blog2

2019年4月13日 土曜日

4月13日:キネマ館~2,3月に観た映画より(1)

4月13日(土):キネマ館~2月3月に観た映画より

 今回は「サメ系」三本立て
『ビーチシャーク』
『シャークトパス』
『シャークトパスVS狼鯨』

 映画DVDをレンタルして鑑賞を続けている。1月はいいのに遭遇したけど、2月と3月は今一つ夢中になれるような映画、ハマるような映画に出会わなかった。一応、いくつかを取り上げておこう。

 まずはお馴染みの「サメ系」映画から。

『ビーチシャーク』
 ビーチシャークとは砂浜を泳ぐことのできるサメである。舞台はある島。そこの町長のドラ息子が返ってきた。この島を潤すとっておきの案を引っ提げて帰ってきた。それはビーチでイベントをやって、大学生を島に呼び込もうというものであった。それを実現するには一つの不安材料があった。ビーチシャークが現れて人を襲い始めたのである。ドラ息子たちはそれでもイベントを強行する。
 うむ、実にひどいストーリーである。限りなく支離滅裂である。こういうイベントは以前にも開催されており、その時もビーチシャークの被害が起きているそうだ。同じ試みをやって同じ結果になることが目に見えているのにその案が通ってしまうのだ。そして、登場人物たちにまったく感情移入できない。キャラクターの方が、どちらかと言えば、支離滅裂だ。
 そして、砂浜でイベントが開催される。広いビーチに、DJブースを設置して、こじんまりした集団が音楽に合わせて踊っている。なんとも寂しい限りのイベントである。案の定、そこにビーチシャークが登場して、人を襲うという設定だ。
 父親が食われ、共同事業者が襲われ、かつての恋人までも被害に遭い、ドラ息子がワケ分からん反応をする。人格的に破綻しているのではないかと疑わせるほどだ。
 最後はサメ退治の名人みたいな老人が出てきて、ビーチシャークを退治する。それは砂浜を高熱で熱して瞬時にしてガラスに変え、そこにサメを閉じ込めるという分かるような分からんような作戦である。どういうわけかこの作戦が成功する。すると山より大きな背びれをもつビーチシャークの親玉みたいなのが現れる。いくらなんでもデカすぎるだろうと思うのだが、主人公たちはこの親玉退治に成功する。

 それでも懲りずに「サメ系」を観る。

『シャークトパス』
 こいつは遺伝子操作で生まれたサメで、頭部がサメで脚部がタコという姿である。「シャーク」と「オクトパス」を合わせて「シャークトパス」となってるらしい。僕だったら「オクトシャク」などと名づけてしまいそうだ。
 このシャークトパス、極秘に作られた兵器である。これが制御装置を壊して海で暴れまくる。生みの親は、かつての共同事業者に連絡を取り、生け捕りにしてこいと命令する。かくして生け捕りの航海に出た一行。また、マスコミの一行もシャークトパスを追う。被害は拡大していく一方である。
 先の『ビーチシャーク』と比べるとまとまったストーリーがあって、物語自体は分かりやすく、それなりに面白いかもしれない。ちなみに本作の方がギャルの水着度は高い。
 このシャークトパスなる代物、海の中だけでなく、器用に八つ足で立って、ちょっとした渓流なんかも歩いて遡行したりする。このヒョコヒョコと八つ足で歩く姿はちょっとカワイイ。
 シャークトパスもビーチシャークもすべてCGである。時代についていけてない僕から見ると、すべて同じに見えてしまう。

 それでも懲りずに「サメ系」を観る。

『シャークトパスVS狼鯨』
 SNSで人気の(ということになっている)シャークトパスを、保釈金をカタに生け捕りにしてこなければならなくなった主人公たち。同時に、完全な人間を作ることに一生をかけている女マッドサイエンティストが「狼鯨」を作ってしまう。狼鯨は落ちぶれたプロ野球選手で、自分が一番だと思い込み、そしてプロに復帰することを望んでいる。完全な体を手に入れるために、マッドサイエンティストの実験台になる。そうして生まれたのが「狼鯨」なるモンスターであるが、こいつは自分が一番だと信じているから、自分よりも強いシャークトパスの存在が気に入らないのである。かくして、両者が対決し合うことになる。
 再び、「なんじゃ、こりゃ」映画である。「狼鯨」と書いて、「オオカミクジラ」と呼ぶ(そのままである)のだけど、英語の方も「ホエールウルフ」である。「シャークトパス」のように、圧縮されることなく(そうなると「ホエールフ」とか「ウルフェール」とかになってたのだろうか)、動物の単語をつなげただけという安直さである。
 両モンスターはすべてCGである。そのバトルシーンはゲーム画面を見ているのと大差はない。感情移入できる登場人物はなく、型にはまったようなセリフしか聞かれない。また、緊迫感とかスリル感も乏しく、これの何が面白いのか全く分からなかった。まあ、僕がオジンになったせいなんだろう。若い人にはこれがウケるのかもしれないな。

(「サメ系」映画に想う)
 勝手に「サメ系」なんて名づけているけど、これは要するにかつての怪獣映画なのだ。怪獣映画の進化版である。そう思う。
 でも、怪獣は新たに造形されるのに比して、サメ系はやはりサメである。きっと、サメでなくてもいいのだろうけれど、サメが象徴的に持つ要素(獰猛さとか強さとか)が必要なんだろう。言い換えると、そういう象徴的要素を利用しなくてはキャラクターが作れないということなのかもしれない。
 作る側だけではなく、観る側にもそれがあるのかもしれない。いきなり「キングギドラ」とか「アンギラス」なんて言われても、それがどんなキャラなのか見当もつかない。でも、初めから「サメ」ということを打ち出してくれていると、見る側にはイメージしやすくなる。どうも、製作側と観客側と、どちらもクリエイティブさが低下してしまっているような、そんな気持ちに奥は襲われる。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンタ代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

カテゴリ一覧

カレンダー

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

月別アーカイブ