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2012年8月18日 土曜日

8月18日:厳しい一日

8月18日(土):厳しい一日

 今日は高槻の職場に行って、明日の仕事の準備をしておきたかった。おそらく一日仕事になるだろう。
 今日、本当は父の仕事の手伝いのために休業しているのだけれど、そちらが行けないのだから、僕は本職の方のことをすると決めた。幸い、今日の父の仕事の現場が高槻近辺なので、朝、父に高槻まで送ってもらう。早朝で、職場のビルはまだ開いていない。だから喫茶店で時間を潰す。ああ、自動ドアというのは本当にありがたいものだと思った。喫茶店のドアが手動なので、開けるのに手間取った。
 そこそこいい時間になったので、職場に出る。階段が本当に辛かった。現地に行って、まず、どうやって登ろうかと思案する。松葉杖を使って上手く上がろうとするけれど、けっこう階段は怖いと思った。結局、松葉杖を小脇に抱え、膝を着き、ハイハイ状態で三階まで上がる。あまり人には見せられない姿だ。
 職場に入る。室内に入って、まずしたことはその場に崩れることだ。ここまでで疲労困憊してしまった。しばらく休む。それから洗い物なんかをする。松葉杖を両脇に挟み、怪我をした左足を若干浮かしてやる。けっこういろんな部位に力を入れている。
 次ははたきがけだ。一か所に立つ。手の届く範囲をする。それから数歩移動して、また手の届く範囲のはたきがけをする。物凄く時間がかかる。少しやっては、その場に座り込んで一服して、立ち上がっては続きをするということを繰り返す。
 次に掃除機をかけようと思って、ハタと立ち止まる。こればかりは松葉杖を突いていてはできないと分かったからだ。座ってやろうかとも思ったけれど、それ以前に掃除機を持ち運ぶこと、取り出すこともままならない。これは困ったと思った。
 昼過ぎ、Yさんに電話をかけて、ちょっと立ち寄って、掃除機かけてくれないかと頼む。ああ、Yさんも忙しくて無理だと言われた時は、少しショックだった。彼女は昼と夜のバイトがあって、その合間にちょっと寄って、掃除機をかけてくれないかなと期待したのだ。せいぜい5分くらいで終わることなんだけれど、ああ、ダメだったか。
 結局、掃除機は断念する。その後、資料や記録を見直したりする。これは座ってできる作業だ。これで一応、明日の準備は整った。しかし、困ったことに、今度は帰るのが億劫になってきた。電車に乗るのも、乗客が多かったら嫌だなと感じていた。
 そこで何をしたかと言うと、このまま遅くまで職場に残ってやれと決めたのだ。早く家に帰っても安静にしているだけなのだから、今ここで先に安静にしておこうと決めたのだ。そうして夜まで寝て過ごす。ダラダラと本を読んだりして過ごす。
 いい時間になったので、取り敢えず高槻市駅まで行く。そこまで行けたら後は大丈夫だ。駅まで電車が運んでくれる。そこから先はタクシーを拾うことができるからだ。
 そんなこんなで、今日もなんとか一日終えた。本当にキビシイ一日だった。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 Yさんに救援を求めたが、だめだった日か。懐かしいな。以後、確か掃除機は、片足立ちで、ケンケン状態でやったのだと思う。また、階段の昇降は、この日の苦労を契機にして、効率的に体力を使わないような上り方を工夫し、自分なりに考案したのだった。
(平成28年12月)

