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2011年12月31日 土曜日

12月31日:大晦日

12月31日(土):大晦日

 今日は職場に来ている。あれこれと雑用を片付けようと計画している。夕方くらいには帰る予定である。この文章も職場で書いている。

 今年一年もいろいろあった。こういう節目がないと、僕たちはなかなか振り返るということをしないのかもしれない。ある面では良かったし、別の面では不調だったりするものであるが、これは誰もがそうだろうと思う。
 今年は、僕の場合、仕事は今一つ不振だった。昨年に比べると、出会うことのできた人の数は少ない。でも、例えば女性友達のように、大きく僕を変えた人もあるし、少数ながらとてもたくさんの学びを得た人もある。
 酒を止めたということも大きい。それによって、特別なダイエットをしていないのに、体重が12キロほど減って、身体が軽くなったのも良かった。本も、昨年よりかはたくさん読めたと思っている。
 仕事が不振だった要因の一つはサイトの切り替えのためである。このサイトがようやく軌道に乗ったのは、今年の秋ごろだった。それまではなかなか認知されず、このサイトが本当に伸びるだろうかと不安になったものだった。
 SEO対策をしてみたが、これは大失敗に終わった。でも、9月から始めたブログは欠かさず書いている。
 来年もこのブログは毎日書く予定である。公開できなくても僕の日課にするつもりだ。これはワードを打つ練習にもなる。速く、且つ正確に打ち込めるようになるのが目的である。内容はくだらなくても構わない。
 サイトのアクセス件数が増えた(つまり、データとして参照するに足りるだけの数を獲得し始めた)のは、9月頃からである。それ以後、多少上下することはあるが、常に一定数以上の閲覧がある。来年もこれを維持できるようにしよう。
 閲覧してくれている人たちの中には、既に僕が出会っている人たちも含まれるのだけれど、これから出会う可能性のある人たちも相当数含まれているはずである。まだ会うことのない人たちであっても、僕が与えることができるものがあるとすれば、惜しみなく与えていこうと思っている。このサイトを通じて、その人たちが受け取ってくれればいいと思っている。
 取り留めもなく書いてきたけれど、来年の大晦日も、ここでこのブログを書いているとしたら、僕にとって、これ以上の幸せはないと感じている。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 このサイトがまだまだ駆け出しだった年だな。ブログも途中から始めたものだ。翌年もできればいいと書いてあるけど、まさかこのブログも5年続くとは思ってもいなかったことだ。
 サイトの方は書き換えの最中だ。閲覧してくれている人たちには迷惑ばかりかけているような気もする。
(平成28年11月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2011年12月30日 金曜日

12月30日:アルバイト二日目

12月30日(金):アルバイト二日目

 今日もアルバイトに行った。
 屋外で、風が冷たく、物凄く寒かった。本当に身を切るような寒さであった。手や足の先が痛いほどであった。
 このアルバイト、日当はいいのだけれど、冬は極寒で、夏は猛暑という特典付きである。仕事には慣れたけれど、暑さ寒さにはなかなか慣れないものである。
 今日の現場には毎年行っているが、過去に二回くらい、この現場で風邪をひいたことがある。だから僕の中ではちょっとイヤな現場になっている。天気もあまりいいことがない場合も多い。去年は確か、雨の中で仕事をしたように記憶している。何回かは雪だった。
 きついけれども、働かなければ。生まれてきたからには、生きていくためには、働かなければならない。これはどの人も同じことだろうと思う。働かなくていいのだったら、僕は働かないし、好きな事だけをやって日々を過ごすだろう。でも、そのような日々が素晴らしいとは思わないし、きっと不毛な一生で終わることだろうと思う。

 今、いささか「ひきこもり」傾向のあるクライアントが2,3人来ておられる。彼らの援助においてネックとなるのは、常に就労ということである。今来てくれているクライアントと、かつて来てくれたクライアントも、何とか働けるようになってほしいと僕は願っている。
 また、出社拒否のクライアントや、その「予備軍」のような知人たちもいる。言わば、彼らもまた就労の「問題」を抱えているのである。
 仕事なんて愉しいものとは限らない。特に20代の若い世代にとってはそうである。はっきり言って、イヤなことだらけである。ましてやこのご時世だと、労働環境そのものもやりにくいものになってしまっている場合も多いだろう。
 彼らの一人ひとりの状況や感情は理解できるものの、やはり、僕たちは働かなければならないのだ。その日の食い扶持を稼ぐという意味だけではない。僕が働くと(それはどんな職種であれ)、誰かが助かるのである。これはどの人にも等しく該当するものだと思う。その誰かから感謝でもされると、このことがよく理解できるはずである。しかし、誰からも感謝を示されなくとも、やはり同じことが生じているはずである。一人の人間が働くと、その周囲で助かる人が生まれるものである。

