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2020年1月31日 金曜日

1月31日:今月観た映画(2)~『新サイコ』

1月31日(金):今月観た映画(2)~『新サイコ』

『新サイコ』
 一時期のメル・ブルックスは面白い。『ヤング・フランケンシュタイン』『ブレージング・サドル』を筆頭に、本作や『サイレント・ムービー』、後の『スペースボール』など、70年代中盤から80年代辺りの作品が面白い。
 メル・ブルックスはパロディをやるのだ。コメディとはまた違うのだな。パロディということは元ネタがあるわけだ。
 本作はヒッチコックのパロディで、随所にヒッチコック映画の場面や手法がパロディ化されている。チープで楽屋オチのような笑いが多いんだけれど、個性的な俳優陣がそれに色を添える。
 主人公はメル・ブルックスが演じる精神科医である。悪役のクロリス・リーチマンなど、ブルックス作品のお馴染みの顔ぶれも嬉しい。もちろん、マデリン・カーンもだ。入院している父親の娘という役柄で、美人なのにどこかとぼけた雰囲気があって僕は好きである。同じく病院の運転手もとぼけた味を出していていい。目を開けたまま眠るリローマン教授なんかも個性的だ。なぜか律儀に歯の矯正をしている殺し屋とか、思い切りサイコなホテルボーイなど、不思議な面々が次々に登場する。
 物語は飛行機から始まる。窓から人々が嬉々として地上を見下ろす中、一人だけ目を見開いて硬直している人物がいる。メル・ブルックスである。高所恐怖症の精神科医である。高所恐怖症なら高い所から下を見なければいいのにとも思うのだが。
 空港でサスペンスたっぷりのくだりを重ねた後、運転手とともにブルックスが新たに赴任した精神病院に到着。この病院、前任者が謎の死を遂げ、ブルックスはその後任として招かれたのである。
 運転手は前任者は殺されたのだと主張する。その夜、ブルックスの部屋に石が投げ込まれる。朝は朝で何者かが鏡で合図を送ってくる。ミステリーなことが次々に起る。そして、ブルックス自身が殺人の容疑で追われる身となる。警察に追われながら無実を証明しようと奔走するブルックス、殺し屋にも狙われ、ハトの襲撃にも遭う。ハトは別として、ヒッチコック好みのシチュエーションが展開される。彼を助けるヒロイン、マデリン・カーンもヒッチコック好みのブロンド美人だ。
 ヒッチコック映画のあれやこれやのシーンも登場する。中でも秀逸なのは『鳥』のパロディだ。殺人の容疑で追われる身となったブルックス。公園に逃げる。すると次々にハトが集まる。その異様な光景に距離を置き、逃げ出すブルックス。ハトはそんなブルックスを追い、狙ったかのように次々にフンをブルックスめがけて落としていく。ハッキリ言って、物語にはまったく関係のない場面である。ただそれをやりたくてやっただけというようなシーンだ。
 次に秀逸なのは『サイコ』のシャワーシーンだ。オリジナルではナイフを手にした老婆だが、ここでは新聞を手にしたボーイだ。ブルックスが新聞を買ってくれと頼む。しつこいくらい新聞のことが繰り返される。最後にボーイがキレるというオチだ。
 他にも『サイコ』ネタはある。口外しないという条件で病院を辞めることのできた医師が雨の中、車を運転する。このシーンは『サイコ』にある。ところが、この医師、大音量のロック音楽によって車中で殺されてしまう。この音楽もなんかコミカルで面白い。
 また遠方から徐々にカメラが近寄り、窓外から室内へとクローズアップされるくだりは『サイコ』のオープニングを思わせる。もっとも、ブルックスの方はカメラが近寄り過ぎて窓ガラスを割ってしまうというチープなオチだけど。
 僕のお気に入りの場面は学会での講演だ。出席者が小さな子供を連れてきてしまったのだ。そうするとブルックスは言葉に困る。と言うのは、精神分析が性的な用語を使うためである。そこでブルックスはどうにかして専門用語を子供言葉に入れ替えて講演するんだけれど、その言葉といい、ブルックスの困惑した動作といい、他の参加者にも同じような言葉を使わせようと四苦八苦する姿が可笑しい。精神分析の用語って、専門家でもなかなか口にするのが気恥ずかしいものなので、妙に共感できる。
 あと、本作だけに限ったことではないけれど、メル・ブルックス作品にはどこかノスタルジーがあるのだ。本作では、そうだな、バーで歌うところなんかそうだ。シナトラとかナット・キング・コールなんかが歌いそうな曲で、アステアのような軽快なステップとか見せたりする。クライマックスの時計台なんかも50年代辺りのホラーやスリラー映画に出てくるようなセットだし、婦長も魔女のような姿だ。こういうノスタルジーなところも僕は好きだ。
 また。メル・ブルックスは自ら監督をやり主演もこなす。喜劇をやる人にはそういう人が多いように思う。自ら監督し、自らを演出するわけだ。喜劇にはそれだけ独特な何かがあるのかもしれないんだけど、キートンやチャップリン以来の伝統を引き継いでいるように思う。
 この映画、僕は好きなので語り始めると止まらなくなりそうだ。他にも見所なんかを書きたいんだけれど、キリがないので最後に一つだけ。
 主人公のブルックスは高所恐怖症である。最後に彼は自分の高所恐怖症の原因を洞察する。彼が幼児のころ、彼はいつも両親の争いを見ていた。育児ストレスからか、両親は子供(ブルックス)のために自由がないと言い合い、喧嘩している。その時、ブルックスが高所から落下したのだ。それが高所恐怖症の原因であり、恐ろしいのは高所ではなくて、両親だったのだという洞察を得るわけだ。
 映画だからそれでいい。フィクションだから許される。しかし、そういう体験をした人は、高所恐怖症になるよりも、うつ病になる方が可能性としては高いと僕は思う。ただ高所から落ちたというだけではなく、彼は両親の悩みの種であり、苦悩の源泉であり、落下するまでその存在に気づいてもらえないのだ。うつ病になる可能性が高いだろうし、きっと自殺する時には高所から飛び降り自殺をするだろう。
 まあ、だからと言って、そんなことは作品にもギャグにも関係がないんだけれど。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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