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2013年1月30日 水曜日

1月30日:高槻の温泉にて

1月30日(水):高槻の温泉にて

 高槻に温泉がある。「天神の湯」というのだ。そこの割引券をいただいたので、Yさんを誘って行ってみた。街中の温泉なんてって、僕はあまり期待していなかったのだけれど、なかなかきれいでよかった。新しいというのもあるかもしれないな。
 脱衣場があって、中に入る。そこにはサウナと湯船が一つある。それから階段を上がると別の湯船がある。さらに上がるともう一つある。その上の最上階が露店風呂になっていた。
 僕は最初に一番上の露天風呂から入った。それから一つずつ下に降りていって、最後はサウナで締めくくった。
 サウナから眺めていて、僕は何気なく考えていた。「街中の温泉施設で、敷地面積が限られているから、こうして上へ上へと伸ばしていかなければならなかったんだな」などと考えている。
 その時、ふと、今日のクライアントの夢を思い出した。その人の夢は、エスカレーターやエレベーター、飛行機を乗り継いで、上へ上へと上昇していくというものだった。僕はその人がなぜ上昇しなければいけないのか、その時は把握できなかった。こうして、高槻の温泉を眺めて、改めて「そうか」と気づいた。
 横に広げられないから上へ伸ばすしかないのだ。この温泉のように。あのクライアントもそうなのではないかって、ふと思い至ったのだ。あのクライアントの生活も心も、広がっていかないのだ。広がっていくことが制限されているのだ。だから上へ上へと伸ばしていかざるを得ないのではないか。そうだとすると、あの人はとても窮屈な世界で生きているのかもしれない。とても束縛されているのかもしれない。あの人は自分で思っている以上に、あるいは僕が理解している以上に、自由がないのだ、世界が広がっていかないのだ。
 それに思い至ると、僕は手がかりを得たように感じる。実は、そのクライアントは最近来られた方で、どういう風に関わり、どの部分が「治療」されないといけないのか、僕は暗中模索している状態だった。こういう手がかりは僕に光明を与えてくれる。
 サウナの中で、汗びっしょりになりながら、僕はきっとニンマリしていただろうと思う。周りの人からすれば、なんて気色悪い奴だと映ったかもしれない。そんなことどうだっていい。そういう光明が僕を支えてくれるのだから。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 温泉、サウナに浸かっている時でもクライアントのことを考えるのは、はっきり言えば、職業病のようなものである。でも、何気ない場面での思いつきが、後々、僕を助けてくれることもあるものだ。そういう思いつきは、案外、疎かにできないものである。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2013年1月28日 月曜日

1月28日:ガールズバーの話

1月28日(月):ガールズバーの話

 仕事を終え、夜勤前の時間を喫茶店で過ごす。自己対話編を書いた。まだ、わずかに時間に余裕がある。ブログを一本仕上げようと思う。と言っても、これと言って書くこともない。
 いや、書くこと、話すことがないなんて人間は存在しないものだ。自分に目を向ければ、何かが出てくるものだ。自分に目を向けないから、話すことがないとか、そんなことが言えるのだと僕は思う。

 土曜日の晩にお酒を飲んだ。昨日、今日は飲んでいない。お酒を飲むのも、何だか疲れてきた。お酒そのものを楽しんでいるという感じではないな。誰か話し相手を求めて、行きつけの店に行っているだけだという感じが強い。最近、そう感じることがよくある。
 この前はバーテンダーの話をしたのだったな。今日はそのつながりでガールズバーなんてものについて書いてみよう。年に数回、その手の店に行く。行く前は、何か面白そうだなと思うのだが、帰る時には行くんじゃなかったと後悔することばかりだ。
 ちなみにガールズバーというのは日本にしかないのだそうだ。恐らく、女性とお喋りするくらいなら、日本の男性は罪意識を感じることがないのだろう。その辺りが妥協できるラインなのかもしれないな。
 しかし、働いている女の子たちはみんな若い。若くて、仕事のなんたるかを知らない子ばかりだ。接客ということがどういうことかも分かっていないんじゃないかって思うような子もいる。
 ちなみに、あの手の店は、一時間なんぼで計算する。それがいわば基本料金だ。それが安いと思われても、それ以外のお金がかかってくるから要注意だ。その基本料金は僕の飲み分だ。女の子の飲み代は別会計なのだ。なんで店の女の子が客にねだるのか、あの構図は僕には理解できない。基本料金を上げてもいいから、酒を飲まない女の子についてほしいものだ。それで客のお金でガバガバ飲む女の子もおる。別にその子の飲み代くらいでとやかく言うことはないのだけれど、遠慮なく飲んで、ただ飲むだけの女の子は御免だ。
 僕が女性で、しかも年がもっと若かったら、ガールズバーでバイトをするだろうな。あれほど安楽なバイトはないって、実は、思っている。差別や偏見と取られそうだけれど、それが僕の本音である。
 スナックやキャバクラなんかとはまったく違うのだ。ガールズバーの子たちは、客とのアフターでの付き合いもなければ、同僚同士で客からの指名の数を競うこともないのだ。客の酒を、それが自分の苦手な酒であっても、飲むではなく、自分の好きな物を飲めるのだ。それも客の奢りで。あんな楽な仕事はないな。特別な技術も要らないのだから。
 酒を飲んで、話し相手が欲しくなるという気持ちは分かるし、僕にもそれはある。口唇期の名残りだ。そこで話し相手を用意してくれている店がある。需要と供給がちゃんと揃っているわけだ。でも、セックスできるわけではなく、接触があるわけでもない。言葉は悪いけれど、目の前にマスコット人形が置いてあるようなものだ。僕はそこまで性的不能者ではないと自負しているつもりなのだが。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 ガールズバーっていうのは、ガールということだけで仕事ができる分野だ。特別な研修も何も要らない。応募して、その日のうちに仕事が始められるのだ。
 今でもその手の店にちょくちょく顔を出すことがある。今どきの若い子の意識を知るにはいい場所だと思っている。特に、僕のような若い人と接点のない人間にとっては。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2013年1月26日 土曜日