 出会ったクライアントたちには想像もつかないかもしれない。カウンセラーとしてクライアントと面接する姿がある一方で、今日のように、寒さに震え、鼻水を垂れ流しながら現場で作業している僕の姿があるということを。僕はまだまだ仕事がしたいのである。くたばるにはまだ早すぎると思っている。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 働いて、体を酷使してきたツケが来たのかもしれない。今年は足の怪我で、仕事を減らしている上に、他の仕事や外回りも控えている。少し足を止めないといけない時期なのかもしれない。
(平成28年11月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2011年12月29日 木曜日

12月29日:年末年始

12月29日(木):年末年始

 今日、明日はアルバイトに行く。これは毎年恒例の僕のイベントである。31日は職場で雑用をする予定だ。大掃除も一部残っているので、片づけなければならない。1月1日は来年一年の準備をする。2日は仕事ができるように準備をする予定である。3日からは通常通りに仕事をしようと考えている。
 僕にとっては毎年のことだけど、正月など特別なことは何もしない。僕も40歳だけど、正月を祝うにはまだ若すぎると思っている。正月らしいことをするのは、20年ほど早いのである。

 でも、来年は初詣というものに久しぶりに行ってみようとも思っている。お正月に初詣するなんて何年ぶりだろうか。
 僕は山歩きをしていた頃は、あるいは山に登らなくともウォーキングで歩いたりすると、お寺や神社によく遭遇したものである。その時に、境内を散策したりお参りしたりするので、お正月にわざわざ行こうとは思わないのである。
 それに何と言っても、あの人混みが嫌なのである。子供の頃は両親に連れられて初詣に行ったものだった。僕にとっては、深夜まで起きていい特別な日だったのでよく覚えている。夜遅くに外出するというのは、当時としては、とても刺激的で、ワクワクするような体験だった。でも、神社に近づくと人がたくさん集まっていて、もうそれだけで陰鬱な気分に襲われたものだった。

 いつだったか祇園祭にも連れて行ってもらったことがある。その時もすごい人混みで、それ以降、祇園祭には行かないことにした。
 人混みに入ると、息苦しくなるのである。当時は子供だったからたいへんだった。ちょうど顔の高さに人の背中や腰が来るのだから、本当に息ができない感じがしたのを覚えている。初詣の場合、当然冬だから人によっては皮のジャンパーなどを着込んでいたりする。その匂いがまた僕の気分を悪くしたものだった。
 それ以後、お正月に初詣をするのは、僕が高校生くらいまでではなかっただろうか。大学生になってからは、初詣はするのだけど、2月になってから行くとかいうことがあった。それで、その内、行かなくなるのである。
 大晦日に飲み歩いたことはあるけれど、初詣には行かなかった。飲み屋のみんなで行こうという話になった時も、僕は遠慮した。それで僕だけ二軒目に行って飲んでいたという年もあった。

 結局の所、人混みに嫌な思い出があるということと、そもそもの初めから神仏を信仰していないということに僕は思い至る。お正月に初詣する人の大半は、その時だけの参拝だと僕は思っている。その一回に大金を賽銭箱に投じたりする。初詣はしなくとも、月に一回でもどこかの寺社に参拝する人の方が、たとえ一回の賽銭金額は小さくとも、よほど宗教的な生き方をされているように僕は思うのだけど、いかがなものであろう。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 今でもあまり神仏は信仰していないのだけど、定期的に参拝する寺社はある。そういうものでもないと、外に出る機会がないのである。外を歩くために、参拝するようなものだ。
 人混みが苦手なのは今でも同じだけど、あまり閑散としているのも、最近は寂しく感じるようになった。
(平成28年11月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

2011年12月28日 水曜日

12月28日:キャッチコピー

12月28日(水):キャッチコピー

 もう一つのサイト、「駅ナビ」の方で、文章に小見出しを付けるように頼まれて、困っている。それで参考になるかと思って、広告のキャッチコピーを注意して見るようになった。今朝も通勤の電車の中で、いつもなら本を読むところを、いろいろ広告を眺めて過ごした。

