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2019年2月17日 日曜日

衰退の道(3)~自己の空虚

2月17日(日):衰退の道(3)~自己の空虚

 バイトテロのような行為を彼らはなぜするのであろうか。彼らは「面白いから」とか「SNSで注目を集めたいから」などと答えるかもしれない。でも、これは真実の理由だろうか。僕は彼らの言うことは信用できないと思っている。彼らが嘘をついているとか、そういう意味ではないのだけど、自分の感情や体験を言語化できるほど自己がしっかりしているとも思えないので、彼らの発言は彼らの心情を正確に言い表しているとは限らないと思う。だから、彼らの言葉を信じないわけではないけど、保留にしておく。
 彼らの言動に関して、各種の専門家がいろいろ述べているようである。例えば自己顕示欲が強いという説明も可能であろう。自己顕示欲の強い人が常に自己顕示的であるとは限らないのだけど、でも、これは彼らの行動を説明するには不十分であると僕は思う。加えて、その説明は表面的だと思う。自己顕示欲の強い人が自己を顕示すると言っても、なぜ彼らがあのような形で自己顕示を行うのかという説明にはならないのである。問題の根はもっと深いところにあると思う。
 賃金を上げて、労働意欲を高めるといいのではないかといった意見もあるが、こんなの論外である。彼らは賃金に対してストを行っているのではないからだ。つまり、彼らの行為にそうした主張を読み取ることが僕にはできないので、どうもこれは論点がズレているように思えてならない。それに、この説明は個人のパーソナリティということを考慮していない。真面目に働く人は賃金が低くてもやはり真面目に働くだろうと思う。
 他にもさまざまなことが言われているのようである。そのどれもが、一面においては正しい主張を含んでいるかもしれない。でも、僕にはどこか不十分さを感じ、どこか的外れ的な印象を受けてしまう。

 僕は思う。彼らはあまりに空虚なのだ。自分の中に何もないのだと思う。何もないので、例えばいっときの感情がそのまま自分自身になってしまったり、外側の環境がすべて自己を占有してしまったりするのではないかと思う。彼らの中に何もないのだ。一つ何かが持ち込まれると、それが全体になってしまうのだ。それほど彼らの中に何もないのだと僕は思う。
 彼らのことを「社会性がない」とか「常識が欠けている」と考える人たちもある。それは事実そうであろう。しかし、社会性や常識が欠如しているだけならまだましである。つまり、この人たちの考え方には、「彼らは精神的には問題はない。ただ社会性や常識が欠けているだけだ」といった前提を含んでいるように思う。この前提文の前半の文章こそ僕が疑問視するところである。従って、「彼らは精神的に問題があるから社会的・常識的行動がとれなくなる」と僕は考えるわけだ。
 そもそも常識や社会性というものは何であろうか。それは僕たちが共有している概念である。知人に会ったら挨拶するというのは、僕たちが共通して身につけている感覚である。この共通して知っている事柄、僕たちが通常なら当然のこととして知っている事柄が彼らに欠如しているという仮定に立てば、これは何を表わしているだろうか。かつてブランケンブルグが「自明性の喪失」とよんだ現象に該当するのではないだろうか。つまり、それは精神病者が経験する事柄なのである。ただ、ブランケンブルグの症例アンネよりタチが悪いのは、アンネは他の人にとって自明なことが自分には無いということで苦悩していたが、彼らはそういう苦悩を持たないのである。つまり、アンネには自分のことで苦悩するだけの自己が存在していたのである。バイトテロたちはその自己がすでに空虚なのである。僕はそう思う。

(付記)
 ブランケンブルグの症例アンネは、『自明性の喪失』(みすず書房)で紹介されている。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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