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2018年2月 4日 日曜日

2月4日:唯我独断的読書評~『タバコ・ロード』(#1027)

2月4日(日):唯我独断的読書評~『タバコ・ロード』

 アースキン・コールドウエルの『タバコ・ロード』は前々から読んでみたいと思っていた作品だ。数年前に古書店で見かけて、購入したものだ。当時、この本が書店では手に入りにくいという状況だったので、古書店を巡ったのであるが、購入すると安心しきったのか、書架に突っ込んだまま放置してしまった。先日、書架の整理をしていて、この本を見つけ、思い出したのである。それで読んでみたのであるが、こんないい作品を数年も放置していた自分の愚かさに自己嫌悪するばかりである。

 タバコ・ロードとは、かつてタバコの栽培で繁栄した農場を突っ切る道路のことだ。タバコをはじめ、作物を栽培し、出荷し、人々に恵みをもたらした通りである。しかし、やがて、土地がやせおとり、タバコの栽培が難しくなってくると、人々はタバコから綿へと作物を切り替えるが、そこへ工業化の波が農民を襲う。綿は工場で作る時代になったのだ。農場で働く人たちは、一部は土地を捨て、工場にて働く。他の人たちはこの土地にしがみつき、貧しい生活を送ることになる。
 本書はこの土地にしがみついた人たちの物語である。レスター家の面々を中心に描かれる物語である。

 まずはレスター家の人たちを紹介しよう。
 父親のジーターは頑固に土地にすがりつく昔気質の男である。神は自分たちを見捨てるはずがなく、やがてこの土地に実りをもたらしてくれると純粋に信仰しているが、現実には極貧生活に喘いでいる。
 エーダはその妻であり母親である。死装束だけは新しいものを身に着けたいというのがエーダの唯一の願いである。
 たくさんいた子供たちは巣立っていき、今ではデュードとエリー・メイの二人だけが家に残っている。
 それと、あまり表舞台には登場しないけど、祖母がいる。ジーターの母親である。
 その他の関係者として、ラブ・ベンシーがいる。これはレスター家の末娘パールの夫である。パールは物語に直接には登場しないが、12歳でベンシーのところに嫁ぎ、夫婦になってもベンシーとは一緒に寝たがらない。
 もう一人、女教師で宗教家のベッシーがいる。鼻の潰れた醜い顔の四十路女で、神のお告げだと称して16歳のデュードと結婚してしまう。デュードもまたベッシーとは一緒に寝たがらない。子供たちにとって結婚は意味が無く、単にこの貧困生活から抜け出すための手段なのだ。

 以上の面々が繰り広げる物語であるが、これらの人たちがどのように評価されるかは読み手によって異なるかもしれない。
 例えば、ジーターはいずれ神が恵みをもたらしてくれると純粋に信仰しており、この土地が自分に授けられた恩恵だと信じている。こういう姿に純朴で正直な人たちの姿を見る読者もいるだろうと思う。
 一方で、貧困がもたらすさまざまな醜い一面をこの人たちから読み取ってしまう読者もあるかもしれない。貧困に甘んじながらも、常に金があればと嘆き、物欲や性欲をむき出しにする彼らを醜悪な人間だと感じるかもしれない。
 僕は後者である。彼らは決して純朴な人間でもないし、勤勉な人間でもない。時代の波に乗ることもできず、もはや栽培のできない農場にしがみつくだけである。過去にしがみつくだけである。現実を見ることができず、また、貧困の連鎖、負の連鎖に足を囚われてしまってもどうにもできないでいる。
 冒頭でラブ・ベンシーが持ってきた蕪を巡って大騒動をしたり、ベッシーの自動車におおわらわになったりと、ユーモアたっぷりに描かれて入るけど、僕には醜い姿にしか映らなかった。
 ベッシーの自動車のことにも触れよう。これはベッシーがデュードと結婚する際に購入したものだ。デュードは新車欲しさのためにベッシーと結婚してしまう。新車を手に入れると、早速乗り回すデュードであるが、それが新品だったのは半日だけ。初日からフロントを壊してしまう。以後、この新車は徐々にボロボロになっていく。金に困ってはスペアタイヤまで売り払ってしまう。落ちぶれていくレスター家を象徴しているようである。
 また、この車を巡って、ジーターがいかに現実を見ないかが表されている。フロントが壊れても、これくらいはどうってことはなく、まだ新車同様であると言う。車がボロになっていっても、これでも車として用は果たすと言ったりする。つまり、それはもう壊れているのに、壊れているということを認めようとしないのだ。それは、その土地がもはや農場としては使用できないのに、それを認めようとしないという行為と重なるのだ。

 時に醜悪で、時に意地汚く、欲の塊となってしまう人たちであるが、不思議と嫌悪感を抱かない。作者の腕によるのだろうか。どこかこういう人たちに対して寛大な目を持って作者は描いているのかもしれない。
 このレスター家の面々に次は何が起きるのだろうかとハラハラしながら読む反面、起きてしまう出来事に対してユーモアさえ感じられ、悲壮感がないのである。そこに本作の魅力を僕は感じる。
 クライマックスではついに家族が分断してしまう。ジーターもエーダも祖母も亡くなってしまうのだが、この土地は新たに受け継がれることが示唆される辺り、どこか救済される感じを残して幕を閉じる。

 アメリカ南部の農場地帯に生きる人たちが活き活きと描かれていて、それぞれの場面にも躍動感が感じられる。ブロードウエイで舞台化され、大ヒットしたというのも頷ける。少ない登場人物と舞台設定は確かに舞台向きである。
 最後に、本書の唯我独断的読書評は断然5つ星だ。

テキスト
『タバコ・ロード』(Tobacco Road、1932)アースキン・コールドウエル著(杉木喬 訳 岩波現代叢書)

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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