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2018年8月 6日 月曜日

文献の中のクライアントたち(7)

文献の中のクライアントたち(7)

 再び『精神分析の理論』より、クライアントに関する記述を抜粋する。
 ( )内は僕コメント。Clはクライアント、thは臨床家を指す。
 本項収録のクライアントは以下。

(cl36)寛大な性格の女性
(cl37)確認強迫の青年
(cl38)嘔吐に悩む女性
(cl39)算数嫌いの子供
(cl40)夫の自動車で事故を起こした妻
(cl41)ドライバーの男性


(cl36)寛大な性格の女性
 その20代半ばの女性は、その暮らし方を見ると、情け深く、寛大であることが顕著であった。彼女はひどい神経症的症状のために分析を受けていたのだが、彼女の寛大さは、症状と同じように、児童期の葛藤と結びついていることがわかった。しかし、この寛大さは、正常な性格特性としてみなされるものである。それは彼女にとって快楽の源泉であり、自己損傷的なものではなかったし、社会的に承認されることであったからである。
 彼女は幼い頃から長期間、母親から引き離されて暮らしていた。母親との関係は、彼女と母親が一緒にいる時でも、彼女にとっては不満が多く、失望を生じさせるものであったようだ。母親とのアンビバレントな結びつきは、彼女の神経症症状にも重要な影響を与えていた。のみならず、そのことは彼女の寛大さの決定因子ともなっていた。
 彼女は早い時期から年下の弟や妹たちの保護者であった。姉としてではなく、母親であるかのように、彼女は彼らを保護し、養った。
 大人になると、貧しい人たちを助けようという衝動が生まれ、それに生きた。彼女は、そのような慈善事業に情熱的に献身した。虐げられる人たちへの慈悲心と虐げる側に対する憎悪とが彼女の中では共存していた。彼女は援助した人たちは自分の子供のように、虐げる側の人たちを母親のように、無意識的に、考えていた。弱き人たちを虐げる側に怒りを向けることで、彼女は幼児期の母親への恨みを晴らしていたのである。
 一方で、貧しく、弱き人たちには、頼りになる献身的な母親を彼女は与えたのである。そこにあるのは、現実の母親に対する敵意や憎悪を伴うものではあるが、愛情に満ちた信頼できる母親への終生の憧れであった。
(よく子供時代の心の傷のことが言われるが、僕はそれは必要なものだと思っている。子供は無力であるが故に、且つ、脆弱であるが故に、多くの傷つきを経験してしまう。しかし、この傷つきの経験がその子の生涯を方向付けていくのである。したがって、傷を負うことは不幸なことではなく、傷を負わないことの方が不幸である。この人は生を方向付けられないかもしれない。また、傷を負っても、そこから生が発展していかない、方向付けられないこともまた不幸なことだと思う)


(cl37)確認強迫の青年
 この青年は、家を出る時はいつも家中の電灯がすべて切ってあるかを確かめないと気が済まなかった。もし電気が切ってないと、留守中に漏電して家が丸焼けになるのではないかという恐れを彼は有していた。
 この恐れの根底にはエディプス葛藤が確認されたが、彼はそれを不安定な形で解決してきた。この解決は思春期の心の動揺が始まると同時に失敗に帰することになった。そのために神経症症状という妥協形成物が現れたのであった。
 この確認強迫の症状には、次のような無意識的内容を持っていることが、分析を継続していく中で、明らかになっていった。
 彼は、母親との関係において、父親の立場に取って代わりたいという願望を有していた。この願望は、彼の無意識的空想の中で次のように達成されていた。
 家が焼けてしまう。父親は打ちのめされて、酒に溺れ、働くことができなくなる。そのため、自分が父親に代わって、家長の地位に就かなければならないだろう。
 彼が意識化できていたのは、家が焼けてしまうという部分だけであった。
 また、彼は電気を切る時に、わざわざコンセントを一旦差し込んでから、それを引き抜くということをしていた。このことは、意識的には火事を防がなければならないと思い込んでいたのと同時に、無意識的には家を丸焼けにしようとする欲望をも表している。
 この青年は、意識的にはそういうことをしたくないと思っていた。しかし、それをしないではいられないのだった。彼は電気を調べなければならないのである。
(コンセントを差し込んで、漏電が起きやすくして、家が丸焼けになる手筈を整えてからコンセントを抜いているわけだが、敵意の抑圧が十分ではないためであろう。抑圧が十分でないから、それを心の中だけで行うことができず、現実の世界で実演してみなければならなくなるのであろう)


