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2019年5月28日 火曜日

動画広告完成記念コラム(24)

動画広告完成記念コラム(24)

(問23)「頭では分かるんです」

 「分かっちゃいるけどやめられない」なんて植木等さんの歌があったけど、本当は正しくない。分かっていれば止められるのである。今は止められないとしても、本当に分かっているのなら、近いうちに止められるのである。止められないのは、何かが分かっていないのである。本当に肝心な部分が分かっていなかったりするのである。

 ところで、僕たちは何かができるようになる前に、頭ではそれが分かっているという段階を踏むものではないだろうか。僕はそう思うのである。従って、頭では分かっているんだけれど、現実にはそれができないという段階は、僕たちが習熟したり向上したりする過程において、自然な段階だと僕は考えている。
 例えば数学の問題があるとしよう。僕はこの問題が解けない。それで解法を教えてもらう。ある公式を適用すれば解けるということがわかる。しかし、数学が苦手な僕のような人間は、その時は分かったような気になるけど、いざ、問題に接すると、どうすればいいのかスッカリ忘れてしまっている。そこで再び解き方を教えてもらう。これを数回繰り返すこともあるだろう。
 次の段階では、この問題は確か公式か何かを使うんだったなという程度に分かる。しかし、公式そのものは分からない。やはり、再び解き方を僕は学ぶ。そうだ、この公式だったと思い出したりするだろう。
 きっと、次の段階では、この問題ではこの公式を用いて解くんだったなということまでは分かっているのだけれど、いざ、公式を当てはめようとすると上手くいかなかったりする。だんだん、頭では分かってきているのだけれど、まだ、現実にそれができるまでには至っていないのである。
 それでも、このプロセスを進めていくと、問題と公式並びにその適用ができるようになっていく。要するに、シェマが形成されるということである。そうして現実にこの問題が解けるようになっていくわけだ。

 なぜ、頭でわかっていることが、すぐに現実にできるようにならないのか。僕の考えでは、心とか内面は常に先行するからである。だから、考えるより先に行動していたとか、気が付いたらこれこれのことをしていたといった経験を人間はするのである。心は意識化や行動よりも早い段階で反応しているのである。これが人類の生存に役立ってきたために、僕たちはこの傾向を失わずに身につけているのだと思う。
 心が先に理解する。後になってそれが意識化される。後から意識化されるものは、その時には無意識だったものである。そうして、意識化される段階、つまり頭でわかる段階が来る。次いで、現実行動がそれに付き従うのである。

 恋愛を例にとろう。これをお読みのあなたも恋愛経験の一つくらいはあろうかと思うのだけど、どの瞬間に相手のことを好きになったか分かる人は少ないと思う。一目見た瞬間にビビビと来たとかいう経験でない限り、いつ相手のことを好きになったのか厳密に特定はできないと思う。
 相手のことを好きだなとか、なんか気になるななどと意識に上がるのは、相手と知り合ってからけっこう後のことではないだろうか。知り合ってから数か月して、相手のことを好きになっている自分を発見したりすることはないだろうか。この時、相手に恋しているということが意識されている。でも、心はそれよりもずっと前にそういう反応をしていたのである。そして、心が反応して、時間を経て、今では相手への恋愛感情が意識化されている。そこからさらに、この恋愛感情を現実の行為に移すまでにも時間差があるものではないだろうか。
 何事も、それと分かる前に心は反応し、それと分かってからしばらく経て、それを現実化していくものではないだろうか。

 確かに、簡単な作業の場合、できるようになるまでの時間差は生まれないだろう。赤ランプが点灯したらこのボタンを押す、といった作業は、一度聞いただけで出来るようになるだろう。
 でも、複雑な作業、難しい手順の作業だとそうはいかないだろう。一度説明を聞いただけではとてもできない。そこで、繰り返し練習するのである。体に覚えさせるという表現がなされたりするけど、本当は、これは頭に叩き込んでいる段階でもあると僕は思う。
 しかし、できるようになるまでには、何度か間違えることもあるだろう。頭では分かっているけど、現実の行動ではミスをやらかしてしまうのである。それでも、繰り返し続けていくと、そういうミスは減っていき、それが自然にできるようになる。さらに、それが身について、つまり習慣形成されていくと、考えなくともその手順を踏むことができるようになったりする。
 要は、何事も、何も分からない段階から頭でわかる段階に至る。そこからさらに現実にできるようになる段階へとつなげていかなければならないのだ。どんな場合でも、多かれ少なかれ、頭では分かっているのに現実にはその通りにできないといった段階を踏むものだと僕は思う。

 さて、この話、そろそろ本題に入らないといけない。
 頭では分かっているけど、現実にはできない。この状態を「治らない人」はひどく悪いものとして理解するのだ。致命的な経験として受け取ってしまったりする。頭では分かっているのに、現実にできない自分はダメだとか、おかしいとか、そういう訳の分からん思想展開をやらかしてしまったりするのである。幼児的な万能感に支配されているのかもしれない。この段階は自然なことなのだと僕が言って聞かせても、彼らからは信用されなかったりする。
 「治る人」はこの段階に留まってくれるわけだ。頭では分かっているけど現実にはできないという段階に留まり、そういう状態の自分を生きることができるのである。そこに自分を傷つけるものは何もないことが分かってもらえるのである。
 僕からすると、頭ではわかるという段階は、一つの進歩である。それは自然な段階であるかもしれないのだ。そして、それは現実にできるようになるまで維持し、つなげていかなければならないものだと僕は思う。
「治らない人」はそれを自然な段階とは認めず、何か異常なことのように体験し、さらにそれを進歩とは反対の過程とみなし、現実にできるようになっていく道を閉ざしてしまうのである。非常に勿体ない話なのである。

 そもそも、人間はみんなオギャーと生まれてきた時、何もできない存在ではなかったか。その後の人生で出来ることが増えていったのではなかったか。最初はできなかったことができるようになったという経験を積んできたのではなかったか。
 しかし、一旦、それができるようになると、今度はそれができるということが当たり前のことになってしまって、自分がどのようにしてそれができるようになったかを忘れてしまうものではないだろうか。それができるようになるまでにどういう段階を経たか、過ぎ去ってしまえば、もはや覚えておく必要もなくなるのかもしれない。
 もし、一つ一つの行為に関して、それを詳細に思い出すことができたとすれば、いかに多くの「頭ではわかってるけど現実にはできない」段階を経験したかが明らかになるのではないかと僕は思う。

 頭でわかっている段階は、何も悪いことではないし、自然なことでもある。それでもできないというのであれば、そこから現実にできるようになるまでの発展を妨害する何かがあるのかもしれないし、本当に分かるべきところのものがまだ分かっていないのかもしれない。僕はそんなふうに思う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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