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2021年1月14日 木曜日

1月14日:夫婦合同面接はやりません

1月14日(木):夫婦同席面接はやりません

 今日の昼ごろ、普段はそうでもないのに立て続けに電話があった。手が離せない時に限って電話が鳴るのも困ったものだ。ほんと、どこかで見られているんじゃないかと、そんな妄想観念が浮かんできそうである。
 かかってきた電話のうち一部は業者等の関係だ。コロナ禍の宣言下で一部の営業時間が変更しますとか、そういった類のものだ。いちいち連絡いれんでもええわ。もともと僕は活用していないサービスに関するものだから。
 その他は予約や問い合わせである。そのうちの一件に次のものがあった。夫婦のカウンセリングをやっているかというものだ。どうしてここを間違えるのかな。確かに紛らわしいところがあるのは認めるけれど、そんなに難しいことでもないだろうに。
 つまり、夫婦の問題は扱うけれど、夫婦の面接は行わないということだ。これは一般の人には理解しづらいことなんだろうか。

 僕は夫婦というのも一つの人間関係として捉えているので、特に他の人間関係と分け隔てているつもりはない。夫婦といっても、そこには二人の人間がいるだけである。その双方がお互いのことで悩んでいるだけのことなのだ。当然、夫婦の問題というものは、夫と妻とでその理解は異なることもあるし、問題そのものが両者の間では異なっているものである。夫婦の問題を考える際に、僕はそこを区別したいのだ。夫が問題としているところと妻が問題としているところの区別、ないしは夫が取り組むべき部分と妻が取り組むべき部分の区別だ。この区別をつけるためにも別々にお会いしたいと思うわけだ。
 もう一つ重要なことは、夫とか妻とかいった役割から離れたところで個人を見てみたいのだ。妻がそこにいると、夫はどうしても夫役割を取ってしまう。妻の場合も同様である。本来のその人の姿を見てみたいと僕は願うのだ。
 さらに夫と妻と個別に面接することの利点は、それが心理テストの代わりにもなり得るということだ。自我が機能していない方、より病理を抱えている方ほどカウンセリングに抵抗を示すはずである。これはなぜかということも、僕の中では確証がある。従って、夫が来談して妻が来談を渋っているということであれば、妻の方が夫よりも重篤な問題を抱えている可能性が高いということが予測できるわけだ。
 また、さらに夫がどういう語りをするか、妻がどういう語りをするかも見ることができる。夫婦の語りではないことがポイントだ。心の問題というものは、語ることの内容よりも、むしろその語り方に顕現することも多い。
 さて、これはかなりの偏見に見えてしまうかもしれないけれど、僕の中では一つの確信となっていることがある。夫婦カウンセリングを求めている人たちでも、僕が個別でお会いしますと伝えるとそれに従ってくれる人たちもある。一方で、夫婦一緒でなければいやだと言って断る人たちもある。この断る人たちのことだ。この人たちは自分ではなく相手に問題があると見なしていることが多いと思う。それが自分の問題でもあるというふうには認識していないわけである。
 さらには、カウンセラーを自分の味方にするために夫婦合同の面接を求めるような人もあるし、カウンセラーの前で相手が何を言うかを監視するために求める場合もある。相手が話を省いたらそこを指摘して、相手のことを半強制的に暴露させようという行為が見られることもあるのだけれど、それは却って問題を悪化させることになりかねないものである。
 ある程度健全な夫婦は夫婦それぞれの個別面接を受け入れることもできるし、中にはそれを理に適っていると思う人たちもある。自分も相手の前では言えないことがあるし、相手も自分の前では言えないことがあるだろうということを認めることのできる人たちもある。これの何が健全かと言うと信頼感の程度である。自分の居ないところで相手が何を言うか不安だというような人は相手に対する信頼感がかなり低いわけだ。そして、この信頼感の低さは、相手の問題というよりも、その人の問題であることが多いと僕は思っている。ちなみに、信頼感を持つことのできる人たちは普通にカウンセラーを信頼するものである。
 あと、よく「自分を客観視する」なんて言い方をするけれど、それはどういうことかと言えば、「自分の外に出る」ということだと僕は捉えている。問題(でもなんでもいいけど)を理解しようと思えば、その渦中にいてはいけないことになる。夫婦の場合も同じで、夫婦のことを理解しようと欲すれば、当事者たちは夫婦の外に出る必要があると僕は思うわけだ。従って、夫婦が同席するよりも、個別の方がお互いに自分たち夫婦がどういう夫婦であるかがよく見えるようになるものだ。実際、僕の中ではその実感がある。

