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2019年1月27日 日曜日

1月27日:キネマ館~『将軍たちの夜』

1月27日(日):キネマ館~『将軍たちの夜』

 ああ、嗚呼、アア、なんていい映画なんだろう。いい映画過ぎて、ため息が出るくらいだ。豪華俳優陣が出演する大作映画だ。ハドリー・チェイスの原作を下敷きにしているらしいから、物語も面白いに決まっている。

(娼婦殺人事件)
 ナチス占領下のワルシャワ。ある夜、一人の娼婦が惨殺された。ナイフでめった刺しにされ、特に性器への損傷が激しいという。目撃者の証言では、犯人とおぼしき人物はドイツ軍で、しかも将軍の軍服を着ていたという。ブラウ少佐(オマー・シャリフ)は、この事件の捜査に当たる、そして、当夜、アリバイのない将軍が3人いたことを知る。
 物語はこの殺人事件を軸にして展開される。

(タンツ将軍)
 アリバイのない3人の将軍の一人がタンツ将軍(ピーター・オトゥール)だった。彼はワルシャワのレジスタンスのために進軍できないドイツ軍を助けるために赴任してきたのだった。このタンツという人物は如何なる人物なのだろうか。
 ワルシャワ入りする。現地の子供たちが恐れている。タンツは空腹のためだと解釈し、将校の昼食を与える。この時、この将校の手が汚れていると叱責し、解任する。タンツ自身はつねに手袋を着用している。
 子供たちが恐れているのはタンツの中にあり、彼が醸し出しているもののためかもしれないが、彼は空腹のためだと解釈し、問題をすり替えているようにも思う。手に対する過剰なまでの反応は罪意識と関係しているようである。
 続いて、タンツ将軍の軍歴が語られる。戦場で、死亡した兵士たちの死体を積みあげ、防御壁にして戦ったといったエピソードが紹介される。これは、僕の思うに、死者に対する尊厳の欠如であり、生命の蔑視であるように思う。生命が「モノ」と化しているのだと思う。
 その後、レジスタンス掃討作戦が実施される。これは3段階に分かれていて、最初に包囲し、次に威嚇し、最後に攻撃するというものだ。一気に第三段階に突入する。街を破壊し、無感情で車に立つタンツの姿が印象的である。すぐ傍にいる運転手が撃たれても顔色一つ変えない。あらゆる感情が鈍磨してしまった人間であるという印象を受ける。

(パリ見物)
 さて、話を飛ばすと、その後、タンツたちはパリに赴く。そこで彼は休暇を取る。この休暇のお供をする付き人がハルトマン伍長(トム・コートネイ)である。
 前任者からタンツがタバコも酒もひどく飲むということを知らされ、決して車や車内を汚してはいけないとハルトマンは忠告される。
 車に乗り込む二人。後部座席に能面のように無表情に座るタンツ。ハルトマンは運転しながら名所の説明をし、ミラーでタンツの様子をうかがう。この車中のシーンがお見事である。
 最初はヴァンドーム広場。ここでは革命が起きたといった説明をハルトマンがする。タンツ、表情を曇らせて、こめかみを押さえたりする。続いて、コンコルド広場、ここでマリー・アントワネットがギロチンにかけられたといった説明がなされる。タンツは苦しそうに鞄を開け、酒を取り出し、震える手でグラスを傾ける。
 ハルトマンの説明は特に際立ったものではないが、タンツは明らかに落ち着きを失っている。何がタンツをそこまで動揺させるのか。これらの説明に含まれているのは「殺戮」である。殺戮のイメージがタンツを襲うのだ。彼は自分を落ち着かせるために酒に手を出し、タバコを喫う。
 続いて彼らは美術館に入る。そこでゴッホの自画像を見る。ゴッホの晩年の、彼が精神病院に入院中に描いた自画像である。この自画像の前でタンツは立ちすくむ。凝然と自画像をにらみ、汗が噴き出してきて、よろめく。支えようと手を出したハルトマンに「触るな」と一喝するタンツ。
 ゴッホの自画像にタンツは何を見たのだろうか。この自画像は確かに父親イメージを喚起させるものではあるが、もしかすると、精神病者ゴッホの姿に自分と同じものを見てしまったのかもしれない。この自画像はタンツ自身を映し出す鏡であったと思う(後にこれを裏付けるシーンが登場する)。
 夜はバーで酒を飲むタンツ。娼婦が寄ってくるが相手にしない。そのままホテルに戻る。
 付き人の役目から解放されたハルトマンだが、上部からタンツと同じ部屋に寝ろとの命令を受け、タンツの部屋に上がる。苦しそうなタンツ。よろめきながら、すがりつくようにグラスを持ち、酒を煽る。クローゼットを開ける。そこに鏡が張り付けてあり、タンツは自分の顔がそこに映るのを見る。
 翌朝、タンツはいつもの落ち着きを戻している。ハルトマンは甲斐甲斐しく給仕する。タンツの服を出そうとしたとき、ハルトマンはクローゼットの鏡が叩き壊されているのを見る。
 説明はないけど、これはタンツがその鏡を打ち割ったのだ。自分を映し出したその鏡を。彼はここで自分自身を破壊する。
 本当なら休暇はここまでだったのだが、タンツはもう一日休暇を取るといい、再びあの美術館に向かい、ゴッホの自画像に対面する。
 カフェにて、タンツはハルトマンの個人的なことを聞き、普通に会話をする。その後、夜はバーに行く。昨夜の娼婦が再びタンツに声をかける。タンツはハルトマンにあの女を誘い出せを命じる。女の住むマンションに行く。女とタンツが入っていく。しばらくすると、窓から顔を出したタンツがハルトマンに上がってこいと命じる。言われた通りに女の部屋に入るハルトマン。彼がそこで目にしたのは女の惨殺死体だった。
 タンツはハルトマンに罪を着せる。ハルトマンはなぜと問う。タンツは「そういう衝動に襲われる。戦争がそうさせたのだ。お前はあまり死を見ていないが、自分はもっと凄惨な死を見てきた。どうすることもできないのだ」といった説明をする。要するに、タンツ自身、説明のつかないことなのだ。ただ、戦争がそうさせたのだとしか言えないのである。
 その後、タンツはどうなるか。戦後20年の式典で、彼はピストル自殺を遂げる。ドイツ紋章の下に横たわるタンツの死体、これがラストシーンである。
 この自殺は、もはや罪が明るみになることを逃れるためではなくて、タンツはもともとの所期の目的を果たしたように僕には思える。鏡を破壊するのはそこに移る自分自身を破壊するためだと僕は考えた。娼婦を殺す、つまり女を殺すことは自分を生んだ母親を殺すことに象徴的には等しいと思う。さらに女性器を集中的に破壊するのは、そこが人間の生まれ出る場所であるからではないだろうか。彼は自分自身を、自分の出生を呪い続けてきたのではないだろうか。最後の自殺は、彼の本来の目的を達成したことにならないだろうか。僕はそんな思いでラストシーンを受け取った。

