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2021年8月10日 火曜日

8月10日:洛西公園巡り

8月10日(火):洛西公園巡り

 今日は定休日だ。お盆ということもあり、両親は朝から墓参りに行くというので、僕も同乗させてもらった。墓参りを済ませると、僕は京都霊園で車を降り別行動を取る。今日は歩こうと思っていた。月に1,2回はウォーキングの日を持ちたいと思う。日頃の運動不足を多少は解消したい。
 京都霊園から9号線に出て、京都市方面へと歩く。今日のコースは昨夜決めておいた。道中、コンビニに寄って地図をコピーする。初めて行く場所の場合、地図を見ながら歩こうと思う。以前の向日市を歩いた時の教訓だ。スマフォでも地図検索できるけれど、こういう場合、紙の地図の方が使い勝手がよく、便利だと思う。
 沓掛口の交差点。ここがスタート地点である。そこのパチンコ屋で少し休憩する。タバコを一服しながら今日のルートをおさらいする。今日は洛西の公園巡りをしようという計画であった。

 沓掛口から坂を上がる。最初に出てくるのは新林池公園だ。こういう池のある公園っていいなと思ってしまう。小さな池であるが、周囲に遊歩道が整備されていて一周できる。なかなか気持ちよく歩けた。
 新林池公園を出ると、一直線に南に歩く。この辺りは閑静だ。歩道、自転車道も広く、安全だ。バス停で人が待っている他、誰ともすれ違いすらしない。黙々と歩く。今日はもっと暑くなるかと思っていたけれど、そこまで暑くはなかった。
 目印のリカーマウンテンの角を曲がると竹の里公園が出てくる。ここのベンチでまた休憩。特にどうという公園ではない。児童公園と、あと野球ができる程度のグランドがある。洛西ニュータウンは集合住宅地が多いので各地にこの手の公園が作られているようだ。見所はないけれど、静かに過ごすことができた。

 竹の里公園から北に進むとすぐに大蛇ヶ池公園に入る階段が出てくる。この大蛇ヶ池公園が今日一番の収穫となったのだけれど、なかなか立派な池だ。静かな湖面が周囲の風景といい感じにマッチしている。きれいだなと思い、ついついスマフォで写真を撮っておく。写真を撮りながら、ずいぶん矛盾したことをやっているなという感覚に襲われた。この感覚については別の機会に書こう。
 大蛇ヶ池公園も池の周囲に道が続いているので歩いてみる。歩いていると、いろんなアングルから池を眺めることができる。座り込んで絵を描いている人もいたな。公園内の一角には児童公園もある。むしろこれがあるから公園と言えるのだけれど。

 池をほぼ一周したところで一般道路に出る。東に向いて歩く。洛西中央通りに出るつもりだったのが、行き過ぎてしまった。福西本通りまで出てしまった。そこから福西公園に向かってもよかったのだけれど、お昼近かったのでラクセーヌから離れたくないという気持ちもあった。
 洛西大橋から洛西中央通りに戻る。ちょうどラクセーヌ、洛西高島屋の駐車場に出た。お昼はその辺で食べることになるだろうから、あまり昼前にそこから遠いところに居たくなかったというだけのことである。
 さて、洛西中央緑地というところがある。地図では敷地内に道が描かれているのだけれど、歩くことができるのだろうか。緑地の縁を歩いてみる。日は照っているけれど、ちょうど木陰になっていて、けっこう気持ちよく歩けた。竹の里小学校のところを右折する。緑地の入り口はある。どうもこれは一般の人が入ってはいけない雰囲気だ。

 そのまま直進する。道が左折する。大蛇ヶ池に戻ってしまった。大蛇ヶ池から一般道に出たあの地点に戻ってしまったわけだ。一旦、公園内に入り、休憩も兼ねて地図を広げる。ふと、自己愛的な人のことを思い出す。自己愛的な人は方向音痴が多いと僕は信じている。まあ、それは後で余裕があれば書こう。
 地図を見ると、大蛇ヶ池の周囲の道ではなく、それとは別に大蛇ヶ池公園の敷地を囲むようにして道がある。先ほどは前者を歩いたので、今度は後者を歩こうと決める。ちなみに、すでに当初の予定が狂っているのであるが、もうそんなことは気にしていなかった。
 このまま歩いていると竹の里公園まで戻ってしまうので、途中でコースを外れる。集合住宅地の中を突っ切って広い道路に出る。ここは竹の里北通りというのか。ここから境谷公園を目指す。
 境谷公園は、竹の里公園と似たようなものである。グラウンドも児童公園もある。ただ、こちらは周遊コースがあり、道が入り組んでいる分、歩いていて楽しい。境谷公園から東に向かうと、なるほど、ここに出てくるのか、ラクセーヌ、洛西高島屋に通じる歩道橋に出る。