 まだまだ述べ足りないけれど、これくらいにしておこう。肝心な点は、僕は夫婦面接はやってませんよということだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2021年1月13日 水曜日

1月13日:運とツキ

1月13日(水):運とツキ

 僕は運とかツキとかいうものが何なのか分からない。ギャンブル依存のページでも述べたことだけれど、それがどういうものなのかよく分かっていないのだ。おそらく、他の人たちもそうではないかと思う。本当は何なのか分かっていないのに、さも分かっているかのようにそういう言葉を使っていたりするのだと思う。
 日常的に分かっているようでいて、いざ説明しようとすると説明できなかったり、改めて問われると分かっていないことに気づいたりするものって結構あると思う。僕の場合、心とか精神とかいうものがそうだ。あと、生命とか社会とか家族とかいったものもそうだ。運とかツキとかいうのもその中に入る。
 確かに、それは運が良かったねとか、それは運がなかっただけだよとかいうことを僕も言ったりする。言葉にできない何かを言う時、あるいは、どう言葉をかけていいか分からない時に便利な言葉ではある。本当はどういう意味が分かっていないのに、それしか言えないとか、そう言うと何かを言ったような気持ちになるとかいう経験もする。

 運という言葉は日本では割といい意味で用いられる。運も実力のうちだと言われたりもする。欧米では(国によって違いはあるだろうけれど)、運というのはあまりいい意味ではないようだ。運よく成功できたという場合、その人は自力では成功できない人だとみなされたりするそうである。君は運がいいとは、君は無能だという意味に等しくなるようである。同じように、「運が悪かっただけさ」というのも、「君は運に頼るしか能がない人だ」といった意味になるだろうか。
 映画『ゴッドファーザー』を初めて観た時に理解できなかったワンシーンがある。ラスベガスでカジノを営む男がいるが、この支配人はあまり収益を上げていないようである。そこでコルリオーネ一家の若きドンであるマイケルはこのカジノを買収しようと試みる。当然、支配人は反対する。その時にマイケルが「君は運が無かっただけのことさ」といったようなことを言うのだ。すると支配人がムッとして猛反発するのだけれど、どうしてそういう反応が出るのか理解できなかった。
 今では分かる。運がなかったということで、マイケルは支配人を侮辱しているのだ。日本だったら慰めの言葉になっていただろうけれど、アメリカではそうではないんだね。つまり、マイケルは、成績が上がらないのは君がダメ人間だからだと支配人に伝えているのに等しいわけで、それをかなり遠回しに言っている(要するに彼らお得意の脅しのテクだ)ということになるわけだ。
 『シンシナティ・キッド』ではさらに分かりやすく描かれている。ギャンブルの世界でも神業を持っているような人間は神格化されるが、運だけに頼っている人間は一段格下の人間として描かれている。彼らは無力で、不活発で、不健康そうで、人生の落伍者のような描かれ方をしているように僕には見えるのだけれど、どうだろうか。僕の見解はともかくとして、あの映画はアメリカ人と日本人とでは見方が違うだろうという気がしている。スティーブ・マックイーン演じる主人公は、最後は運頼みしてしまうのだ。さらに最後の最後でも運から見放されてしまうのだ。日本人は、もしかしたらだけど、運に見放された不幸な人間をそこに見てしまうかもしれないけれど、アメリカ人はそこに人間から脱落した人間を見るのかもしれない。主人公の姿が違ったふうに見えるのかもしれない。

 ああ、なんだか今日は面白くもない話をしているな。
 先日、パチンコでツキまくったという人の話を聞いてから、ツキとか運のことを再度考えたのだ。運が良かったとか、ツキが回ってきたとか、そんなことでデカい顔する人もあるが、僕は心の中で軽蔑しておこう。欧米式(というかアメリカ式)の認識を持つようにしよう。運は実力ではない。自分は運がいいとは自分は実力がないと公表しているようなものだ。
 何事にも運に頼る人間にはなりたくないものだ。運とは放棄だと思う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2021年1月12日 火曜日

