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2021年9月 8日 水曜日

9月8日:キネマ館~『馬鹿が戦車(タンク)に乗ってやってくる』

9月8日(水):キネマ館~『馬鹿が戦車(タンク)に乗ってやってくる』

 山田洋次監督といえば「男はつらいよ」シリーズを思い浮かべる人も多いだろうと思うが、それに先だって「馬鹿」シリーズがあったことは知る人ぞ知る。「馬鹿」シリーズはハナ肇さんが主演であり、本作はその第3作目に当たる。
 僕がこの映画の存在を知ったのは、実はマンガの『こち亀』だった。両さんがこの映画の結末のことを語るくだりがあって、いつか見てみたいなと僕は思っていたのだ。今回、たまたまレンタル店でDVDを発見した(発見した時は飛び上がりそうに嬉しかった)ので、借りて観てみることにした。

 物語は、釣り客たちに船頭が日永(ひなが)村のタンクのエピソードを語るという形式をとる。この釣り客に、「ガチョン」でお馴染みの谷敬さんが扮する。
 日永村は山間の農村であり、バスも通らない村である。村人たちの愉しみと言えば、お茶を飲んで村人の噂話をするくらいのものだ。
 主人公である「馬鹿」のサブは農家の大黒柱だった。耳の遠い年よりの母親と知的障害のある弟との三人暮らし。本作を鑑賞する際には、この知的障害の弟ヘイロク(ロクさん)に着目することをお勧めする。
 ロクさんは自分が鳥だと信じており、鳥のように羽ばたいたり鳴き声を発したりするだけでなく、屋根や梁の上で鳥のように佇んだりする。人間の言葉は一切話さない。
 村にはかつての地主の家があり、そこの一人娘である紀子は長いこと病に伏していたが、すっかり治って床上げが決まった。紀子は幼馴染であるサブに明日の床上げのお祝いに招待する。紀子演じるのは岩下志麻さんだ。
 密かに思いを寄せていたのだろう、お誘いを受けたサブは有頂天になる。床屋に行ってポマードで髪型をビシッと決めてもらう(後で床屋と村人たちは大爆笑する)。当日は一張羅もビシッと着こなして、いよいよ紀子さんのところへ向かう。ついてこようとするロクさんについてくるなと叱るが、それでもロクさんはついてくる。
 さて、サブが地主さんの家に到着する。彼が受け取るのは村人たちの嘲笑である。床上げのお祝いの席では場違いな人間として排除されてしまう。赤っ恥をかいて家路につくサブ。ずっとついてくるロクさんに八つ当たりしたりする。
 サブはすっかり村の笑いものになっている。その上、地主がサブたちの土地を二束三文の値段で買い取ったときいて、ついにサブの怒りが頂点に達する。終戦後、軍隊からそのままかっぱらってきた戦車に乗って、サブは大暴れし始める。
 のどかな田園風景の村道をタンクが滑走するシーンはシュールというか、なんともインパクトがある。そしてタンクが民家に突っ込むところなんかは、爽快というかコミカルというか、ビートたけしさんのコントを見るような思いである。ともかく、これ以上の侮辱は許せないと暴れまくるサブの姿にかつての日本人の意地を見るような気持ちも起きる。
 村人たちは戦々恐々である。タンクのエンジン音が聞こえただけでてんやわんやの大騒ぎになる。なんとかサブを宥めようとしたり、タンクを落とし穴に落とそうと企んだりと、村人も大騒ぎである。
 そんな矢先、火の見やぐらに登って鳥になっていたロクさんが落下して死亡してしまう。ちなみに、ロクさんがここまで高い所に登ったことはなかったと思う。ロクさんにとっては日頃とは違った行動をしているわけだ。
 ロクさんが死んだことを誰がどうやってサブに伝えるかで村人はまた大騒ぎだ。サブに酒を差し入れして、場を和ませるも、誰もそれを言い出せない。すると、その場に来た紀子さんがロクさんの死をサブに伝える。独り、弟の死骸を引き取るサブ。
 その夜、タンクがどこかへ去って行く。翌朝、村人たちはタンクのキャタピラ跡を辿っていく。山を越えて北浜村(ここに紀子さんの主治医がいる)に行き、海岸に出て、砂浜に海に向かってキャタピラ跡が続いていた。タンクごと海に潜ったようだった。
 後日談として、タンクにはロクさんの死体があるだろうとのこと。タンクを捨て、サブは母親を連れてどこかへ行ってしまったということだった。
 非常に悲劇的な事件でもあるのに、ドタバタのコメディに仕上がっている映画だ。ロクさんのようなキャラを登場させるあたりが見事だ。一体、ロクさんは何を言いたかったのだろうと、後で考えさせられる。サブがあっちへ行けと言えば素直にあっちに行く弟であるのに、紀子さんの床上げ祝いの時はついてくるなと命令されても、どこまでもついてくる。ロクさんは何を伝えたかったのだろう。
 兄であるサブがタンクで大暴れしている最中は火の見やぐらのような高所に登って鳥になっていたロクさんだが、彼は何を見ようとし、何を伝えようとしていたのだろうか。彼は何思ってそこから飛び降りたのだろうか。
 結果的にロクさんの死がサブの暴走を止めたのである。サブはロクさんからどんなメッセージを受け取ったのだろうか。
 感じ方、見方は人それぞれと思うが、僕はこんなふうに思う。兄が一張羅に身を包んで紀子さんを訪問しようとするとき、ロクさんには何か感じるもの、思うものがあったのではないかと思う。それを伝えるために、ついてくるなと念を押されても、ついて行かざるをえなかったのではないかと思う。それでは、何を伝えたかったのか。サブが八つ当たりしても、口元に飯粒をくっつけてポケーとしているロクさんは、あたかも「これが俺たちの姿じゃないか、なぜ無理してまで、笑いものになってまで、自分以外の人間に扮装しようとするのだ」と訴えているかのようだ。それは実存としては堕落なのだ。見た目だけ自分を変えたに過ぎないのだ。
 本作に登場する人たちの中で、ロクさんだけが人間らしい人間だと僕は思っている。村人たちは来る日も来る日も噂話するくらいしかすることがないのだ。ハイデガーのいう「ひと」(das Mann)の存在様式でしかない。彼らは何者にもなっていこうとしない。ロクさんは、自分が鳥だと信じている。彼は自分を超越して何かになろうとして飛び降りたのだ。
 そんなふうに考えると、ロクさんは兄にこう言っているに等しいのだ。「何者かになっていくことをせず、ただ扮装で自分の姿をゴマかしているのは真実の存在を生きていないのだ。戦車に乗って、自分の姿を隠して暴れているのもそれと同じだ。感情のままに生きているのも実存していないからなのだ。兄よ、俺を見ろ。俺は鳥になったぞ」と。
 その後、サブはきっとどこかで生き直しをしているのだ、と僕は思いたい。
 タンクの通った道は、その後、「タンク道」として山越えの道になった。紀子さんは今でもタンク道を通って村を行き来している。このタンク道は紀子さんにとっては、サブとロクさん兄弟の遺産なのだ。

 とにかく面白い映画だった。僕の評価は5つ星だ。他の「馬鹿」シリーズの作品も観たくなったよ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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