(捜査)
 事件を捜査するグラウは、ワルシャワでは部下のエンゲル(ゴードン・ジャクソン)を従えて、パリではモラン警部(フィリップ・ノワレ)と協力する。グラウはモラン警部に言う。「女を殺した将軍だけに自分は関心がある。戦場でもベッドでも同じ顔を持つ男だ」と。これは見事にタンツのパーソナリティを表現しているように思った。軍人以外の顔を持つことがタンツにはできないのだ。その一つの顔しか持てないのだ。どうしてそれ以外の顔、ないしはアイデンティティを持つことが許されないのだろうか。

(ヒトラー暗殺計画)
 アリバイのなかった他の将軍たちは、実はヒトラー暗殺計画を練っていたのだった。この暗殺がもう一つの軸である。
 彼らはヒトラーを暗殺し、ロンメル(クリストファー・プラマー)を後継者にしようと目論んでいたのだ。しかし、暗殺は成功したかに見えて、失敗に帰し、ロンメルも敵の攻撃によって死んでしまう。
 ヒトラー暗殺の時、ブラウはタンツを訪問していた。ヒトラー暗殺の報がなされると、ブラウはタンツに「あなたは反逆者だ」と詰め寄る。しかし、暗殺が未遂に終わったと言う報がなされると、今度はタンツがブラウに「反逆者はお前だ」と言う。
 何気ないやりとりだけど、外部の事柄で自分のアイデンティティが容易に変わるという状況が示されている。言い換えると、一貫したアイデンティティを持つことが難しい状況なのである。これが戦争というものだと僕も思う。
 ヒトラー暗殺計画を実行した将軍たちは、この状況に少しでも反抗しようとしたのだ。タンツはその状況に順応したのだ。僕にはそんなふうに思えてくる。タンツは軍人のアイデンティティを持つことを強いられ、それ以外の者にはなれないのだ。それ以外の者になることは、彼のすべてが失われることになるからである。

(ハルトマン伍長)
 もう一つ疑問なのは、どうしてタンツはわざわざ犯行現場をハルトマンに見せたのか。そして、なぜタンツはハルトマンを見逃したのか。ハルトマンが言うように「あなたはわたしを殺すべきだった」が、タンツにとっては安全だっただろうに。
 ハルトマンとはどういう人物か。彼は戦争で死にたくないと願う。伍長で十分に満足しているようだ。彼はピアノを習っていたという芸術肌の人間だ。将軍の娘ウルリケ(ジョアンナ・プティット)と恋仲になる。身分の違いなどお構いなしだ。彼にはそういう自由がある。
 僕には彼が戦争に毒されていない人間であるように見える。それはタンツが生きられなかった生を生きているということではないだろうか。タンツが彼を殺せないのは、彼が「軍人」ではないからではないだろうか。タンツはそういう人間を殺せないのだと思う。
 自分が送ることのできなかったような人生をハルトマンは歩んでいる、そのようにタンツには見えていたとしよう。タンツによって、ハルトマンは憧れである。通常(と言っていいか)では、こういう憧れは内面に取り入れられ、自我理想になる。しかし、タンツはそのようにはしない。その代わり、タンツはハルトマンを犯人に仕立てることで自分に縛り付ける。ハルトマンはもはやタンツと切っても切れないほどの縁に縛られることになる。このような関係の築き方が精神病的なものであるように僕には思われる。おそらく、20年間、ハルトマンはタンツに縛られ続けてきたのだと思う。
 20年後、再び顔を合わせた時、ハルトマンがタンツに向かって「あなたは私を殺すべきだった」と言う。この一言に、この20年間がハルトマンにとってどれだけ苦しかったたかが凝縮されている。映画では描かれていないけど、20年間、ハルトマンの心の中からタンツの姿が消えることはなかったのかもしれない。

(軍服)
 最後に、この映画で印象的なのはドイツ軍の軍服である。全員軍服を着ているのだけど、なんていうのか、軍服の無個性さというか無機質さ、無表情さがこの映画を印象的にしているようにも思う。そういう無個性、無機質さを表わすのにはドイツ軍でなくてはならなかったのかもしれない。

 ああ、まだまだ思うところのものはあるけど、これくらいにしておこう。個々の俳優さんの名演技もさることながら、脚本も見事だ。戦中と戦後を往復する構成、ならびに各シーンをつなぐ編集もよくできているように思う。


(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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