言って食べている」

(連想と感想)
・町内。これは現実に実家のある町内だった。
・母を避ける。母には迷惑をかけっぱなしだと最近は特に思う。そして、僕と兄は寺戸家の墓に入る資格はないと思っている。
・うっかり行き過ぎる。家には帰れないという思いとつながる。葛藤の表れ。
・飲食店、食堂。その場所は、現実の町内ではガレージになっていて、子供の頃の遊び場の一つだった。
・料理を食べる。取り入れること。自分に栄養を与えること。養育、愛情付与のイメージがある。
・ラーメン。昔は大好物だった。以前、美味しいと感じていたラーメンが、今はそれほど美味しく感じられない。好みが変わったのかもしれないし、食事を美味しいと感じることが少なくなったかもしれない。
・料理が味気ない。その料理に満足しない。昨夕、Yさんと夕食を一緒に食べる。満たされない思いが残っている。
・他の人たちは美味いと言う。世間一般の人たちがいいと評価しているものが、僕には全然いいものに思えない。自分の感覚がおかしいのだろうかと思う時もある。もう一つの葛藤の表れ。

 僕の中にいくつもの葛藤があるのを感じる。その上、過去に対する憧憬も強くなっているかもしれない。僕自身にとって、いいと思えるものが取り入れられていない。他の大勢がいいと言って受け入れているものを、僕はいいと思わないまま受け入れているかもしれない。無理に合わせてしまっているのかもしれない。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 夢シリーズだ。珍しく兄が登場しているな。こういう夢は、自分がいかに異端であるかを感じさせる。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

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