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2021年1月15日 金曜日

1月15日:回想録・第6回

1月15日(金):回想録・第6回

 小学3年生くらいまでは、本当にどうしようもないガキだったなと自分でも思う。こうして振り返るのもイヤになってくる。恐怖症、不登校、心身症と綴ってきたけれど、これからだんだん記述するのが難しい領域に入っていく。食と言葉に関する事柄なのだけれど、これはなかなか理解してもらえないかもしれないし、僕も上手く記述できる気がしないのだ。でも、食のことから始めよう。(1)
 これは何かと言うと急に食べられなくなるという事態である。主に学校の給食の場面だった。僕はいつものように食べようとするんだけれど、喉に通らない感じがするのだ。それで食べられなくなる。他の子たちは食べているのに、僕だけ食べていない。それで先生なんかに注目されてしまうのだ。先生は僕に食べろ食べろとけしかけてくる。すごくイヤだった。(2)
 やがて、他の子たちは給食を終えて、校庭なんかに出て遊んだりする。昼休みを彼らは堪能する。僕は教室で一人、手付かずの給食を前に座ったままだ。先生も手を焼くのだろう、兄が呼び出される。兄が来て、同じように食べろ食べろという。それを言わない場合は、「どうしたんだ」といったことを、先生も兄も訊いてくる。どうしたのか、こっちが知りたいくらいなのだ。とても答えられないような問いを浴びせかけてこられることに、僕はウンザリする。(3)
 急に給食が食べられなくなるというのが、時々あった。毎日というわけではない。ただし、それが急に来る上にいつ来るかなんてことは自分でも分からない。いきなり食べられなくなるのだ。食べようとしても喉を通らない感じがするのだ。今から思うと、給食の時間って、けっこう辛かったかもしれない。(4)
 20代の中頃のこと、僕にとって二人目のカウンセラーであったH先生にこの時のエピソードを話したことがある。H先生はこう解釈してくれた。当時、僕の中ですでにいっぱいいっぱいになっていて、もう自分の中に何も入れることができない状態だったのだと。食べ物が喉に通らないというのは、その身体的表現ないしは象徴的表現であるということだ。この解釈を受けた時、僕はそれがよく分かるように思ったのを覚えている。(5)
 小学生時代に戻ろう。僕が給食を食べないことで兄が呼び出されるわけだけれど、兄はそれをとても嫌がっていた。それもそうだろう。兄だって昼休みはクラスメートと遊んだりしたいだろう。それを中断されて、僕の面倒を見させられるのだから。おまけに、僕の周囲には物珍しそうに眺めている観客がたくさんいる。兄は恥だったと言うが、その通りだ。兄には申しわけないとも思うのだけれど、僕からも一言いわせてほしいものがある。何も兄を呼んでくれなんて僕がお願いしたわけではないのだ。それは先生方の判断なのだ。恨むならその先生たちを恨んでほしいものだと思う。先生方の判断の責任まで負わされるのは御免蒙りたいところである。(6)
 さて、給食はそんな感じだ。もう一つ僕にとって不愉快な場面は夕食の席だった。夕食はなぜか家族全員揃って食べるのが習慣だった。ご飯の用意ができると母が僕を呼ぶ。本当は食卓には向かいたくないのだけれど、渋々足を運ぶ。僕は黙々かつそそくさと食べようとする。そんな時に、兄が「今日、順司がまた...」といった話をしようものなら、たちまちのうちに僕の中に緊張感が走る。今日は何を言われるのかと気が気でない。登校を渋ったとか給食でごねたとか、そんな話が出るに決まっている。そして最後には「順司のせいで恥をかいた」といった話に落ち着く。兄だけではない。両親も僕を恥じていたことだろう。(7)
 夕食の場なんて、ホームドラマなんか見ると典型的な家族団らんの場面だけれど、僕の場合、それは裁判に等しい。そこで僕がどのように断罪されるかと、今日はなんの罪で咎められるのかと、毎日、生きた心地がしなかった。ハッキリ言えば、料理の味なんて分からなかった、味わう余裕もなかったように思う。(8)
 この拒食の傾向も小学4年生頃から徐々に消失していく。前にも述べたように、これは克服したとかいう意味ではなく、心の方向が変わっただけのことである。食に関しては、当時の名残ともいえるものがけっこうある。(9)
 今でも食事は独りで取りたいと思う。メシは一人で黙って食うものだという感覚が僕の中にある。一時期は人と会食もあまりしたくなかったのだけれど、それは徐々に治まってきている。今は人とも普通に会食できるし、宴席に出るのも苦ではない。ただ、あまり頻繁になるとしんどくなるかもしれない。(10)
 両親を見ていてすごいなと思うのは、彼らは食事の時間を几帳面に守るのだ。僕には無理だ。今の僕は、時間とか習慣に合わせるよりも、心身に合わせるようにしている。だから、もし、何も食べる気がしないのであれば何も食べないことにしている。食事の時間はまだであっても、腹が減ったら食うようにしている。集団行動を取る際には集団に合わせることもできるけれど、一人の時は自分の心身状態に合わせることにして、無理なことはしないようにしている。結果的に食習慣に乱れが生まれるものの、それ以上に心身の乱れが生まれるのを防ぎたい。(11)
