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2021年5月27日 木曜日

5月27日:仕切り直しをしよう

5月27日(木):仕切り直しをしよう

 ダメだダメだ。最近は仕事でヘマばかりやらかしている。

 認知症の始まりか、最近のことが記憶できていない。覚えてはいるけれど、所々で抜け落ちてしまう。自分個人のことならまだしも、それで人に迷惑をかけてしまうことが、自分でも許せない。幸いなことは、迷惑を被った人たちはみんな僕を許してくれる。彼らはいい人たちだと思い、感謝に絶えない。
 認知症は脳の方面から説明されることが多いし、生理学的に説明されることがまず大半である。心理的には、僕は不幸な人がなる病気だと考えている。見たくない現実、耐えられない現実というものがあって、それをまともに見るくらいなら「ボケた方がましだ」と心が機能すると考えている。僕もやはりそうなのか。

 いろんな気がかりがある。仕事もこともそうだし、将来のことも、両親のことも、身体のことも気に病んでいる。コロナの状況がそれに加担する。体の具合が少々悪くても、すぐにコロナに感染したのではないか、重症化するのではないか、そして死ぬんではないかと、瞬時にそこまで発想が至る。
 一度、自分自身の仕切り直しをする必要があると思っている。でも、本当は少し休みたいという気持ちであるかもしれない。

 もし、認知症でなければ、分裂病だ。こっちの心配もある。記憶が低下しているのは、人格の貧困化によるものではないかなどと思ったりもする。先週、このブログでも書いたクライアントに分裂病の疑いを持ってしまったけれど、あれも僕の何かを重ね合していないかと、要するに僕の何かを投影して僕が見ているのではないかとの疑いがあるので、判断に迷うのだ。

 今、サイトの原稿をやたらと書きまくっている。ブログの方も書いている。これも書いて残しておかないと、それが自分から失われていくようで怖いのだ。一つ一つの体験や感情、思想が、次の瞬間には失われてしまうのではないかといった恐怖感がある。そこで強迫的なまでに書き残そうとしてしまうのだ。
 人と会わない生活も影響しているだろう。僕はテレワーク反対派なのだけれど、人と直接に会わなくなるというのは精神的によくないことだと僕は信じている。認知症であれ、分裂病であれ、躁うつ病であれ、人から隔絶したような生活はそれらを顕現化したり、あるいは悪化させたりしてしまうのではないかと思っている。

 本当に人とは会わなくなった。仕事で、面接で会うだけだ。業者とも今は会うことがない。呑み屋も営業していないので、飲み友達ともご無沙汰している。僕の中ではもう彼らとも縁が切れていいかなと思っているのだけれど、やはり、人と関わる機会を減らすのは良くないことのようにも思えている。

 いろんなことに追われている。追われているなら一つ一つ処理していくだけだが、なかなか思うようにも進まない。パソコンのワードのトラブルなんていう余計なものも割り込んできては、僕を追い詰めるかのようだ。

 人並みの幸福とか娯楽を求めなくなって久しい。僕はあまり自分自身が幸福なることを考えていない。どうにか生きていけたらそれでいいやと思っているところもある。娯楽に関しては、人が楽しいと感じているものに何も楽しみを感じない。ネットだのユーチューブなども見ないし、テレビも見ない。映画やミステリは好きだけれど、本当に楽しんでいるかどうか不明だ。食べることも、飲むことも、以前ほど楽しくはなくなった。ちょっとした旅行とかもしようという気にならない。コロナ禍で自分の行動範囲を制限しているためでもあるけれど、それもいつまで耐えれるかという気もする。一日、どこかで臨時休業して気晴らしをしようかなと考えたりもする。

 この仕事をやって、たくさんの不幸な人たちと出会った。彼らはまた周囲の人を不幸にしたりしてしまう。彼らのせいとは言わないんだけれど、あまり不幸な人とばかり会っていると、この世で幸福を追求することの方が間違っているという気分にさえなる。

 僕自身がこんなことであってはいけない。なんとしてでも今の状況、今の状態から抜け出さなければ。いつか人生に終わりが来るとしても、今終えるわけにはいかないし、終えるにはまだ早すぎる。まだまだやり残していることがたくさんありすぎる。
 とにかく、一度、僕自身の仕切り直しをしてみようと思っている。

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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