1月12日:禁酒でもしようか

1月12日(火):禁酒でもしようか

 昨日と今日とで家のことをいくつか片付ける。自分の身辺整理もしておきたい。
 今日の午後からは時間が空いたので、とりあえず外に出てみる。朝は雪が降っていたけれど、それが雨に変わり、僕が家を出るころにはそれもやんでいた。一応、傘は持って出るも使うことなく終わりそうだった。
 高槻に出て、職場に入って、いつものように書き物をして過ごす。長時間パソコンに向かっているとしんどくなってくる。目も疲れるし、全身に疲労感が走る。通常なら「疲れたな」くらいで済ませられることなんだけれど、これはコロナの倦怠感ではないかと思うと不安になる。今のところ体温に異常はない。朝夕二回測定しても36度台だ。37度に達することはこれまでなかった。
 飲食店の時短営業をするということで、僕はいつもの呑み屋に少しだけ顔を出す。今日を最後に当分会うこともなくなるからだ。最後に顔出ししておこうと思った。ちなみに、呑み屋は感染リスクが高いと言われるけれど、僕に言わせれば、リスクの高低はその他の場所と差は無くて、ただ少数のハイリスクの人間がいるだけなのだ。
 静かに飲むのが好きだ。あまりワイワイ騒いだりするのは好きではない。ごく少数の人とボソボソと会話する程度で十分だ。呑み屋には酒を飲みに行っているのだ。そこで思索にふけったり、趣味のことをやったりする。ごく少数の親しい人と静かに会話する。そういう時間を楽しむ。社交はあまり求めていないし、出会いなんてものは一切求めない。
 社交の方はと言うと、僕の場合、あまりに非社交的な生活を送っているので、多少、そういう場も持っていないと人格が貧困化しそうだ。だから精神衛生上、少しの社交の場を持つようにしていたわけだ。ただ、最近はもう社交も必要としなくなっている。
 出会いなんてものはさらに求めない。と言うのは、呑み屋での出会いなんて当てにならないものだからだ。会った時に会話する程度の仲で十分だと思う。長い付き合いをしようなどとは思わない。
 そもそも呑み屋での知り合いってのは、その店がある間だけのものだ。行きつけの店をつくるとそこの常連さんの仲間入りする。その店があっての仲間だ。店が潰れたりしたら瞬く間にみんなバラバラになってしまうものである。そして、それでいいのだ。酒の付き合いは一期一会くらいで十分である。縁があればまたどこかで会うものである。
 若い人の中には異性を求めて来店するというような人もある。若いから許せるという部分があるけれど、僕の本心を言えば、あまりいいことではない。交際相手やセックスパートナーを手っ取り早く見つけようとしている感じがしてしまうのだ。だからそういう人は異性という人間を求めているのではなくて、異性というモノを求めているに等しいと言ってもよさそうだ。求められてしまう異性も惨めだ。
 しかし、コロナ禍で呑み屋が叩かれてしまうのも仕方がないものだ。やっぱりマスクを付けずに大声で話す人っているものだ。今夜もそういう男性を見かけた。出入り禁止の店が何軒かあると彼は言っていたけれど、よく頷けるところだ。この男性を悪く言うつもりはないが、やっぱりああいうふうに人格が破綻するのかと思うと、酒も飲み過ぎてはいかんなと思う次第である。
 幸いなことに、時短営業要請のおかげで呑みに行けなくなる。行きつけの店も休業するとのこと。この際、要請が終わるまで禁酒でもしようか。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2021年1月12日 火曜日

