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2018年12月15日 土曜日

12月15日:キネマ館~10.11月に観た映画(4)

12月15日(土):キネマ館~10・11月に観た映画(4)

7・『ゴジラ対ガイガン』
 子供の頃、テレビで放映された本作を録画して、繰り返し観た。父の影響で家にはそういう種々の電気製品があって、これも縦にテープを入れるという、多分初期のビデオデッキだったのを覚えている。テープが擦り切れるほど見たのが懐かしい。つい、その懐かしさからレンタルした。
 今見ても、細かいところまでよく覚えていた。当時はそれだけ一生懸命この映画を観たのだろう。

 ゴジラと敵怪獣とが戦うというお決まりの映画だ。今回の適役は新怪獣のガイガンとお馴染みのキングギドラだ。
 ガイガンは鈎爪でお腹に丸ノコが仕込まれている。怪獣というよりもロボットのようにメカニカルな造形だ。当然、生物の進化論なんて最初から考えていない造形だ。お腹に丸ノコがあって、どうやって子孫繁栄させるのだろうなどと、子供時代には思いも及ばない疑問を抱いてしまうが、それだけ僕が汚れちまったのだろう。
 このガイガンと三つ首怪獣キングギドラがタッグを組んで街を破壊する。
 これに対するはゴジラとお馴染みのアンギラスだ。マンガの吹き出しで会話するのもご愛敬だが、アンギラスがすっかりゴジラの奥さん役になっているのが微笑ましい。

 活躍するのは怪獣ばかりではない。人間もまた頑張る。
 本作の人間サイドの主役は売れない漫画家ゲンゴである。出版社に原稿を持ち込んでも断られる始末。そんなゲンゴを見かねたガールフレンド兼マネージャーは彼のために建設中の子供ランドに仕事口を紹介する。
 ゲンゴがさっそくランドに行ってみると、どういうわけかあっさりと採用される。こんなあっけない採用ってあるのかと思うくらいである。彼の仕事は新しい怪獣キャラを増やすことということで、彼の中で温め続けたアイデア、宿題怪獣シュクラや教育ママお化けのママゴンを熱心の具象化していく。
 ある時、ランドの事務所前で女と衝突したゲンゴは、女が落としたテープを拾ったことで陰謀に巻き込まれていく。女はヒッピー友達(安っぽいヒッピースタイルである)とともにゲンゴからテープを取り返そうとする。事情を聴くと、女の兄が技師としてランドに勤めたきり、帰ってこないのだという。ゲンゴも彼らに協力することにした。
 そうして彼らの捜査が始まる。高層ビルの前を出たり入ったり、行ったり来たりして(本当にそういう映像のシークエンスである)、ランドの所長と事務局長の本籍地まで行った結果、彼らはすでに死んでいることが判明した。彼らは何者なのか。

 ここで悪役にも触れておこう。所長は高等数学をスラスラと解くような少年であり、事務局長はその保護者的な存在だ。
 劇中、彼らが自分たちの来歴を披露する場面がある。それによると、彼らは地球外生命ということになる。彼らの星も、地球のように文明や技術が高度に発達した星だった。しかし、環境を破壊し、人間は自分たちの星を住めないようしてしまった(このテーマは前作『対へドラ』に通じるものがある)。彼らはその星を捨て、地球にやってきたが、地球も彼らの星と同じ運命を辿ろうとしている。それを阻止するために人間を破壊しなければならないというのが彼らの言う平和計画である。
 所長は続けて話す。「我々はどんな最悪の環境でも生き延びる種族だ」と。そして、その正体たるや、ただのゴキブリ。仰々しいセリフのあとに正体が単なるゴキブリと判明する時の拍子抜け感、脱力感は、ぜひ本編で体験してほしい。
 問題のテープは、怪獣をコントロールするプログラムが入っているということであり、テープを回すと、ガイガンが現れ、キングギドラがそれに続く。模型の建物を壊し、ミニチュアの街並みセットを暴れまわって破壊するシーンは円谷プロのお家芸とも言える。なかなかよくできた映像だと感心する。当然、CGなんてものはない。すべて手作りで作られている映像で、本当に職人技である。

 怪獣たちが暴れまわっている間に、主人公たちは監禁されていた科学者を救出し、ランドを脱走する。そして攻撃を仕掛ける。あれだけ大きな計画を立てている割には、ランドの警備が恐ろしく貧弱なのは、製作費の関係だろうか。
 司令塔を失ったガイガンらは、ゴジラ・アンギラスのコンビにやっつけられる。キングギドラなんて、これまで何度もゴジラに負けているのに、今回もまた、ピピピピってな鳴き声鳴らしながら逃げ去って行く羽目に。

 さて、映画自体の話に入ろう。
 音楽は伊福部昭さんのものである。この人のゴジラ音楽は印象的で、特に低音部の動きがムソルグスキーなんかのロシア作曲家っぽくて僕は好きだ。ただ、この映画の音楽は、すべて過去の音源の使いまわしで、新曲は一曲もないということらしい。
 ただし、エンディングの歌だけは新曲で、これは宮内国郎さんの手になる。初代ウルトラマンの歌を作曲した人で、この人の曲はどこか健全な明るさがあるなと僕は感じる。
 音楽だけではなく、キングギドラや地球防衛軍の映像などは過去作品の使いまわしが目立ち、おそらく予算があまりなかったであろうことを伺わせる。
 昭和40年代前半から、徐々にゴジラ映画を取り巻く状況が厳しくなっていく。予算、製作費は削られ、上から無茶な注文を受けて作られることもあったとか。本作は、前作の『対へドラ』で開拓した新境地をある程度受け継ぎながら、従来のゴジラ映画路線をも残し、どうにかバランスは取っているという感じが僕にはある。一応、ストーリーもしっかりしており、十分、鑑賞に耐える作品だと思う。
 興行的にはそれなりに成績は良かったようである。観客である子供が同一視できるような小さな子供は本作には登場しないけど、子供が感情移入できそうな大人キャラが受けたのかもしれない。
 これまでのゴジラ映画に登場する主人公たちは優秀なエリートで二枚目だったけど、本作ではあまりパッとしないダメ漫画家である。おまけにこの主人公はガールフレンドに頭が上がらないという冴えない人物である。小さな子供と母親のような関係である。つまり、子供が理想化できるような大人キャラではなく、子供が同一視したくなるような大人キャラであるように僕には思われる。ここは少し新しい試みだったのではないかと思うのだけど、どうやらそれなりに良かったように思う。

 さて、僕の唯我独断的映画評は、個人的な思い出も手伝って、4つ星だ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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