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2012年8月17日 金曜日

8月17日:松葉杖で外出

8月17日(金):松葉杖で外出

 この二日間は家から一歩も出なかった。明日から高槻に行かなくてはいけない。仕事の準備をしておかないといけないからだ。だから、松葉杖で歩く練習をしておこうと思って、外出した。
 外出した理由はもう一つある。タバコが切れたのだ。タバコの本数が増えた。患部が痛むので、どうしても欲しくなるのだ。それで吸い過ぎてしまうのだ。もちろん痛み止めの薬なんて十分に効かない。
 炎天下の中、松葉杖で歩く。とても辛い。ノロノロとしか進まない。日光でジリジリ体が焼かれる。外出したことを少し後悔したりして。
 何度も立ち止まっては休憩して、ようやく近くのコンビニに辿り着く。いつもならすぐ歩いて行けて、何の苦もない道のりだ。ものすごく時間と体力を消耗した。
 店内に入る。まあ、あのコンビニ店員の冷たいこと。松葉杖をついて、尚且つ両手に品物を持っている。声を掛けようともしない。不親切だなと思ってしまうけど、自分はそういうことをしないようにと、これで我が身を正そうとも思った。
 レジで支払いをする。まだレジカウンターから離れる準備もできていないのに、店員は次の客を招く。マジかよと思って、いそいそとその場を後にする。
 店頭に出る。そこで取り敢えず、今購入したばかりのタバコに火をつける。これから帰りの道のりが待っているのかと思うと、いささか億劫である。さて、どうしたものかなと思っていると、なんと、そこにバイト先の店長が来たではないか。
 店長が僕を見て「なんで会うねん」と言う。僕は「知らんがな」と言いたかったけれど、合いの手を入れるほど余裕もない。店長も外出していて、タバコを買いに立ち寄ったそうだ。
 帰り道、何度も休憩して、ようやく家に帰った。これだけでクタクタだ。明日から本当に職場に行けるのだろうか。そんな不安に襲われる。
 今、僕の不安はもっぱらそこにある。予約しているクライアントに対して、僕はできるだけキャンセルしたくないと思っている。だから日曜日の予約は何としてもこなさなくてはならない。そのためには、明日のうちに準備をしておかなければならない。いや、明日、明後日だけの話ではない。その後の仕事のことも心配している。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 カウンセリングだけはキャンセルしなかった。町場杖をついてでも面接をした。階段の
上り下りも工夫して編み出した。あまり人様には見せられないフォームだけど。でも、この時、編み出したやり方が、今年の膝の怪我で大いに役立ったのは皮肉なことだ。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2012年8月14日 火曜日

8月14日:骨折してしまった

8月14日(火):骨折してしまった

 朝、家の中で忙しく立ち働いている時、家具に左足をぶつけてしまう。
 ぶつけた瞬間、痛みを感じたが、それよりも力が抜けたようになって、その場にヘタヘタと頽れる。
 痛みが激しい。母は打ち身とかねん挫とか、そういうものと見ていたようだ。でも、僕はそういう痛みとは違うということに気づいた。立つことができないのだ。体重がかかると激しく痛み出して、力が入らないのだ。
 僕は心配なので、病院に行くことにした。父に車を出してもらおうかと思ったけれど、こういう時、父にそういう期待をする方が間違っていると僕は思ったので、タクシーを呼ぶ。
 最初の病院では、医師が不在だからと言って断られる。代わりにそこよりも遠方の病院に回される。こちらから向こうには連絡してあるから受付で名前を言えばすぐに分かると言う。
 タクシーを待つ。向こうの遠い方の病院に行く。受付で僕の名前を言う。まるで通じていない。僕はそこで一から説明しなければならなくなった。全然手配がきちんとされていないなと思いつつ。
 各診察室には番号が付されていて、僕は5番の前で待っているように言われた。向こうの端から123と続いて3の次は56と続いている。4は縁起が悪いから抜けているのだけれど、123567の方が不自然で気持ち悪いと感じた。
 整形外科の先生は温厚そうだが、でっぷり太った人だった。メタボなお腹をしてるなと思った。しかし、メタボくらいで人間の価値が決まるわけではないのだから、全然構わないのだが。
 骨折の疑いがあるからということで、僕はレントゲン室へ行くように言われた。ちなみにレントゲン室は20番だった。5番から20番まで歩かせるのかよと内心腹を立てつつ、杖を突いてよたよた歩く。
 20番前のベンチで一人腰かけている男がいる。明らかに患者ではない。何かの業者だ。そいつが入り口に近い所を占有している。そろそろ僕も頭に来ていたので、一つこいつにガーッと言ってやろうかとも思った。しかし、揉め事は懲り懲りだと思い、大人しくする。
 僕の名前が呼ばれる。僕は立ち上がって、その男の前を迂回して、レントゲン室に入る。レントゲン技師は男性で髭を生やしていたが、あまり不快な印象を与えない人だ。2枚、撮影する。撮影が済んだら、再び5番で待ってくれと言われる。今度は20番から5番へと、杖を突いてヨタヨタ歩く。もう少し、この移動は何とかできんものかいなと思いながら。動く歩道でも真ん中に設置してくれたらいいのになどと思いつつ。
 5番の前。名前が呼ばれる。レントゲン写真を見て、メタボ腹の先生が「折れてますね」と。僕も見させてもらう。素人目に見てもよく分かる。足の骨が写っていて、そこに一本きれいに筋が通っておるのだ。それがひびなのだ。
 患部を固定して、松葉杖の練習をすることになった。リハビリ室に連れて行かれる。松葉杖を指導してくれるのは、まだ年の若い女性で、名札を見るとYさんだった。つまりYさんと同じ名前、同じ表記のYだったのだ。若い女性に体を支えて貰ったり、何となく照れくさいものがある。
 リハビリを終える。店に電話をかけて今夜のシフトは入れないと伝えようとするが、つながらず。家に電話をかける。父が店まで行って伝えてくると言う。店の方は交代人員を手配しなければいけないから、早目に伝えないといけなかったので、そこは父にお願いする。
 会計まで待たされる。タクシーを呼ぶ。そこでも待たされる。タクシーに乗る。渋滞でノロノロとしか動かない。父が行ってくれたとはいえ、僕も一応店に顔を出しておこうと思う。松葉杖をついた僕を見て、勤務していた人たちは驚いたようだ。
 僕も恥ずかしい思いだった。無理を言って、休ませてもらう。ついでにタバコも買う。実は、病院ではタバコを吸えなくて、しかも痛くて、とにかく非常に辛かったのだ。
 帰宅する。家の中ではほふく前進状態で過ごす。骨折して、なんとも自分がやるせない。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 とんだ災難だった。この日は朝からバタバタと走り回っていたのだった。その時に生じた事故だった。お盆で病院も一杯だった。この時の怪我で、一時、二つのアルバイトを休むことになったのだが、カウンセリングだけは休まなかった。
(平成28年12月)

