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2012年7月26日 木曜日

7月26日:書架より~『盤面の敵』

7月26日(木):書架より~『盤面の敵』

 時々、このブログでも書くけれど、僕は推理小説(ミステリ、探偵小説)がすごく好きだ。それも最近のものではなく、黄金時代のものが好きだ。黄金時代とは1920年から50年代までを指し、その年代に活躍した作家たちの作品のことだ。もちろん、僕の個人的な趣味による分類である。これは第二期黄金時代で、第一期は19世紀後半頃の短編中心の時代だ。この時代の作家、作品も好きである。
 さて、実家にはその時代の推理小説が数百冊ある。何か読みたいと思い、本棚を見回す。本の背表紙をずーっと追っていくと、「おっ!」という一冊に行き当たる。何か、本の方から「わたしを読んで」と訴えてくるのが聞こえるかのように体験するのだ。こうして、手にした本が、エラリー・クイーンの『盤面の敵』(The Player On The Other Side)という作品だ。中学生頃に読んだ本だ。それで、20数年ぶりに読み返すことになった。
 昨日、読み始めて、今朝、読み終えた。それなりに面白い作品である。でも、かつて感じたような面白さはなかったな。
 推理小説に関しては、暗黙のルールがある(と僕は思っている)。あまり、内容を漏らしてはいけないというルールだ。だから書きたいと思うことが、思うように書けないという不便さがある。できるだけ内容に触れないように書こうと思う。

 中学生の頃に読んだ時、すごく面白いと感じたのだけれど、今回読み直してみて、そこまで面白いと感じなかったのは、僕の目が肥えてきたからなのか、当時ほど感動する心を失っているのか、どちらとも言えない。何となく、エラリーの推理が冴えないという感じがするのだ。4人のヨーク家の従妹を順番に狙う犯人に対して、二人目、三人目の犯行を許し、危うく四人目が成功してしまうというのは、何とも後味が悪い。
 でも、面白い点もある。珍しいことであるが、本作では二重人格を正面から扱っているということである。作中の人物がはっきりとした二重人格なのである。よくある一人二役とかいうトリックではなくて、正真正銘の二重人格である。これに対して、エラリーもクイーン警視もどう対処していいか戸惑うのが印象に残った。それに、現在のサイコミステリなどというような作品につきものの残虐さがないというのも好感が持てる。
 作中にパーシバル・ヨークという人物が登場する。彼は「悪」として描かれているが、事件を経験して心を入れ替え「善」となっていくのだが、これも二重人格テーマとリンクしているのかもしれない。
 また、推理小説を読んでいる時、言われてみれば僕自身も人格が分かれているかもしれない。小説を読んで、犯人のトリックを推理している僕と同時に、作者ならこういう目くらましをするだろうなと考えたりしているのだ。つまり、犯人に挑戦していると同時に、作者にも挑戦しているような感じで、二つの視点で読んでいるなと気づくのである。これもまた二重人格的な要素を帯びているのかもしれない。
 そもそも、推理小説自体が二重構造を有する文学だ。読者が実際に読むストーリーと、犯人側のストーリーがある。犯人側のストーリーを再構築することが、いわゆる「推理」ということではないか。読者は二重構造をそのまま受け入れているのであるが、こうした推理小説の構造が、二重人格テーマを自然に受け入れるのに一役買っているのかもしれない。僕はそう思うのである。
 しかしながら、本作における二重人格は、現実の臨床で出会うものとはかなり異なるものである。本作では、かなり「都合よく」交代人格が現れているという感じがするのである。もちろん、それで本作の価値が下がるわけではないが、臨床家のはしくれとして、指摘しておきたいところである。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 前回から、ブログの日付が飛んでいるけど、ここも「Yさんへの手紙」を割愛したためである。
 中学生の頃は、エラリー・クイーンが好きだった。中には、一度読んだきりなのに、いまでもよく覚えている作品もある。相当、インパクトがあったんだろうな。『盤面の敵』は、そういう意味では、印象に残っていない作品だったが、クイーンにもこういうサイコミステリの系列に入りそうな作品があったということは、新たな発見だった。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2012年7月10日 火曜日

7月10日:休めない休日

7月10日(火):休めない休日

 今日はバイトの初日だったのだけれど、店の方の事情で一回遅らせて欲しいと言ってきた。それで急遽、今日は予定が空いてしまったのだ。それはそれで残念なことなんだけれど、いきなり時間が空くというのも困ったものだ。