1月26日:カクテル

1月26日(土):カクテル

 昨日は夜勤明けで、そのまま外出した。夜はお酒が欲しくなって、飲み歩いた。
 昔のコンビニ時代の知り合いのやっている居酒屋に入る。その人はもうその店から手を引いているのだけれど、その当時の店員さんがそのまま店を引き継いでやっているのだ。だから、あの界隈に行くと、まず、その店に顔を出すようにはしている。
 まあ、あの店のことは置いといて、その後、僕は何軒かのバーに立ち寄る。カクテルなんぞを飲みたく思ったからだ。
 そもそも、カクテルから僕はお酒に入ったのだ。当時はカクテルがたいへんなブームだった。カクテルに詳しいと、女の子にモテたものだった。
 今はあまりカクテル系は飲まれないようだ。一応、居酒屋なんかにもカクテルメニューはある。でも、それらはけっこう出来合いの代物だったりもする。取りあえずはそういうものも飲める。一応、それらしいものに仕上がっている。でも、あれは本物じゃないなといつも思う。居酒屋だから、それで良しで済ませられるのだ。
 さて、ちょっと本物のカクテルを飲みたいと思ったので、僕はバーに入る。若い男性がシェーカーを振ってくれる。見ただけで、振り慣れていないのが分かる。飲んでみる。やはり味に張りがないのだ。
 二軒目に入る。今度は外人のバーテンダーだった。正確に言うと、ロシアと日本のハーフなのだそうだ。彼に作ってもらう。水っぽい。つまり振り過ぎなのだ。
 バーテンダーでも、きちんとカクテルの作れる人と会う機会が減ってきたなと思った。それだけ注文がないのだろう。注文されないので、彼らは練習する機会が与えられないのだろう。
 カウンセリングでも同じだ。初心者や研修生が実習して、経験を積むのに適したクライアントが少なくなっているそうだ。つまり「重い」クライアントが多いのだそうだ。
どの分野であれ、こうして上手な人が少なくなっていくのだろうと思う。そう思うと、寂しい限りだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 不景気な世の中では、経験を積んで熟練していく機会が失われていくと思う。新しく仕事が入ってこないということが繰り返されるからだ。こうして、日本から熟練者やベテランが姿を消していくのだろうと思う。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2013年1月24日 木曜日

