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2021年1月19日 火曜日

1月19日:回想録・第7回

1月19日(火):回想録・第7回

 今回は発話に関することを書いて残しておこう。小学生の低学年ころはいきなり声が出なくなるという感覚に繰り返し襲われた。この感覚はもっと後まで続くのだけれど、その時代が一番ひどかったように思う。これはどういうことかと言うと、いざ発言しおうとすると、なんかのどに詰まったような感じがあって、声が出せなくなるという現象だった。自分では意図してそうしているわけではない。(1)
 小学2年3年の頃、担任はM先生という男性の教師だった。この先生が厳しい人で、僕がモノを言うまで座らせないという先生だった。授業中に先生が僕を名指す。僕は答えようとするのだけれど、言葉が発せられない。何も言えないでいるとM先生はそのまま立っておれと言う。そこで僕はそこで立ちっぱなし状態になる。僕の記憶しているところでは最長2週間だったと思う。朝、学校に来て、授業が始まると、みんなは着席しているのに、僕だけ自分の席のところで立つ。昼休みは座ったのだったかな、よく覚えてないな。それから一日の最後の授業が終わるまで立つ。こんなのを2週間続けたのだった。(2)
 発声の制止がそれだけ継続するのかと言うと、そうではない。これには三段階ある。最初は本当に声が出せない感じがある。次に、声を出そうと欲すれば出せるのだけれど、モノを言うタイミングがつかめなくて困惑する。最後には、なんか意固地になって、絶対に喋ってなるものかといった気持ち、闘志のような気持が僕の中に湧いてくる。(3)
 僕は無言のまま毎日立っているけれど、M先生は一日一回は僕を呼び寄せる。僕はM先生の前に立つ。恐ろしい瞬間だ。M先生はどうして何も言わないのかなどと最初は僕に問うてくる。先生が何を問うても僕が答えないものだから堪忍袋の緒を切らしてしまうのだろう。手で僕の頬をつかみ、ギュッと押し潰す。すると口が面白い形になって開くわけだ。何とかして僕の口を開かせようとしたんだろう。でも、そんなことをされればされるほど僕は意固地になる。絶対口を開けてたまるものかと強く思うようになる。まるで「自分との闘い」の様相を帯びるし、当時は本当にそんな感覚があった。(4)
 僕は「自分と戦う」というフレーズが嫌いである。アスリートが厳しいトレーニングに絶えている時、よく「自分との闘いだ」と言われたりするんだけれど、本当はそうではないという気がしている。それは自分との闘いというのともっと違った経験であるように思う。自分と戦うのは神経症的な人だけであると今では分かる。(5)
 神経症的な人はそういうことをするし、人格障害圏や精神病圏の人になるとさらに顕著になる。彼らはどうでもいいことで意固地になる。例えば、お腹が空いているのに絶対に食べないとかするのだ。そこで食べると自分に負けた気がするなんて言うんだな。また、自転車で走っていて、後ろから誰かが追い抜いたとしよう。僕だったらきっと、あの人は急いでいるんだなと思い、それならどうぞお先にとでも思うことだろう。でも、そういう人は自分は急いでいるわけでもないのに、追い抜かれると猛ダッシュして追い抜き返したりするのだ。それも自分が負けた気がするなんて彼らは言うわけだ。そういう場面で彼らが言うフレーズが決まってそれなんだな。(6)
 そこで、自分と戦うことはないよとか、負けてもいいじゃないかとか、それで勝って何になるのとか、そんなことを言うカウンセラーもおると思うけれど、こういうカウンセラーはかなり質が低いと僕はみなしている。彼らは自分と戦っているのではないのだ。そこで意固地にならないと自分が消滅してしまいそうな恐怖感に駆られているのだ。そこで負けるということは自分が存在しなくなるに等しいことなんだ。従って、彼らは自分と戦っているのではなく、自己消滅の恐怖感から逃れようとしているのだ。だから、彼らはその「勝負」を捨てることもできないし、「負ける」わけにもいかないのだ。自分の目標とか、自分の信念とかのために戦うのではないのだ。病者が自分と戦うという場合にはそういうことがその人の中に起きているとみなしてほとんど間違いはないと僕は確信している。(7)
 話を戻そう。当時の僕が意固地になってしまうのは、そこで僕が折れたら僕という人間が存在しなくなってしまうからなのだ。もちろん、そういうことは当時は分からなかった。もっと後になって、大人になってから当時を振り返ってみて、少しずつ分かってきたことなのだ。(8)
 さて、発声の制止には三段階あるわけだけれど、今、僕は三段階目のものを述べている。この傾向は徐々に治まっていくのだけれど、三段階目から先に鎮静されていったように思う。最初に意固地になる部分が緩和されて、次にタイミングの問題が解消されていったように思う。一番最初のものが最後まで残ることになったが、中学1年生頃にほぼそれも消失したように思う。(9)
 授業中、先生に名指しされるのが怖かった。指名されると席を立って答える。クラスの全員の視線が一気に自分に集中してしまうような感じがする。その恐怖感もある。それと、僕には吃りがあって、それが出てしまわないかという恐れもあった。年齢が低いほど前者が怖く、年齢が高くなるほど後者が気になっていったように思う。子供の頃は注目を浴びてしまうのが非常に怖かったわけで、これは今でも多少は残っているかもしれないな。(10)