1月12日:回想録・第5回

1月12日(火):回想録・第5回

 前回は僕の水恐怖、並びに刃物恐怖について綴ったのだったな。いろんなものが怖かった時代の話をしているのだけれど、語りやすいものから取り上げている。今回は学校恐怖症について延べよう。学校恐怖症とはまた古い呼称であるが、要するに不登校と呼ばれているものだ。僕はこれをやらかした。小学校3年生の時だった。(1)
 僕にとっては学校なんて何もいいものではない。今でもそうだ。それはさておき、小学校3年生というと兄と一緒に登校していた時代だ。きっと兄の存在も大きかっただろうと今では思う。僕の不登校がいつから始まったのか正確には覚えていないし、それがどれくらい続いたものであるかもあまり覚えていない。基本的に、朝の登校を渋るという形が多かったように思う。(2)
 朝になると、玄関先で僕がごねるわけだ。近所の他の子供たちはみんな集合場所に集まっている。彼らが集団登校した後でも僕は渋る。いくつか覚えている場面がある。ある時は母が自転車に乗せて僕を学校まで送ったこともあった。保育園時代によくしたように、僕を自転車の後部に乗せて送ってくれたのだ。そういうことが何度かあったのを覚えている。(3)
 母に連れられて小学校の校門をくぐると、担任の先生が迎えに出てきたこともあった。確か男性の先生でM先生だったと記憶している。母親からM先生へと僕が引き渡される。M先生も、さあ教室へ行こうかといった態度で僕を受け取る。ある意味、M先生なりの受容的態度だったのだと思う。(4)
 一度、M先生が出迎えた時に、僕の足元を見て、靴紐がほどけてるぞと言って、M先生が僕の足元にかがんで靴紐を結んでくれたことがあった。M先生なりの親切であったかもしれないが、僕は「ひえ~」と思ったのを覚えている。ここは誰にも理解されなかった部分なんだけれど、人が近づいてくるのが僕にとっては苦痛だったのだ。不登校の子供は甘えが不足しているとかなんとか、そんな理屈を信じていると、不登校の子供にはもっと甘えの体験が必要だとか暖かい関りが必要だとか思う専門家どもがいるんだけれど、そうではない子供もいるのだ。それは大人の理論なのだ。僕の場合、放っておいて欲しかったのだ。誰も近づいてほいくなかったのだ。甘えも暖かい関りも脅威だ。(5)
 ある時、いつものように僕が登校を渋っていると、ついに堪忍袋の緒が切れたのか、母はバケツに水を汲み、それを僕の頭からかけた。水恐怖のある僕にとってはもっとも堪える仕打ちだ。玄関先で、頭から水を被り、泣いたのを覚えている。その後長い間、母はなんてひどいことをしたのだなどと思っていたけれど、今では母は正しいことをしたと思っている。義務を守るとはどういうことかを教えてくれたのだ。もちろん当時はそんなことまるで分かっていなかった。(6)
 後年、特にカウンセリングを勉強してからだけれど、ああいうものに興味を持つ人の中には子供時代に不登校経験を持っている人もけっこうある。僕が24歳のときだったろうか、何歳か年上の女性と知り合った。カウンセリングの講義の場でだ。彼女も不登校経験を持っていた。彼女の話では、彼女が学校にいきたくないと駄々をこねると、母親は彼女を学校に連れて行くようなことはせず、家に居させたという。子供だった彼女はと言うと、ずっと母にまとわりついていたという。母が家事をしている間もずっと母にまとわりついていたそうで、母親もそういう彼女を拒んだりはしなかったという。やがて、彼女の不登校は治まっていくのだが、それも当然のことだ。(7)
 あの頃、つまり僕が20代の前半から中頃の時期、僕は彼女が羨ましかった。僕の母も彼女の母のようなことをしてくれたらよかったのにと何度も思ったことだった。なぜ彼女の母親が僕の母親ではなかったんだろうなどと、本気で悔しがった時期もあった。でも、彼女の母親は正しいし、僕の母親も正しい。今ではそれが見えている。見えている分だけ成長したのだろうと自分では思っている。(8)
 子供が学校に行くのは義務だ。子どもが学校に行くからあらゆる労働や義務から子供は解放されているし、守られている。その代わり、その義務を遂行することが子供には求められているわけだ。それは個人的感情抜きで遂行されなければならないことであり、それを教えてくれたのが母だった。フランスだったと思うが、子供が学校に行きたがらないと警察が来て子供を学校に連れて行くというのを聞いた覚えがある。子供が学校に行かないのは法律違反に当たるからである。僕はその理屈がよく分かる。法律違反と言うよりも、義務違反なのだ。警察が介入するというのもいささか行き過ぎの感じがしないでもないけれど、その原理はよく分かる。母が教えてくれなかったら、それは子供の人権侵害だなどと今頃は言っていたかもしれない。(9)
 何はともあれ、僕の不登校は小学校3年生までだった。4年生になってから以後は不登校問題は影をひそめることとなった。これは不登校が「治った」という意味ではなくて、4年生になってから僕の関心が他へシフトしたからだ。4年生頃から死のことをやたらと考えるようになったのだけれど、そのことはまた別の機会に綴ろうと思う。(10)
 学校にはあまりいい思い出がない。確かに個々の場面を見れば楽しかったこともあった。ただ、その楽しかったこともその場限りのものでしかなく、今の僕にそれが残っているという感じはしない。思い出として残っているものは少ない。(11)