 取り敢えず、高槻に出た。特に何かしなければいけないという用事があるわけでもない。一日の大半をパソコンの作業に費やす。
 パソコンを初期化して、まだ本調子ではない。パソコンが勝手に更新をインストールするので、それがやたらとある。電源を切るときにパソコンが自動でその作業をする。今日一日で、何回電源を入れたり切ったりしたことか。その都度、何かが更新されるのだ。
 先日などは「更新プログラム120個実施しています」なんて説明が画面に出るのだ。さすがに120個もの更新は時間がかかったね。今日はこまめに更新させたので、分からないけれど、20~30くらいの更新作業をしたんじゃないかな。
 しかし、こういう更新作業というものは、パソコンが勝手にやりおるので、僕の方は一体何が行われているのかさっぱりわからんという状態だ。でも、パソコンが一方的にやることなので、そこはパソコンに任せようということになる。そして、作業の途中で電源を落として、更新させて、その間は待ち時間だ。便利なのか不便なのか分からんね。
 確かにけっこうイライラさせられることも多い。昨夜、高槻で派手にケンカしている人たちがいたけれど、みんなイライラしているんだろうなとも思う。日中の暑さに僕はまいっていて、いつも以上に短気になっていたかもしれない。
 結局、サイトの方は手を付けることなく今日は終わった。夜は三時間ほど原稿を書いたりして過ごしたけれど、公開の方が追い付かないから、どんどん溜まっていく。少しずつ公開するようにはするつもりなんだけれど、トラブルも多い。
 結局、急遽休みになったとは言え、パソコンの作業でけっこうな時間を費やして、まったく休日らしくない一日になってしまったな。
 しかしながら、初期化してから、徐々にパソコンが以前のように速やかになっていっているから、何となく、この不便さも先が見えるような思いがする。いい兆しを見るようにしないと、やりきれないね。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 昔アルバイトしていたコンビニさんでバイトを再開したのだけど、まあ、ひどかったな。上の人間が駄目になると、こうも店がひどくなるのかと思った。でも、それはその店だけではなく、コンビニ全体がそうなんだということも、今では見えるようになっている。
(平成28年12月)

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2012年7月 6日 金曜日

7月6日:バイト先の店長

7月6日(金):バイト先の店長

 先月の末からバイトを探している。何か始めたくなっているからだ。僕の中でそういう感情が湧いている。
 バイトと言っても、本業と時間が重ならないということが絶対条件だ。それから年齢もあるし、交通手段の関係もある。それでいろいろ考えていたのだけれど、経験のあるコンビニで探してみることにした。ちょうど、一軒、近所のコンビニが募集していたので、問い合わせてみた。その時、店長が不在だったので、折り返し連絡するということだったのだけれど、一週間経っても音沙汰なしである。ここで一週間無駄にしたのが腹立たしい。
 結局、そこはこちらからお断りで、他を探すことにした。まず、朝早く起きて、自転車を整備して、乗れるようにした。長いこと乗っていなかったから、動くかどうか心配だった。そして、自転車で通える範囲内のコンビニをすべて回ってみた。大体15軒ほど回った。そのうちの5,6軒が募集をかけていた。かつてバイトしていた古巣にも行ってみたけれど、募集はしていないようだったので、他を探す。距離的に近い所から当たろうと、近所の一軒に応募する。それで先日の火曜日に面接をしたのだ。

 普段面接する側の僕が面接されるというのは、なんだかとても新鮮な体験だった。面接する側の対応一つで、非常に緊張したり落ち着いたりするものだと、改めて実感した。この面接の結果を金曜日、つまり、今日報告するということだった。
 ところが、昨日、古巣の店長から電話がかかってきた。僕が訪れたということが店長の耳に入って、店長の中で何かピンとくるものがあったらしい。僕は夜勤をやろうと思っているということを伝えた。店長は、それなら今晩、飲みながら、そういう話をしようかと誘ってくれた。
 昨夜、店長と会って、店長の考え方や、今の店の状況なども詳しく聞かせてもらった。僕は手伝いたい気分になっている。それで、面接を受けた方の店から、今日、電話がかかってきて、採用が決定したのだけれど、そちらは断ることになってしまった。向こうの店には迷惑をかけたかもしれないけれど、僕の人生なので、僕が決めるつもりだ。それに、迷惑をかけようなんて気持ちはさらさらなかったのだ。偶然、こういう成り行きになってしまっただけなのだ。でも、それはそれで、僕は嬉しかったね。この年でも、僕は雇ってもらえる人間なんだって実感できたからなんだ。