(cl38)嘔吐に悩む女性
 ある若い婦人が嘔吐に悩んでいた。彼女は自分の胃が悪くなったと最初は考えていたようであるが、精神分析で明らかになっていったことは、彼女は父親の子供を妊娠したいという抑圧された願望を持っていたことだった。この願望は彼女のエディプス期に端を発していたが、彼女は比較的安定した方法でこの願望を解決していた。しかし、この解決法は、彼女が20歳の時に両親が離婚して、父親が再婚してしまうと、満足に機能しなくなっていた。この出来事は、彼女のエディプス葛藤を再び活性化させ、長年維持してきた精神内の均衡を打ち破り、その結果、彼女の自我はそのエディプス願望をコントロールできなくなっていた。その結果生じた妥協形成物が嘔吐の症状であったのである。
 この嘔吐の症状は、父親の子供を妊娠したいという抑圧されたエディプス願望の充足を無意識的に表している。彼女は嘔吐することによって、自分が妊娠しているとデモンストレーションしているかのようである。それと同時に、嘔吐の苦痛と不安は、無意識の恐怖と罪悪感を表すものであった。
 彼女自身は、自分の嘔吐が妊娠しているという空想の一部であることに気づいていなかった。それが父親の子供であるということはもちろんのことである。彼女の自我は抑圧することが維持できていたので、幼児的な願望の内容は意識されていなかったためである。
 症状は一つの無意識的葛藤から生じているとは言えない。父親の子供を妊娠したいという幼児的な願望だけではなく、「お母さんはいなくなってしまった、私がお母さんの代わりになった」といった願望も一役買っているのである。
(小さな女の子が「大きくなったらパパと結婚する」と無邪気に言う。パパはまんざらでもないが、ママは微妙な気持ちになるかもしれない。周囲の大人は微笑ましいと思うかもしれない。この子はいずれこういうことを言わなくなるものである。しかし、こういう願望は意外と根強く残るものであることは、あまり顧みられないようだ。)


(cl39)算数嫌いの子供
 ある子供は、頭はいいはずなのに、算数が覚えられないでいた。それは、算数を覚えると、算数の得意な兄と競争することになったからであった。この子が自分に課した知的活動に対する禁止は、兄との嫉妬的対立によって生じる苦痛の感情から自分を守ることになったのである。
(兄弟葛藤だ。いわゆる「優秀な兄と出来の悪い弟」の兄弟関係だ。僕にも経験がある。この葛藤から抜け出すためには、兄とは違った道を進めばいい。例えば、もし、この兄が数学者になるために算数を勉強しているのであれば、弟は商人になるために算数を勉強すればいいといったことである。兄と同じフィールドに立ち、兄の後追いをしている限り、兄との競争は避けられなくなる。特に児童ではそうである。僕の個人的見解では、第一子はゆっくり自分の道を選ぶことが許されるが、第二子はもっと早くから自分の道を選んでいかなければならないと、今では思っている)