 さて、不登校に続いて、僕の「心身症」も述べておこう。これも小学2年生か3年生の頃に経験したものだ。全身に蕁麻疹が出たのだ。母たちは僕が口にしたものが原因だと信じているんだけれど、僕はあれは心身症だったと見なしている。(12)
 あの時、生まれて初めて入院というものを経験した。4人部屋で他のみんなも子供だった。小児病棟だったのだろう。入院初日、他のみんなはこの部屋の先輩たちばかりで、僕は非常に委縮していたのを覚えている。それに家から離れるという心細さもどこかにあったと思うし、あって欲しいと思っている。夕方頃になると見舞いに来ていた親たちが帰る。僕一人が病室に残される。ところが、どうもそれはあまり苦ではなかったような気がしている。なんか淡々とした記憶しかない。(13)
 その初日の夜のこと、消灯時間になる。僕は枕元の電気をつけたままにしていた。他の子たちは真っ暗な中で寝ているのに、僕の枕元だけぼんやりと明かりがついている。暗闇が怖かったのかと言うと、実はそうではない。ただ、電灯の消し方が分からなかっただけだ。どうやって消灯したらいいのか分からないからつけっぱなしにしていたというだけだ。ここには僕の一つのクセが見られる。分からないなら看護師さんでも呼んで教えてもらえばいいのに、なぜかそういうことを僕はしないのだ。分からないものは自力で分かるようにならなければならないなどという僕の強迫観念の一つだ。確か、たまたま蛍光灯の横の方から紐が出ていて、それを引っ張ったら消えたのだった。それは何となく覚えている。(14)
 人生で最初の入院だったけれど、入院中に何をしていただろうか。あまり覚えていない。他の子たちとの交流はあったし、意地悪されたりとかいうこともなかった。他の三人のうち一人は僕より先に退院したのを覚えている。何となくだけれど、お別れしたのを覚えている。それからまた次に新しい子が入院してきたのではなかったかな。(15)
 食事の時間になるとスタッフの人が配膳してくれる。食事の間、女性の看護師さんが付き添ってくれていた場面をなぜか覚えている。僕はと言うと、そっぽを向いて、テレビを見ながらご飯を食べている。見ているのはNHKの教育番組だった。その看護師さんは、「学校がなくても勉強しているのね」といったことを言ったのを覚えている。要するに「偉いね」という意味合いのことなんだけれど、僕の中では特別に変なことではなかったのに。他の子供たちはマンガとか見ていたのかな。自分で言うのもおかしな話だけれど、僕は異本的には勉強は好きなのだ。知らなかったことを知ったり、分からなかったことが分かったりというのはけっこうな快感である。ただ、学校とか、先生とか、集団の授業とか、あるいはクラスメートとか、そういうのが煩わしいだけなのだ。(15)
 そうだ、病室の子供たち4人で病室の外に出たことがあったな。あれはどこへ行ったんだったっけ。屋上だったかもしれないし、庭だったかもしれない。見舞いのない午前中だったのではないかと思う。太陽を浴びるのがなんか心地いいと感じたのを覚えている。(16)
 他の子たちは何の病気だったのだろう。知る由もない。僕は蕁麻疹だ。あとは五体満足に動けるので、寝たきりということではなかっただろうと思う。何をしていたんだろうね。ただ、一日に何回か治療に関することをしなければならなかった。それだけが拘束だった。点滴をよく打ってもらったのを覚えている。あれは生きた心地がしなかったのでよく覚えている。あれだけの液体が自分の中に入り込んでくるなんて、そう思うと心臓が止まりそうになるほど怖かった。そして、何回かに一回は注射針を見ただけで暴れまわったように思う。ホント、クソガキだったなと我ながら思う。(17)
 蕁麻疹というのは、身体の表面にいくつものブツブツができるわけだ。内から外に向けて噴き出してくるものだ。これは何かと言うと、僕の経験では、外に出したくても出せない小さなものが過剰に蓄積されているという状態の象徴的表現なのだ。僕はそのように考えている。だからあれは心身症だったと思う次第である。母の考えるようにある食材が原因であるとすれば、その後もその食材を口にしたら同じような反応を示す可能性があるのだが、後の人生でそれは起きなかった。あの食材は、今では僕の好物の一つになっているくらいである。また、他の反応を示しても良かったのである。食あたりであるとか、蕁麻疹以外の症状を出しても良かったのである。なぜ蕁麻疹でなければならないかと考えてみると、上述のような見解に行き着いてしまう。当時は言えないことがたくさんあり、いろんなものをウチに溜め込んでいたもので、いずれ述べるであろう僕の拒食もそれと関係があると思っている。(18)
 今だからこんなふうに綴ることができるのだ。当時は訳が分かっていなかった。自分に何が起きているのかなんて、想像もできないことだった。不登校も蕁麻疹も、僕にとっては謎の経験だったのだ。前回取り上げた水恐怖も刃物恐怖も、今後取り上げることになる拒食や寡黙も、自分でどうにかできるものではなかった。この経験は今の僕にとっても役に立っている。自分に何が起きているか分からない状態ほど恐ろしいものはないのだと思う。これは僕だけかもしれないと思い込んでいたけれど、そうでもないのだ。クライアントたちは、自分が治るか治らないかということに関係なく、自分に起きていることが見えてくるようになると、それだけでずいぶん落ち着かれるのだ。状況や状態が何も変わっていなくても、落ち着いていかれるのだ。しかし、そういう話はもっと後で展開することになりそうだ。今日はここまでにしておこう。(19)