 洛西高島屋は僕が18歳の時に、短期間だけど、アルバイトしたことがある。この辺り、ずいぶん変わったし、全然変わっていないところもある。この辺りのことはそれなりに知っているのだが、まだまだ知らない所がたくさんあると思った。身近な未知を探索してみるのも面白いものだと思う。
 さて、お昼を何か食べたいと思う。ラクセーヌのフードコートは人がいっぱいだ。少し店内をうろついてお客さんが減るのを待つことにした。今日は暑さがましだと感じていた。事実そうであったのだけれど、涼しい店内にいると、やっぱり外は暑かったのだなと思い至る。いつもよりましだと思っていると知らない間に暑さにやられてしまうかもしれない。熱中症の思わぬ死角のような気がした。
 ラクセーヌから北へ。庁舎等が並んでいる。道路に出たところにローソンがある。ここで何か買おうかと思った。しかし、よう考えたら、腹は減っているものの、何が食べたいとかもない。結局、何も買わずに出る。洛西中央通りから国道9号線へ。ここには小畑川中央公園があるけれど、ここはテニスコートとか野球場とか、そういう施設ばかりの公園であるので、素通りする。中にも入らない。
 9号線に出る。牛丼の吉野家がある。もう吉野家でいいや。簡単に済まそうと思ったのだが、そう簡単ではなかった。吉野家ってこんなにメニューがあったっけ。牛丼しかなかったようなイメージがある。牛丼の並か大盛りかしかなく、サイドメニューはカウンターにあるのを勝手に取っていくというイメージだ。これって、相当古いイメージなんだろうな。
 選ぶのにあれこれと迷わなくて済むはずだったのに、結局、あれこれ迷う羽目になってしまった。せっかくなので焼肉丼にする。食したことのないメニューを選んでみる。その焼肉丼は別にまずいわけではないし、美味しくいただいたのだけれど、普通の牛丼で良かったなとチョイとばかり後悔する。
 今日はここまでと決める。新林池公園、竹の里公園、大蛇ヶ池公園、境谷公園と巡った。福西公園とその周辺は割愛した。中に入ることができたら中央緑地や小畑川公園も見ただろうけれど、それらは脇を通っただけとなった。こうして今日の洛西公園巡りは終了。

 9号線を家路に向かう。途中、ダイソーとドンキホーテに寄ってみる。これは同じ建物内にあるのだ。ダイソーはそうでもないんだけれど、ドンキホーテは品物が密集していて、強制的に三密を作ることになる。あれは考えものだと思った。おまけに、店内を一周すると方向感覚が失われる。僕の中ではあんまり行きたくない店にランクインされた。
 その後、帰宅。26000歩ほど歩いていた。夜は家でゆっくり過ごすこととする。さすがに足が疲れたから横になって過ごした。これで今日の一日は終わるのだが、いい一日だったと思う。

 おっとそうだ。自己愛的な人が方向音痴だという僕の説について述べておこう。これは単純な理由である。自己愛的な人は、たとえ地図で調べたとしても、自分の感覚の方を信用するからである。地図では右が正しいのに、左が正しいという自分の直観に従ってしまうので、目的地にたどり着かないのである。これは地図よりも自分の直観の方が正しい(この辺りが自己愛的なのだ)ということなっているからであり、どうも道が違うようだぞと気がついても(なかなか気づかないことも多いと思う)、それでも地図で確認しようとせず、「さっきの交差点を折れたらよかったのだな」などと直観的に判断してしまったりする。それでさらにおかしな方向に向かってしまったりするわけだ。
 面白い経験もある。あるクライアントさんが母親の話をしたのだ。この母親は、僕から見るといささか自己愛傾向の強い人のように思えていた。話が一段落した時に、僕はその人に「お母さんって、方向音痴なんじゃないですか」と尋ねてみた。クライアントさんはびっくりしてたよ。なんでそんなことが分かったのですか、と。この人の母親は、しょっちゅう道を間違えては約束の時間に遅れて到着するという遅刻の常習犯であるとのことだった。すでにお分かりの通り、極めて簡単な推理である。

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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