 前にも述べたことだが、利き手を変えてから僕が吃りはじめたということらしい。いつからそうだったかは僕には覚えがないけれど、吃音はすでにあった。この吃音は後々まで悩みの種だった。ただ、小学生の高学年頃には、なぜか朗読には自信があった。授業で教科書を読まされたりするわけだけれど、そういう時は比較的スムーズに読むことができた。言葉が詰まったりすることもなく、いわゆる「噛む」ということもなく、教科書の文章を淀みなく読むことができた。僕の中で一つの妙な信念になっていて、本を読むと吃音が出ないという感覚がある。つながりがあるのかないのか不明である。単なる僕の個人的な感覚でしかないのかもしれない。今でも、面接前に活字を読んでいるとどもらないと信じていて、それを実践したりする。どもらないためのおまじない程度のことかもしれないけれど、そのためならどんなことでもやってみるつもりである。(11)
 吃音が問題になったのはクリニックにいた頃だ。クライアントの前でどもったりすると、クライアントには自信のないカウンセラーと映るのかもしれなくて、上司である先生方はそこを気にしていたようである。吃音はこの仕事をやる上でマイナスだと僕も信じていた。もっとも、当時はまだ上司であるN先生に対する陽性感情が色濃く残っていたので、N先生の言葉を疑うことなく信じてしまっていたのかもしれない。いずれにしても、なんとしても吃音は治さなければという思いに駆られていたのを覚えている。(12)
 20代の半ばころ、カウンセリングの実習の授業でのことだ。生徒同士が模擬面接をお互いにやるわけだ。僕がカウンセラー役で、クライアント役は同じクラスの女性のMさんだった。さらに観察役が一人乃至は二人いた。3人から4人一組で模擬面接をやっていたのだったな。その時、僕はクライアント役のMさんに訊いてみたのだ。僕にはどもりがあるけれど気にならなかったかと。彼女はまったく気にならなかったと答えた。どうも僕が言葉を慎重に選んでいるように彼女には見えたらしい。観察役の人たちもそれは気にならなかったとフィードバックしてくれた。ありがたいことだった。それ以来、徐々にではあるけれど、僕は吃音の呪縛から自由になっていった。吃音に問題を見るのはN先生の思い込みに過ぎなかったようだ。もう少し言えば、N先生の投影だったのではないかと僕は思っている。(13)
 今でもクライアントに僕がどう見えるかを尋ねることがある。ライヒによるとこういう質問はクライアントの信頼感を高めるそうである。それを取り入れているだけなんだけれど、クライアントに僕のことを言う機会を与える。面白いことに、僕がゆっくり考えて、言葉を慎重に選んで話していると評した人も少なくない。この評価を聞くたびに、きっと面接中は僕がどもっていたんだなという確信を得る。こうなってくると、ますます吃音なんて問題でもなんでもなくなってくる。(14)
 再び小学生時代に戻ろう。言葉が出なくなるのと関連して、僕は自分を閉ざしたいと思うことがよくあった。そういう時は何も言いたくないし、何も表現したくないという気持ちになる。先生にノートを提出するのもイヤだった。自分のノートを見られるのがイヤに思えてくるんだな。基本的に僕は緘黙なのだ。よほど親しい人とでなければ打ち解けないところが今でもある。僕がだんまり屋だから、僕が何を考えているか分からないと何人もの人から言われたことがある。それで彼らがどう困っているのか僕には分からないんだけれど、僕が何を考えているか外側から見て分からないということで何か迷惑でもかけているのだろうか。僕が何を考えているか分からないように見えるということで、彼らが不安になるのだろうか。僕も好きで彼らの不安を喚起しているわけではないのだが、それは彼らの不安であり、彼らの問題であって、僕のではないということだけは押さえておくようにしている。(15)
 確かに、人に安心感を与えるような人間にはなりたかった。まあ、僕で安心してくれる人もそれなりにいるので、それはそれでありがたいことである。それでも、もっと人に安心してもらえるような人間になりたいという気持ちもある。ただ、この気持ちも本当は正しくないのかもしれない。僕の症状の一つなのかもしれない。僕が黙っているだけで人を不安にするということであれば、僕は相当な悪人だということになる。僕はそれを信じない。不安を覚えるのは彼らの自由であるので、僕はそこに干渉しないようになっている。(16)
 発話、発声、言葉の問題は僕に終生つきまとっているようだ。常に気になる。人の言葉でさえもが気になる。どうしてあの人はあそこでああ言わずにこう言ったのだろうとか、そんなことが頭にこびりついて離れなくなることも多々ある。書く方もやはり気になる。自分の書いたものが読み手に伝わるかどうかということもやたらと気になることがある。僕には、話したことであれ書いたものであれ、自分の言っていることが相手に伝わっているだろうかという不安が常にある。僕の中では僕は誤解される人間だというイメージが生きている。(17)
 これもいいのか悪いのか、今はそういうことも気にならなくなっている。自分の言葉が正確に相手に伝わっていようが曲解されていようが、そこはほとんど気にならなくなっている。大抵の場合、僕の言うことは相手には理解されない。よほど言葉を積んでようやく相手に理解してもらえることもある。自分のことが分かってもらえなかったとしても、それはただ悲しい出来事であるというだけにすぎず、何も致命的な出来事でもなければ、破滅的な出来事でもないのだ。一人でも多くの人に分かってもらおうという気持ちは、年を経るごとに、減少していっているように感じている。孤独に対しても鈍感になっているのかもしれない。(18)

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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