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2019年5月24日 金曜日

動画広告完成記念コラム(21)

動画広告完成記念コラム(21)

(問20)「何かあったら受けます」

 これは何か起きた時だけカウンセリングを受けますということである。必要が生じた時にだけ受けに来ますということである。先の(問19)とこれとはセットである。
 僕は、このような発言は、「治らない人」に属するものだと考えている。しかし、この発言をする人の中には、経済状況やその他の事情があって、コンスタントに受けられないという人もあるので、ボツにした。
 それはさておくとしても、「何かあったら受けます」という問題文は、やはり「治らない人」の言葉に属すると僕は考えている。簡単な理由によるものである。

 しかし、その前に、面接には二種類あるという話をしておこう。精神科医の宮内勝先生はそれを「決める面接」と「流す面接」と命名されているのですが、僕もその言葉を拝借させてもらうことにしよう(注1)。
 ただ、僕の考えでは、「決める」や「流す」に含まれる内容が、宮内先生よりも幾分幅広いものである。また、「流す面接」は、個人的には「維持」とか「強化」と呼び変えたいところである。個別に見ていこう。
「決める面接」とは、文字通り、クライアントが何かを決定しなければならない面接である。その人が自分を方向づけなければならない場面である。また、展開や前進を促進する面接である。それだけでなく、大切なことを確認したり、明確化したりする面接も僕はここに含めている。敢えて言えば男性要素の強い面接である。
「流す面接」とは、特に何かを決定したり方向づけたりする事態ではない時の面接である。しかし、単に「流す」のではなく、関係を維持したり、関係を強化したりするための面接である。こちらは女性要素の強い面接である。
 一回の面接には両方の要素が含まれるものである。ただ、どちらかがより優位になるのである。優勢な方を指して、今回は「決める面接」だったとか、どちらかというと「流す面接」になったと言えるだけである。
 ちなみに、初回面接は「流す面接」になるのだけれど、クライアントは「決める面接」を求める。そういうパターンが多いように僕は感じている。だから初回面接は難しいのである。両方をいっぺんにしなければならなくなるからである。
 また、ロジャース派のカウンセリングは「流す面接」には強いけれど、「決める面接」には弱いというように僕は感じている。

 さて、以上を踏まえると、問題文の発言は、「決める面接」の時だけ受けます、「流す面接」の時は受けませんと言っているに等しいことになる。
 しかし、その面接が「決める面接」になるためには、「流す面接」を必要とするのである。「流す面接」があるから「決める面接」が生まれるのである。
 実は、これは簡単な理屈なのである。問題文は、いうなれば、「試合には出ます。普段の練習には出ません」と言うに等しいわけだ。練習には出ず、試合にだけ出る選手が強くなるはずがないのである。

 さて、クライアントが「何かあった時にだけ来ます」と言ったとしても、僕はクライアントの決定に反対することもできない。「それは却って損失を生み出す」と忠告することはできたとしても、また「もう少しコンスタントに来てほしい」とこちろの要望を出すことはできたとしても、僕はクライアントに何かを強制する権利は有さないのである。
 そうしてクライアントが「何かあった時だけ受ける」ことになったとしても、そのためにお互いの負担が増える部分もあるのだが、それはクライアントの方で負うことになる責任なのである。
 もし、3か月間「何もなかった」としたら、前回から3か月も空くことになる。僕の中では3か月前のその人の情報しかないわけである。以後、この情報が僕の中で更新されることなく過ぎているからである。当然、この3か月の空白を埋める作業をクライアントはすることになる。それをやってから、「何かあった」というその出来事の話に入るのである。その出来事の話を伺ってから、それをどう考えるか検討していくことになる。その検討の結果、何らかの決定が生まれることになる。これだけの過程を1時間でやってのけてしまわなければならなくなるのである。ハッキリ言って、無茶である。

 もう一つ、「何かあった時に受けます」という「何かあった」というのは、クライアントの判断に委ねられる。それはカウンセラー側の視点とは異なることもある。クライアントが特に大したことではないと思うことでも、カウンセラー側からすればけっこう重要だと思えることもある。
 クライアントはしばしば大きな出来事、大きな不調などを「何かあった」とみなすのである。だから、よほど大きな出来事が起きなければ受けないということになるわけだ。クライアントが自分でそれを選択しているのであるから、僕はいちいちそこに口を挟まなくても良いのだけれど、そこまで大きくなる前に手を打った方が良いと僕は思うのである。
 このことは、つまり、クライアントは、自身に起きること、人間関係や身近な他者に起きること、それらを過小評価してしまうことがあるということなのだ。もちろん、過剰評価する必要もないのだけれど、けっこう大事なことを軽く見積もってしまうのである。
 例えば、こういうケースもある。引きこもり状態になっている子供が、いつもなら昼間でも布団の中にもぐっているのに、最近、その時間は部屋でボーっとするようになったと母親が報告したのである。僕はそれはたいへんな変化だと思う。いい意味での変化よりも、悪い意味での変化であるように僕には感じられるのだ。
 また、夫婦問題なんかでも、「家出エピソード」の有無はけっこう重要なポイントだと僕は思っている。妻が家出(これは正確に言えば遁走に近いものである)するよりも以前に来てくれれば良かったのにと思うケースも僕にはよくある。当事者はこの家出(遁走)さえ、夫婦の間では普通に起こることだとみなしていたりするのである。しかし、その家出の性質が少し普通ではないのである。
 このことは、クライアントは「何かあった」時にでさえカウンセリングを受けないことを示しているのである。従って、「何かあったら来ます」と、これが本当に実行できる人は、もっと早期にカウンセリングを受けているはずであり、とっくに改善に踏み出しているはずなのである。

 最後に、「何かあったらまた来ます」という場合、そこには二通りの解釈が可能であると思う。一つは「抵抗感」である。カウンセリングを継続することに対しての抵抗である。なぜ抵抗が生まれるのかは人それぞれ異なると思う。
 もう一つは、何とかなりそうだといった見通しが立つためである。しかし、これはあまり確かな見通しではないことも多いように思う。と言うのは、例えば、カウンセリングでサポートされている感じが、クライアントをして、エンパワーメントされたかのように経験することもあると思う。支えられている感じがあるので、自分が強くなったと感じるわけである。でも、その「感じ」は一時的なものである。このサポートがなくなれば失せる性質のものである。まだその「強さ」はクライアントに身についていないのである。

(注1)
 『精神療法の実際』(成田善弘 編著 新興医学出版社)所収の「分裂病の精神療法」(宮内勝)を参照させていただきました。同書は優れた論文を含んでおり、僕もずいぶんお世話になった本である。今でも、折に触れては手に取ってしまう一冊である。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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