 さて、昨夜、およそ7年ぶりくらいで店長と会った。店長もお年を召されたなという感じである。それに、人柄も穏やかになっておられた。店長も僕のことを丸くなったと感じておられたようだ。お互いに変わったということであれば、結構なことだと思う。何となくではあるけれど、店長とも今度は仲良くやっていけそうだっていう気がしている。
 店長と会って、当時の僕自身を思い出す。20代の後半頃だ。あの頃は僕も気持ちに余裕がなかったなと思うし、随分、尖がっていたなと思う。若い頃が恥ずかしいと思うようになったのは、僕が年を取った証拠なのかもしれないな。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 今の僕からは信じられないのだけど、当時は、外の世界ともっと接点を持っていないといけないと感じていた。独りで仕事をしていると、どうしても内にこもりがちになるし、外の世界から隔絶されてしまう。それを防ぎたいと、本業のほかに何かをしようと考えていたものだ。
 今は、それとは正反対の考え方をしている。もはや、外の世界と断絶してでも、自分の本業一本に絞ろうと考えている。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2012年7月 2日 月曜日

7月2日:ラーメンの話ー4

7月2日(月):ラーメンの話―4

 今日もラーメンネタだが、もうあまり書くこともない。非常に小さな事柄を細々と書くことになるだろう。

 これは個人的な見解であるが、ラーメン屋のから揚げは侮れないというのがある。変に美味かったりするのだ。
 これも個人的な見解であるが、ラーメンとビールは意外と合わないという感じがある。どうもどちらも満腹感をもたらす上に、口の中で両者がケンカするような感じがあるのだ。だからラーメン屋ではビールを注文しない。
 これも個人的な見解であるが、「豚骨」はOKである、「しょうゆ」もOKである、でも「豚骨しょうゆ」は邪道だと思っている。他にも「鶏しお」だの「みそとんこつ」だの、要するに、単独で通用するだしベースを二つ以上合わせるものは、どうにもいただけない。すごく濃くなったという感じしかしないのである。
 これも個人的な見解、いや、個人的な疑問と言おうか、よく「あっさり」は健康的だと謳われていたりするけれど、あれは本当だろうかっていうのがある。「あっさり」の方が味を出すために、「こってり」よりもたくさんの具材を煮込んでいたりするんじゃないかって思うのだ。
 これも個人的な見解である。僕は「つけ麺」は「ラーメン」と区別するべきだと思っている。どうも「つけ麺」はラーメンを食べたという感じがしないのである。「つけ麺」は「つけ麺」でいいのだが。
 これも個人的な思い込みなのだが、本当のラーメン好きは「替え玉」を注文しないと僕は信じている。「替え玉」というのは、要するに、麺だけおかわりをすることである。麺をすべて食べて、あたかも最初の状態に戻すようなものだ。悪あがきしているような感じがする。麺を食べたら、スープを堪能する。一食分のラーメンをそうして存分に楽しめればいいじゃないかと僕は思うのだ。
 これも個人的な好みであるが、ラーメン好きは麺の硬さは選ばないというのがある。僕は思うのである。店主がラーメンを開発する時に、必ずスープと麺の硬さがちゃんとマッチするように研究されているはずだと。だからそのスープともっとも相性が合う硬さになっているはずだと思うのだ。それをこちらで一方的に麺の硬さを注文するというのは、何ていうのか、店主に対して失礼なような気がするのだ。

 さて、この人生に何の役にも立たないラーメンネタも今回までとする。他にもネタはある。「ラーメン横細」(誤字ではない、「横綱」のことを僕はこう呼んでいる。看板の文字が「細」に見えるからである)のネギを最大限に活用する食べ方なども、本当は披露したいのだが、あまりにバカバカしいのでやめる。
 僕のサイトを熱心に読んでくれている人もあるのだけれど、この4日間のブログで、大分その人たちを怒らせたのじゃないかな。もっと有益なことを書けとか言われそうだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 要するに、ラーメンはもっともシンプルなものをシンプルな形のまま食すということである。そして、まず、店主の薦める通りの食べ方、店主が開発したそのままのものを食することである。
(平成28年12月)