 給食で出されたものに関しては嫌悪感が残っているものもある。牛乳は飲めない。飲んだらお腹が痛くなるというのもあるんだけれど、どうも給食を思い出していかん。それとパンも今はほとんど食べなくなっている。給食では毎日パンだったし、実家は朝食はパンだった。どうもパンもあまり好かんのだ。好きではないけれど家族に合せていたところがある。今では朝も米を食う。パンはどういうわけか食べているとしんどくなってくる。まあ、今の生活はパンを食べなくてもなんの不便もないからいいのであるが。(12)
 食に関する関心は今でも低い。特に美味しいものを食べたいとか、評判のお店に行って食べたいとか、そういうことをまったく思わなくなっている。テレビなんかで紹介されていると、その時は美味しそうなどと思うこともあるけれど、思うだけで、実際に食することはない。グルメには興味がまったくなくなっている。(13)
 僕はお酒は飲むけど、食べる方はあまりしない。今はほとんどしなくなったが、飲み歩くという場合、呑む店と食べる店とは完全に分けていた。最初に飲み、次に食べ、そこからまた飲み、最後にまた食うといった感じだった。食べながら飲むというのはあまりしない。ツマミ程度のものをつまむくらいが関の山だ。食事と一緒にお酒というのは、僕の場合は考えられないことだった。でも、ここ数年はそこも少し変わってきたところがある。ファミレスなんかで料理とワインと頼むということもするようになった。(14)
 イベントなんかでも食に関するものには興味が湧かない。高槻にもそういうのがある。食べ歩きのイベント等々だ。僕も高槻で仕事をさせてもらっている以上、そういうイベントには興味を持って、何らかの形で参加するなり貢献するなりしたいとも思うのであるが、どうも食に関係するようなイベントに対しては気が乗らない。デパ地下の試食なんてのも、僕には勇気がない上に、したいとも思わない。こういうのも後遺症というのだろうか。(15)
 割と最近だけれど、保育士が園児を死なせてしまったという事件があった。保育士は子供に食べさせようとして、それで園児が喉を詰まらせてしまったのだった。このニュースを聞いた時は無性に腹が立った。きっと、先生や兄から食べろ食べろと言われた経験にどこか触れていたんだろう。でも、なんでこの保育士は園児に無理に食べさせたのだろうか。それは時間制限のためである。時間内に食事を終えなければならないとかいうバカなルールがあったそうで、保育士はこのルールを園児よりも優先させたのだ。保育士や教育者の中にはそんなふうにやってしまう人もあるのを僕は知っている。躾至上主義みたいな人だ。(16)
 これはベテルハイムが言っていたことのように記憶しているけれど、幼い子供は食事を楽しむのだ。楽しむから時間をかけてしまうのだ。僕はその通りだと思う。兄の最初の奥さんとの間に生まれた女の子、僕からすると姪っ子に当たるわけだけど、その子の食事風景を見ているとベテルハイムの言葉が正しいということが分かった。子どもはただ食事を楽しむのだ。それが大人には遊んでいるように見えてしまうのだろう。だから遊びを止めさせようと一生懸命になってしまうのかもしれないけど、子供からすれば楽しみが奪われる経験だ。(17)
 確かに、子供が食事で遊んでいたら、それはそれでよろしくない。食材を投げて遊んでるとか、一時期のバカッターのようなことをやっているのなら叱るのも当然だ。それはもはや食べていないからである。しかし、子供が料理を食べている限り、それは妨害しない方がいいと僕は考えている。食べることが楽しいという感情は、生きることが楽しいという感情の一部となると思うからだ。(18)
 幼児や児童は飢えさせてはいけない。彼らには食が必要である。ただ、彼らが食を拒むとすれば、大人たちは自らを省みたほうがいい。それは子供の問題とは言えない部分が多分にあるからである。先述の喉を詰まらせた園児も、本当は食べるのを拒んでいたかもしれない。いや、これ以上生きるのを拒んだのかもしれない。(19)
 食に関する話はまだまだ尽きない。だけど、このテーマはこれくらいにしておこう。後々、このテーマを綴るいろんな機会に恵まれるだろうと思うから。(20)
 ああ、でも最後に一つだけ。これは数年前のことだ。僕の飲み友達が小学校時代の給食の話をしたんだ。その話で一同が盛り上がったんだった。その時、僕が思ったのは、みんなよく覚えているなということだった。改めて、給食に関しては思い出が乏しいということに思い至った。当時、どんなものがおかずで出ていただろう。食パン二枚は必ずあって、一枚は残してもいいというルールがあったのを覚えている。そして悪夢の牛乳も毎日だった。目をつむって一気に飲み干したものだった。週に一回だったか、パンではなく、ご飯の日があったな。確か金曜日だ。それ以外はほとんど覚えていないな。(21)
 こういうのが不思議だ。あれだけ毎日食べていて、毎日のことだったのにほとんど覚えていないというのが。僕はどの人にもそういう経験なり場面なりがあると思っている。今の僕の場合で言えば、小学校の給食だ。これに関しては記憶が薄い。他の事柄に関しては記憶が鮮明であったりするのに、どういうわけかこの領域だけは記憶が薄い。ちなみに、精神分析学が取り上げたことの一つは、人間のこうした体験である。自分にも覚えがあるために精神分析は馴染める感じがしているのだ。(22)
 とりとめのない話になっていきそうだ。それに時間もちょうどいいので、今回はここまでにしておこうか。(23)

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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