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
 

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2021年1月11日 月曜日

1月11日:時代遅れの私

1月11日(月):時代遅れの私

 今日は家の用事をするために仕事を休みにした。そうか、今日は祝日なのだな。成人の日か。今年の成人式は休止、延期、縮小ばかりであるようだ。
 僕個人は成人の日はなくてもいいと思っている。成人式もその象徴的な意味が失われているようにも感じられるので廃止してもいいと思っている。20歳の人たちのイベント、それもクリスマスとかハロウィーンなんかのイベントと意味的に差がなくなっているように感じられる。
 成人式というのは、僕が耳にかじったところでは、戦後にできたものであるらしい。戦後の疲弊した日本人ならびに若者たちを、鼓舞するというか勇気づけるというか、そういう目的で作られたものらしい。今やその本来の意味は失われているに等しいように思う。
 未成年者が成人式の映像を見たら、こんな恥ずかしい大人になりたくないと思ってしまうのではないかと僕は思っている。新成人に希望を託そうという人がどれだけいるだろうか。彼らに希望を見いだす人たちがいるだろうか、そんな思いもある。
 成人式なんてどうでもいい。人生に一度の出来事などといった謳い文句に踊らされる人は踊らされればいい。僕も二十歳の時に成人式案内のハガキが来たものだったが。そんなのくだらねえなどと言って無視した。本当はどの人も人生に一度きりの瞬間を常に生きているのが真実であるのに、その真実を忘れて、人生に一度だけというイベントの宣伝文句に踊らされるなんて、人生における本末転倒であると僕は考えている。

 さて、日中は家の用事をして過ごす。思ったよりも捗らなかった感じがしている。というより、思っていたよりも作業量が多かったというのが実情だ。一部は明日に持ち越すことにした。
 夜、少しばかり疲れたので一休みがてらテレビをつける。なんか世界のミステリみたいな特番をやっていた。そこでたまたま心理学の実験が紹介されていた。
 例えば、リンゴジュースをオレンジ色に着色すると、被験者はそれをオレンジジュースと答えたというのだ。他にもこの種の実験を紹介していた。なんてことはない、かつての連合主義心理学そのまんまじゃないかという気がしないでもない。
 心理学はもっと魅力のある研究をしていかないといけないと僕は思っている。そう言う僕も、ではどんな研究だったらいいのかと問われると返答に困ってしまうのだけれど。経験的に知っていることを研究して証明したからとて、それ自体は学問的には意味があるとしても、我々の常識を超えるものとはならない。
 心理学はそのように見られることが多いと僕は思っている。つまり、心理学というものは常識を超えるものではない、そのような学問として捉えられていることが多いように僕は思うわけだ。だから、自分の心のことは自分がよく知っているなどという錯覚に陥る人たちが増えるように思うのだ。もっと、人間の心ってこんなに分からないものなんだと思われるような研究をしていかないといけないようにも思う。
 同じような批判は哲学にもある。哲学とは常識的なことを難しく言っているだけだと考える人もけっこうおられるようだ。彼らにすれば哲学は常識の中の学問、哲学は常識を超えることのない学問であるということになる。しかし、本当は常識が哲学の中のものであり、常識が哲学を超えないものでしかないかもしれないのに、彼らはそのことに思い至ることもないのだ。哲学が常識を作ってきたことを彼らは知らないのだろう。
 昨今の哲学も心理学も、僕には興味がなくなっている。ある時代の心理学、ある時代の哲学に僕の興味関心は集中してしまっている。僕はそれでいいと思っている。時代遅れの人間になるのは構わない。時代についていって低俗な人間になるよりかは、時代遅れでも高尚な人間になる方がよっぽどいい。
 ふぅ~、こんなのを書いている自分がますますイヤになってくる。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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