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2012年7月 1日 日曜日

7月1日:ラーメンの話―3

7月1日(日):ラーメンの話―3

「呑み屋とラーメン屋は絶対に裏で手を組んでおる」と僕は信じて疑わないのだ。呑み屋を後にする。駅に向かう途中、絶妙のタイミングでラーメン屋が出てくるのだ。このタイミングの良さが怪しい。そして「おっ、ラーメンか」と思い、フラフラとラーメン屋に入る。
 ラーメンを食べた後で、「呑み屋―ラーメン屋連合」の思惑にはまった自分の迂闊さを後悔するのだ。もちろん、僕の妄想のようなものだ。

 「なかなかお客さんが増えなくてね」と訴えてきた呑み屋を何軒か僕は知っているのだけれど、どれも近くにラーメン屋がないのだ。だから、ラーメン屋を始める時は近くに呑み屋があること、それも呑み屋と駅の間、もしくは呑み屋と住宅街の間に店を出すといいのではないかと、僕は思っている。同じように、呑み屋をやろうというのでも、近くにラーメン屋があるかをチェックしておくとよいと思う。こうして勝手に共同戦線を張るのがいいって、僕は考えている。

 さて、そのラーメンであるが、いろんな具材が入っていたりする。僕は、ラーメンにしろ、うどんにしろ、お好み焼きにしろ、具材がごちゃごちゃ入っているやつは好きになれないのだ。シンプルなのがいい。
 そこで、今回、僕は「ラーメンに入っていて欲しくない具材ベスト3」を発表する。「ワースト3」と言うべきか。もちろん、僕の個人的な好みと偏見であるということを、予め申し上げておく。だから文句や苦情は言わないでね。
 普通、こういうランキングは順位の下の方から発表するのであるが、僕はいきなり堂々の第1位から始める。
 ラーメンに入っていて欲しくない具材の第1位は、ズバリ、「もやし」である。
 もやしが入っていると、何というのか、スープが水っぽく感じられるのだ。それにラーメンが冷めるという印象もある。注文したラーメンにもやしがいっぱい乗っかっていると、何だか水増しされたような気分になるのだ。だから、もやしは即座に食べ尽くす。
 第2位は「海苔」である。スープに浸しておくと、もわもわとなって、スープの水面に広がっていったことがある。あの侵略的な性格がいただけない。それにスープと合う感じもない。これも、侵略が始まる前に、さっさと食べて片づけておく。
 第3位は「玉子」である。これはゆで卵であるが、煮玉子のところもある。煮玉子というのは、おでんの玉子を思い浮かべていただければよい。煮込んで、味がついているのである。これもラーメンに合うとは思わないのだ。いや、合う合わないよりも、やたらと存在感があるのが許せないのだ。例えば、メニューなんかでラーメンの写真が載っていたりすると、まず、玉子が目に飛び込んでくる感じがしないだろうか。僕はあれが気になって気になって仕方がないのだ。何だか主役を押しのけて、一番目立っているように見えてしまうのだ。だから、どうも好きになれんのだ。
 差別のないように言おう。僕はもやしも海苔も玉子も大好物なのだ。僕の人生でどれか一つでも欠けてほしくないものだ。でも、ラーメンには入っていて欲しくないというだけのことなのだ。
 ラーメンには、ネギ、チャーシュー、メンマ、それだけでいい。それ以外のものは、僕はどうも納得ができんのだ。
 ちなみに、もやし、海苔、玉子に続く第4位は「紅ショウガ」、5位は「コーン」である。紅ショウガは舌がバカになるので許せないのだ。コーンは麺に絡むわけでもなく、いつまでも丼の底の方でゴロゴロ転がっているので好かんのだ。あれを見ると「コーンよ、お前は何がしたいのだ」と言いたくなってしまうのだ。
 ラーメンネタはまだまだあるのだけれど、いい加減にしておかないと、真面目に読んでくれている読者が離れていきそうで心配である。もう少し、読者の人生に役立つようなことを書けるようにならなければいかんなと、調子に乗って書いた後、自責する僕である。
 でも、明日、ラーメンネタ第4弾を書くつもりだ。いや、第4弾を書く気満々である。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 食にかんしては、僕は極端な好き嫌いは少ないのだけど、今回のラーメンの具材のように、AもBも好きなんだけど、Aに入っているBは嫌いという、そういうパターンが多い。僕は焼きそばと白ごはんを食べることができる(太るやつだ)けど、それを「そばめし」にされたらもうダメなのだ。「いらんことせんでええねん。こっちで混ぜるから」と言いたくなる。
(平成28年12月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

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