 

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2012年8月12日 日曜日

8月12日:宇宙飛行士の話

8月12日(日):宇宙飛行士の話

 こんなタイトルを掲げたけれど、誤解のないように申し上げたいことは、タイトルとは裏腹に、まったく夢のない話をするだろうということです。

 僕は日本人で宇宙に行った人たちのことを、あまり良く思わないのだ。これは偶然にも僕の父と同意見だった。昨日、父からもそういう話を聞くことができた。ただ、父は宇宙飛行士そのものが好きになれないのだけれど、僕は一応、宇宙飛行士個人と日本という国とを分けて考えるようにはしている。
 現実に一人の日本人が宇宙に行くために、巨額の税金が投入されているのだ。それもアメリカやロシアの宇宙船に乗せてもらうためにである。日本の宇宙船に日本人宇宙飛行士が乗り込む分には全然構わないのであるが、実際はお金を出して乗せてもらっているという形になってしまっているのだ。そこに問題を感じるのである。それだけの税金を投入するのであれば、景気対策、雇用対策にもっと回すべきである。百歩妥協して、日本の宇宙開発費用に回すべきである。これが僕の考えるところなのだ。
 そもそも宇宙に行って何をしようというのか、僕は疑問を覚える。研究のためだと称しているが、その研究は今現在どうしてもしなければならないことなのだろうか。僕はその方面の専門外だから、あまりまともなことは言えないだろうけれど、何となく、あまり重要性が感じられない気もするのである。人間が宇宙で生活できるようになる前に、地球を良くすること、日本という国をもっと住みやすいものにしていく努力の方が先決ではないだろうか。僕はそう思うのだ。ここでも百歩譲ろう。それなら日本の技術を駆使して立派な日本製の宇宙船を作り、その宇宙船で諸外国の方々に宇宙を体験してもらうことの方がよっぽど意義のある仕事だと僕は思うのだ。もちろん、これはそうそう実現しないだろうとは思うけれど。でも、いつまでもタクシーの乗客のような立場に甘んじるのではなくて、タクシー会社を運営する側に、客ではなくホストの側になることも大切なことではないだろうかと僕は思うのだ。
 いかんいかん、どうも愚痴っぽくなってしまった。本音を言えば、一人の宇宙飛行士に巨額の税金を投入するくらいなら、この僕に税金を投入してくれんかいなということなのだ。要するに嫉妬しているのだな。
 しかしながら、SF小説は好きだけれど、僕は個人的には現実に宇宙に行きたいとは思わないし、人類が宇宙に手を出すことに反対している人間なのだ。人類は進化して地上で生きるようになった。その時、人類に大地が与えられたのだ。我々は自分たちに与えられたものの範囲で幸福に生きることをもっと学ばなければならないのではないか、僕はそう思うのだ。
 くどくどと綴ってきたけれど、これは僕の個人的な考えなのであって、いちいち反論や批評をネットなどで書き込まないようにしていただきたいものだ。僕のような人間にも個人的な思想を表明する権利が与えられていいだろうと僕は思うのだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 先進国とは、要するに、核かロケットを作れる国のことなのだ。日本もそういう先進国の仲間入りをしているわけだが、核もロケットも兵器になるから強いわけである。先進国とは、決して、その国の人たちの幸福度で決められているものではないのだ。
(平成28年12月)

