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2019年6月 7日 金曜日

動画広告完成記念コラム(30)

動画広告完成記念コラム(30)

(「治らない人」たちが臨床を発展させてきた)

 さて、ここで少し歴史に目を向けてみようと思う。
 ヒポクラテスはすでに「心の病」を記述していた。その後、キリスト教の時代に入ると、この領域の学問は停滞することになる。中世においては、精神病者や犯罪者たちが一まとめにして施設に収容されるようになっていた(注1)。
十八世紀末になって、収容されていた囚人たちを解放した人がフランスに現れる。ピネルという医師である。この時、囚人たちは「治療の必要な人たち」であり、「病人」であるという認識が生まれたわけである。そこから現代の精神医学が誕生したのである。
 しかし、初期の精神科医たちは、自分たちの仕事をする尺度をまったくと言っていいほど有していなかった。そこで彼らは個々の患者の示す言動を観察し、記述し、それらを分類して疾病単位をつくるところから彼らの仕事を始めたわけである。(注2)
 この作業はとても難しいものとなった。というのは、患者の示す多種多様な現象をどのように分類するか、それに対してどのような病名を付すかに関して、医師たちは一致した見解を持つことができず、医師によって診断基準も疾病単位も異なるという状態が続いたのである。
 この混乱した状況に終止符を打ったのがクレペリンであった。クレペリンは、患者の示す現象ではなく、患者の示す経緯に着目したのである。そこで、予後の良好な一群と予後の不良な一群とを観察し、前者は躁鬱病として、後者は早発性痴呆(後に精神分裂病、現在は統合失調症)としてまとめた。
 僕が思うに、この時点で既に「治る人」と「治らない人」とが観察されていたということになる。そして、両者の違いは「病気」の種類の違いとして見られていたということになる。

 精神分析の分野ではどうだっただろうか。フロイトは最初は催眠を使用していたが、彼はこの方法を捨てることになり、代わりに自由連想法を開発した。フロイト自身催眠が上手ではなかったそうなんだけど、それ以上に、催眠にうまくかからない人や催眠を使用しても治らない人が現れたからである。つまり、従来のやり方では「治らない人」が現れたわけである。フロイトは自分の技法を修正することでそれに対応したことになる。。
 その後、フロイトは患者の「抵抗」に着目するようになり、これを打破する必要を説くようになる。ここで、患者が治らないのは、そこに抵抗が働いているためであるという観点が持ち込まれるようになったわけである。。

 この抵抗の問題に真っ向から取り組んだ一人にフロイトの弟子だったライヒがいる。ライヒは抵抗とは「性格」であると考えた。ここで「性格」という観点が持ち込まれることになった。クライアントが「治らない」のはその性格に要因があるという見解が生まれているわけである。。
また、ライヒの方法は抵抗分析を最初に行って、患者の抵抗を処理してから、内容分析に入るというもので、これはフロイトの方法論とは正反対のものであった。僕の観点から言えば、これは治療に入る前に患者を「治る人」にしていくということである。
 フロイトやライヒなど、当時の精神分析理論においては、「治らない人」の問題は「抵抗」や「性格」という概念を通して取り上げられていたように僕は思う。

 さて、1940年ごろまでに、臨床の世界では次のような人たちが注目されるようになっていた。この人たちは、通常の治療サービスに反応せず、また、通常なら治療的に作用し、感謝されるようなサービスに対して怒りで応じるのである。さらに、精神分析療法を開始すると、極端に退行する人たちの存在が観察されていた。この人たちは治療が難しいとみなされていた。この群に属する人たちは、後に「境界性人格障害」というカテゴリーにまとめられることになったのだけど、ここでは「治らない人」に対して新たな分類が作成されたことになる。

 1940年代頃から分裂病の家族研究が盛んになる。この研究の背後には、治療の場では改善が見られたのに、家族のもとに戻されると悪化してしまうという患者の存在があった。(注3)
 これは、つまり、「治らない人」たちの家族研究であり、環境側からの研究ということになるかと思う。