1月24日:結婚願望を持つ女性たち

1月24日(木):結婚願望を持つ女性たち

 このところ、仕事をするのが少し億劫だと感じられていた。気分も塞ぎこむことが多かった。それに疲れやすいし、集中力も持続しない感じに悩まされていた。でも、それももう間もなく終わりそうな予感がしている。今日は幾分、そうした気分がましなのを感じている。
 僕もまた抑うつを頻繁に体験する人間だ。そもそも、人間から「うつ」気分を除去しようという発想が僕にはないし、それは間違っていることだとさえ思っている。要は、「うつ」とも上手く付き合わなくてはならないということだ。「うつ」気分は常にその人にシグナルを送っているものだ。
 今日、朝から夜まで仕事をして、この後、夜勤を控えている。その間にいろいろ原稿なんかの書き物をしておこうと思う。お腹は空いているけれど、晩御飯を食べている時間が勿体ない。夜勤の休憩時間に何か食べよう。それまでは我慢だ。
 未公開の原稿を順次公開していこうと思っている。今日は2つ公開した。夢の旅シリーズも、もう一度読み直し、分析してみるという作業をしている。今日はその改訂版の夢の旅を5つ公開した。これは5つ単位で公開していこう。ブログも公開しようと思っていたけれど、それは明日に回すことにした。
 やはり、人と会うのが面白いと感じている。今日のクライアントさんたちもそうだし、お店なんかで出くわす人なんかも見ていると面白いし、興味深い。
 昨夜はYさんと食事に行った。僕たちの隣の席で3人の女性が結婚願望をぶつけあっていた。何気なくそれを聞いている。彼女たちが席を立った時、僕はその3人をちらりと見た。みんな20代後半くらいだ。でも、それ以上に幼く見えてしまうのだ。こんなことを言うとお叱りを受けそうだけれど、彼女たちは結婚は当分できないだろうな。今の彼女たちがそのまま結婚したとしても、恋愛ごっこのような夫婦生活を送ることになるんじゃないかな。
 結婚は、僕から見ると、お互いに自分の人生を相手に賭するという側面があるように思う。だから相手の人生の重みがあるわけだ。それを担えるほど、彼女たちは成熟していないように僕には見えたのだ。
 あくまでも、僕にはそう見えたというだけのことだ。一瞥しただけの判断だから、まず正しいとは思えないのだけれど、結婚に関しての重みというのは、僕の正直な考えだ。夫婦問題のカウンセリングをしていると、安易に結婚を考えていた人たちが多いなと感じてしまうのだ。別にその人たちを非難しているわけではない。彼らは結婚した時、結婚の重みということを知らないで結婚したに過ぎない。
 誰かと結婚する。相手と一緒になるために、多くの物を断念しなければならない。これは男でも女でも同じだと僕は考えている。比較すればどちらがより断念するものが多いか少ないかという話もできるだろうけれど、その数はあまり重要だとは思わない。そうして、何かを断念し、相手との生活に賭けるわけだ。相手もまた自分に賭けてきてくれるのだ。それは負担であると同時に、大きな喜びでもあると僕は感じる。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 お叱りを受けることを覚悟の上で言うのだけれど、夫婦問題で来談されるクライアントたちは、そもそもの最初から「夫婦」ではなかったのだ。結婚はしたものの、法的には夫婦になったものの、「夫婦」ではなかったのである。そういう人たちが来談されるのだ。
(平成28年12月)

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2013年1月23日 水曜日

1月23日:僕の自己愛

1月23日(水):僕の自己愛

 夜勤明けの早朝にこれを書いている。二日連続の夜勤だった。月曜日から火曜日にかけての晩は電気の仕事の方で、屋上の吹きさらしの中、雨に打たれながら仕事をした。昨日から今朝にかけての夜勤はコンビニの方である。
 コンビニの方は散々だった。頭がボケてきちんと仕事できなかった。いくつかヘマをやらかしている。迷惑をかけるから、あまりシフトに入らない方がいいのではないかと自分でもそう考えていた矢先に、シフトを組む担当の人から、夜勤をもう一日増やしてくれと言われてしまう。非常に迷っている。
 できることなら仕事をしたいし、少しでも稼いで、負債を早く終わらせたいという気持ちもある。でも、一方で、小さなミスをやらかして迷惑をかけてしまうのも心苦しい。
 ミスと言うけれど、他のバイトの人たちも同じようなミスをけっこうやらかしているのだ。それだけコンビニの業務が煩雑だからだと思う。でも、他の人たちはさておき、僕は僕自身が許せない感じを体験している。小さなミスをやらかしてしまう自分が許せなく感じている。
 ミスをやらかして心苦しく思うというのは、僕の自己愛が傷ついたことを示している。僕は心のどこかで僕はもっとできる人間なのだと信じているのだ。その信念がぐらついてしまっているのだ。そのミスは、僕ができる人間でもなんでもないということを、僕自身に残酷なほど如実に見せつける。それで苦しく思っているのだ。
 そういえば、僕の前の時間帯の人のミスを見つけたけれど、それは全然腹が立たない。自分のミスにはものすごく立腹する。他人のミスには意外と寛大だなと自分で思うのだが、自分のミスは決して許せない。これもまた僕の自己愛なのだ。
 自己愛というのは、あまりいいようには思われないことが多いのだけれど、これは必ずしも自己チューという意味だけではない。健全な自己愛を人は持つべきなのである。それが不健全に表れるから問題になるだけのことなのだ。そして、自己愛は、コフートの説くように、発達していかなければならない心の領域だ
 僕がここで述べている自己愛というのは、いささか完全主義で、自分に厳しくて、それが簡単に揺れ動いてしまっているが故に問題だと感じる。
 ああ、しかし、今日のミスは少し恥ずかしいな。店にも客にも損失を与えたわけではないのだけれど、きちんと仕事を覚えていないことが露呈してしまったな。難しいとか、複雑だとか、そんなことばかり言っていないで、もう一度、コンビニの各種の作業を復習しないといけないな。最初の頃はやっていたのだけれど、本業の方に時間を取られるようになって、疎かになっていたな。
 副業であれ、やることはきちんとやりたいと思う。こう思うこともまた僕の自己愛の表れなのだが。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 今はコンビニ業界も低迷しているようだ。この頃からその風潮があった。生き残るためにいろんなところと提携し、いろんなサービスを増やしていく。今のアルバイトの人たちは、昔に比べて、はるかに多くのことを覚えなければならなくなっている。そんなことをしても、いずれ、破綻するに決まっているのに。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

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