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2012年8月 3日 金曜日

8月3日:店長と飲む

8月3日(金):店長と飲む

 今日は定休日だ。休みだからと言って休めないのが現状だ。午前中はサイトの原稿を書いて過ごし、午後からはアルバイトに行く。その間に散髪にも行っておいた。
 バイトが終わってからも仕事をしようと思っていたのだけれど、どうも気が乗らない。それでバイトの近所の呑み屋に行く。昨日も書いたワインバーだ。
 そこに行くと、案の定、店長が飲んでいた。それで一緒に飲む。
 昔はよく衝突したりとか、ケンカしたりとかあったけれど、それがこうして一緒にお酒を飲むようになるとは、僕も信じられない思いがする。店長は僕が以前よりも丸くなったと言うんだけれど、僕から見ると店長の方が以前よりも丸くなった。お互い丸くなったということか。
 店長も僕も昔はそれだけ尖がっていたんだなと思う。当時は、僕の方は自分の人生がはっきり決まらなくて不安定だったっていうのもあるな。言い訳するのではないんだけれど、いろんなことで緊張感を覚えていたな。それに、今から考えるとよくやったなって思えるくらい、かなり無理していた。そういう無理が効く年代だったんだな。今、この年で当時と同じことをしろと言われたら、多分、できないだろうな。
 昔の自分が恥ずかしいと思うこともある。バイトを再開してからは特に以前働いていた時代のことでそう思う。当時のことを振り返ると、恥ずかしいと思うことが多々あるのだけれど、一方で、それくらいまで思えるのはいいことだとも感じている。
 当時は当時で、それで一生懸命だった。恥ずかしいなんて思う余裕もなかったな。そこから距離が取れているから、当時の自分を振り返ると恥ずかしいなんて思えるようになったんじゃないかって、僕はそう感じている。つまり、それが過去のこととして僕の中で位置づけられているから、そう感じるのじゃないかって、そう思う。
 もし、その当時のことを思い出して、今でも腹が立つとしたら、それは当時のことが過去になっていなくて、現在性を維持したまま残っているっていうことだ。過去のことが過去のことになっているから、過去の自分を振り返ると恥ずかしいなんて言えるわけだ。それだけ、過去の自分との間に距離を置いて眺めることができているということでもあるわけだ。僕はこれは望ましいことだって思っている。
 お互い、過去のことになっているから、一緒に昔話もできるというものだ。お互いに昔とは違っているのであれば、昔とは違った関係を一から築いていけばいいわけだ。それも悪いことではないな。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 僕の人間関係観も読み取れるな。人間関係に関して、僕は淡泊なところもあるようだ。一緒に過ごす時は堪能し、別れる時はキッパリ別れる。縁があれば人生のどこかで再開するだろうし、お互いが以前とは変わっていれば、そこから新しい関係を築けばいい。
 もし、自分が変わっても、相手が変わってないなら意味がないと考える人がいれば、僕はこう答える。じゃあ、自分だけ変わりなさいと。相手が変わることを期待しないだけで、僕の経験では、人間関係がやりやすくなったものだ。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

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