 ミルトン・エリクソンの流れを汲む臨床家たち、家族療法家や短期療法家たちは、クライアントが問題解決のために試みていることが却って問題を維持させてしまっているという逆説を提示した。また、治るか治らないかは、治療者の技法によるだけではなく、クライアントの参加の性質が影響しているという見解も打ち出した。
 ここで、「治らない人」個人に焦点が当てられるようになるわけだ。
 その他、治療者が自分のやり方を信用しているか否かの影響も指摘されている(注4)。臨床家の採用する技法の種類よりも、臨床家が自分の技法をどれだけ信じているかという臨床家側の要因にも光が当てられているわけだ。

 ロジャーズやジェンドリンなどのグループもクライアント要因に焦点をあてた研究を行っている。「治らない人」の研究というわけではないが、それに関連する研究であると僕は考えている。
 彼らは体験過程スケールを作成する。クライアントの語ること、体験の様式が、このスケール上で高い位置を占めるようになるほど、カウンセリングが功を奏する(「治る」)というわけだ。
 つまり、カウンセリングの場面において、「治る人」と「治らない人」との間には、語り方とか内容に違いがあり、体験の様式も異なるというわけである。

また、ダンカンらは理論の逆転移と称して治療者があまりに一つの理論や見解にこだわることの弊害を指摘している。これに関連して、短期療法や認知療法の一派は、ある一つの技法が上手くいかなければ、すぐに他のものを試せという鉄則を掲げている(注5)。両者は同種の見解であるように思う。ここでは、いわば、クライアントが「治るか・治らないか」は臨床家側の臨機応変さ、柔軟さと関係するということになる。

 こうして見ていくと、「治らない人」たちが臨床の世界を豊かにし、牽引してきた事実を認めることができるように思う。いつの時代にも「治らない人」の問題があったことが窺われるのだ。
 そうした「治らない人」たちに対して、疾病要因、治療者要因、環境要因、クライアント要因などからアプローチされてきたことが理解できる。そのどれもが意義のある研究であったことは確かだ。
僕がここで取り上げているのは、前記のうちのクライアント要因に関するものである。治療者要因、環境要因などは取り上げることができなかったけれど、決して、それらを過小評価しているわけでもない。一本の動画広告で取り上げることができるのは、ほんの一部分だけなのである。複数の要因のうちの一つだけを取り上げるざるを得ないのである。その視点を忘れないでいただきたく思う。

(注1)この時、すでに精神病者と犯罪者とが同一視されていたことが窺われる。もし、「精神病者は何をしでかすか分からない人間だ」と考えている人がいれば、また、凶悪な犯罪者が精神病の既往歴を有しているのを知って「やっぱり」と納得する人がいるとすれば、その人たちは中世の認識から抜け出せていないのだ。現代人は、少なくとも「心の病」に関しては、中世から何も進歩していないように僕には思われるのだ。

(注2)この立場は記述精神医学と呼ばれるものである。

(注3)精神医学が家族に焦点を当てるようになったのは、結局、精神病の原因が分からなかったためである。初期においては、体質や遺伝に原因が求められていた(つまり身体医学と同じ発想であった)のだけど、同じような体質、同じような遺伝因子を有していても、病気になる人とならない人とが確認されたわけである。そして家族ということがクローズアップされるようになったということであるが、これは精神医学の一つの敗北であったと僕は考える。この家族研究によって、ベイトソンの「二重拘束」理論などの有益な発見もあったけれども、「分裂病性の母親」(つまり子供を分裂病にする母親ということ)などの概念、あまり好ましいとは思えない概念、も生まれてしまったのである。

(注4)例えば、現在では禁止されているロボトミー手術でも、それが信用されていた頃は、それによって改善する患者さんもいたのである。「治療」の成否、ある人が「治る」か「治らない」かは、臨床家とクライアントの主観的要素で大きく左右されるものである。

(注5)理論の逆転移については、『「治療不能」事例の心理療法』(B・L・ダンカン他 金剛出版)参照。また、『認知療法全技法ガイド』(R・L・リーヒィ 星和書店)には膨大な量の「技法」がまとまられている。この集大成された「技法」群を目にすると、僕は空恐ろしくなる。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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