(cl40)夫の自動車で事故を起こした妻
 彼女は夫の車を運転中、路上で急停車したために、後ろの車が衝突し、彼女の乗っていた車の後部フェンダーが破損した。分析の結果、この事故には相互に関連しあっている三つの動機が潜んでいたことが明らかとなった。
 一つは、彼女は夫からの暴力に腹を立てていた。彼はいつも彼女をこづきまわしていたそうである。夫の車をぶつけたのは、彼に対して直接に表すことができないでいた怒りの無意識的な表現であった。
 彼女が夫に対して激怒した時、強い罪悪感を覚えていた。これは、夫に対して報復した後の結果として彼女が恐れているものと関係していた。夫の車を壊したことは、夫に自分を罰せさせようとする優れた方法でもあった。事故が起きた瞬間に、彼女は「罰が待っている」と自覚した。
 第三に、彼女は強い性的欲望を持っていた。夫はそれを満足させることができず、そのため、彼女はその欲望を抑圧してきた。この無意識の性的願望は、事故場面を表現する際に彼女が用いた言葉、「男に私の尻に突っ込ませる」によって、象徴的に充足されている。
(こういう解釈は精神分析に馴染みの無い人には荒唐無稽なものに見えると思う。まず、これが夫の車を運転している時に生じた事故であることを押さえる必要がある。そして、この事故と夫とは関係があると仮定してみるのである。すると、この事故で生じていることは夫との関係で生じていることの延長ないしは象徴であるという仮説が生まれる。この仮説に基づいて連想なり考察なりを進めていくと、こうした解釈も理解できないことはないと思う)


(cl41)ドライバーの男性
 ある時、彼は出勤中、混雑した交差点を左折しようとした。多くの歩行者が横断していたために、彼は速度を落としていたが、突然、車の左側のフェンダーに老人がぶつかり、その老人を地上に突き倒してしまった。彼にはその老人の姿がまったく見えていなかったと言う。
 後になって、車に老人がぶつかった時、彼はその感じは覚えているが、その時自分がまったく驚かなかったということに気づいた。彼は、その瞬間に老人を突き倒したいという無意識の意図に漠然とではあれ、気づいていたのである。
 その後の連想に基づいて、彼には父親に対して破壊的願望があることが発見できた。父親はすでに亡くなっていたが、その願望はエディプス期に全盛であり、その後は抑圧されたままであった。この願望が、一見偶然と思われる事故の犠牲となった老人に置き換えられたのであった。この置き換えは一次過程のものである。
 老人に怪我は無く、彼自身も無罪となっていたのだが、彼はかなりひどい恐怖と罪悪感を抱いていた。彼の無意識の動機を知ることによって、この動機がこの恐怖と罪悪感の源泉となったことが理解できる。この事故に対する彼の反応は不釣合いなものであったが、それは外見上のことで、父親をやっつけたいという抑圧された願望と照らし合わせると、彼の反応は釣合いのとれていることが分かる。
 また、彼には次のようなエピソードもある。ある日、駐車しようとして縁石に右側の車輪をぶつけてしまい、タイヤを破損させてしまった。彼のような経験のあるドライバーがこのような事故を起こすことは稀であり、しかも、彼の家の前の出来事であった。つまり、彼がこれまで幾度となく駐車してきた場所で起きた事故だったのだ。それだけにこの事故は彼には意外であった。
 連想を通じて、次のことが分かってきた。この事故が起こったのは、彼の祖父が数ヶ月の病気で亡くなった翌朝、祖父の家を訪問して帰った時であった。彼は祖父に対しても敵意的願望を抱いており、祖父の死に対して無意識的に彼は罪悪感を抱いていた。この祖父に対する敵意的願望は、父親に対して抱いているものの複写である。いずれにしても、祖父の死を望んだために罰せられなければならないという超自我の要求を充足するために事故が生じたのである。
(すべてを敵意や罪悪感に還元することもできないけど、こうした事故はそれらの感情と深く関係するとは思う。事故を偶発的な出来事と考える人たちもあるけど、それはフロイトが無意識学説を打ち出した19世紀末期の人たちと同じ考えなのだ。21世紀になっても、僕たちはその時代の思考から前に進んでいないのである)


<テキスト>
『精神分析の理論』(C・ブレナー) 誠信書房より


(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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