 例えば、こんなのがあった。「『有名企業から探す』、それ時代遅れの就活です」。言葉通りではないかもしれないけれど、大体そんな意味内容の文章である。こういうのはインパクトがあるかもしれない。しかし、「それ時代遅れです」とか「あなたのしていることは間違いです」と指摘されるのを不快に感じる人もいるかもしれない。だから、このパターンは却下。
 次に、「すっぴん唇を赤ちゃんピンクに」というのを発見。リップクリームの宣伝だったと思う。「すっぴん」と「ピンク」、さらに「赤ちゃん」とが、韻を踏んでいる感じがして、とてもいい。しかし、少々スッキリしない感じもする。そこで僕は「すっぴんリップをベビーピンクに」と換えてみた。ダメだダメだ。すっきり感は増したものの、これではまるでルー大柴さんだと思い、これも却下。横文字を多用するのも注意が必要だ。
 「ビジネスアイデアは 電車の中に、ぶら下がっていたりする」。阪急の車内広告の宣伝である。これも内容はいいなあと思った。でも、「アイデアは、電車の中で、発見する」くらいに簡潔にした方がよりいいかもしれないと思った。
 最後に、情報誌anの広告で、「若者に 給料日という 幸福を」というのがあった。これは実際は三行で書かれている。「五・七・五」の俳句調で書かれているのがいいと僕は思った。こういう「五七調」は流れがいいなと感じるのである。
 他にもいくつか見たけれど、「○月○日オープン」だの「~開催中」といった、いわば事実だけを伝えるタイプのものばかりであった。伝達という観点では、伝えたいことが確実に伝わるものなのだけど、キャッチコピーとしては弱いなと、僕は感じる。
 しかし、何をしているのやらである。僕は自分の所のものを考えなければならないのに(こういう作業は苦手である)、他人の考えたものに文句を付けている(こういう作業は得意である)だけである。それで一向に捗っていないではないか。うーむ、つくづく創造性に乏しい人間だなあと、あらためて感じているのである。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 今でも時折、広告の文面やキャッチコピーを注視する。その文言を繰り返し反芻してみる。すると、言いにくい個所が見つかったり、時には、広告内容の別の意味が見えてきたりする。僕の仕事には直接役に立たないことかもしれないけど、そういうことをしているとけっこう楽しいものだ。
(平成28年11月)

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2011年12月27日 火曜日

12月27日:徹夜

12月27日(火):徹夜

 27日(火)は年内最後の定休日である。26日の晩からずっと原稿を書いていて、このまま朝を迎えそうである。

 サイトの原稿に関して、一つの<テーマ>を八割ほど完成させておいて、そこからしばらく寝かせておく癖が僕にはある。大体完成しているのだけど、完成待ち原稿というものがいくつも溜まってきている。数えてみると、55項目(つまり<テーマ>55個分)もある。
 さすがに溜め込み過ぎだと思い、これらを仕上げようと今日は一日パソコンと向かい合っている。いくつかは完成したので、近いうちに公開できるだろう。それでも追い付かない感じがあるので、帰宅してからもずっと書き続けている。夜通し書くパターンになりそうである。そして、そのまま明日も書き続けることになるのだろうと思う。

 去年はしばしばそういう日が生じたのを覚えている。けっこうたいへんなことをしていたのだなと思う。と言うのは、久しぶりの徹夜はかなり堪えているからである。それでも時間が足りない感じがしている。
 いや、時間が足りないのは浪費している部分があるからである。最近(と言うか、この2,3日)、空き時間にyou tubeの動画をダラダラと見てしまうという変な癖がついてしまった。以前もお笑い芸人のネタをよく見ていたものだけど、長いことそういうことはしていなかった。
 この動画ってものが曲者で、探しているといろんなものを発見してしまうのである。特に僕が見てしまうのは、お笑い芸人も見るけれど、昔のテレビ番組の動画である。「ああ、こんなのあったなあ」とか「これは見たことがあるなあ」などと回想しもって見てしまうのである。
 一つを見ると、他にもないかなと思い、検索する。いくつかのキーワードで検索すると、何かしら引っかかってくるものがある。それをまた見てしまう。そこからまた検索するという、エンドレスの作業に陥ってしまうのである。

 クライアントで一人、「ひきこもり」をされている人で、朝から晩までパソコンを見てるという人がいるのだけど、何となく分かるような気もする。そんなに閲覧するものがあるのかなと訝っていたのだけど、こういう動画なんかを検索して閲覧していると、本当にそれだけで一日終わってしまいそうである。おまけに新しい動画が次から次へとアップロードされるのだから、見る方もそれに束縛されていくようだ。
 夕べ、テレビで観たお笑い番組の漫才が、今日には動画で見ることができるというような感じである。「ああ、これは夕べ観たやつだ」という理由で、なぜか見てしまったりする。知っているのに見たりするのだから、不思議である。
 しかしながら、こういう動画は便利なのかどうかわからない。いつでも見れるということは、いつでもそこに戻れるということである。なかなかそれを過去のものにしてくれないようである。
 20年近く前に見た番組が、短いシーンとは言え、今日新たに視聴できるのである、それも手軽に。20年前の思い出のままにしておいてくれた方が良かったかもしれない。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
 
(付記)
 今は動画も一切見なくなった。結局、エンドレスなのだ。ここにも書いているように、過去に観たものは、過去の思い出としておく方がいいのかもしれない。
(平成28年11月)

投稿者 高槻カウンセリングセンター | 記事URL

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