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2017年11月 1日 水曜日

11月1日:反射人間またはゾンビの世界における一本の葦 (#0970)

11月1日(水):反射人間またはゾンビの世界における一本の葦

 昨日だったか、テレビの情報番組でこういうニュースを見た。
 それは、ある皮膚薬に美肌効果があるということで、それを買い求める女性が増えたというものだ。そもそもの発端はアイドルか女優かがそういうことを呟いたかなんかしたらしい。それが広まって、その皮膚薬を求める人が急増したということだ。
 問題はその皮膚薬が処方薬品なのだ。医師の診断がなければ処方できないような薬で、当然3割負担の7割保険が適用されるものである。
 番組の論者たちは、まず、医療保険の増大を稀有し、本当に必要な患者さんにその薬が行き渡らなくなるのではといった流通の問題を取り上げていた。当然、病院には患者ではない人たちが訪れるので、病院や患者にも迷惑がかかる。
 それらも問題と言えば問題である。でも、僕が思うのは、そういう問題点よりももっと重篤と思われる部分である。それは、彼女らの行動原理である。
 ある薬がいいという評判を聞いて、病院で処方してもらえれば購入できるということを知る。患者でもないのに、病院に行く。医師に向かって、あの薬を処方してくださいとだけ言う。医師は医師としてのアイデンティティが踏みにじられるが、彼女たちはおかまいなしだ。医師は処方を断る。それで、こういう行為は間違っていると学ぶならいいし、そこで諦めるというならまだしもだけど、断られてキレる人もあるという。
 こういう行動原理は、僕は以前にはポケモンゴーの時に見た。ある所にレアキャラが出たという噂が広がると、そこに人々が殺到して、周囲のことにはお構いなしに自分の目的を追求する。今回のニュースから僕はそれと同じ行動原理が感じられた。

 行動原理などというと物々しく聞こえるかもしれない。その人の行動を基礎づけているような原理のことだ。でも、この人たちの行動を行動と見做していいかどうかも問題だ。
 正直に言えば、僕はそれを行動とか行為とは見做さない。僕には反射に近いものをそこに感じる。
 反射とは、膝を叩くと足がピクンと動くとか、ビックリすると体が硬直するとか、そういう反応のことだ。これは行為とは言えないものである。非意図的な反応で、意識的になされるものではない。状況に対して無自覚に生じる反応である。行為とか行動と呼ぶには、その行為者の主体がなければならないと思うのだけど、これらの反応にはそれが欠けている。
 ある薬がいい、病院で処方してもらえると購入できる。後はそのままその通りに反応するだけである。行為者の主体が本当にそこにあると言えるだろうか。

 皮膚薬を求める人たちもポケモンゴーで殺到する群集にしろ、僕はそこにゾンビを見る。
 最近、コスミック出版社さんの「ゾンビの世界」という10枚組のゾンビ映画を買って、毎日それを見ているせいか、ゾンビのことについて考えることが多くなった。その矢先にあのニュースを見たわけだ。僕は、これじゃまるでゾンビじゃないかと思った。おかげでこのブログを書くことができたわけだ。コスミック出版社さん、ありがとう。
 それはさておき、ゾンビには行動原理なんて存在しないのだ。フラフラと彷徨い、光を避けたりするのは意図的行為ではなく、反射レベルの反応である。人間を襲うのだって、ゾンビの意志ではない。昔のゾンビ映画ではゾンビを操る悪役の意志でゾンビは人を襲い、後のゾンビでは死肉を貪るために人を襲うのである。そういう違いはあるとしても、それは意志的な行為ではないし、反射レベルの反応に近いものだと思う。
 僕たちが主体的な意志を放棄すれば、僕たちの在り方はゾンビと変わらないということになる。いささか極論かもしれないけど、僕はそんな風に感じる。

 ここにもう一つ「大多数の原理」と呼べるものを持ち込むことができる。これは、簡単に言えば、大多数の意見が正しいと見做され、少数派の意見は異端として無視されたり排除されたりすることである。精神医学でもこれが問題になることがある。つまり、大多数の人がしていることは正常であり、少数の人にしか見られないことは異常だという考え方である。常にそれが正しいとは僕は思わない。
 もし、「大多数の原理」を取り入れるなら、大多数のゾンビに囲まれた状況では、ゾンビになるのが正しい選択であり、その中に一人生存している人間が異常だということになる。でも、ゾンビ映画を観る人はこのたった一人の人間に同一視するはずである。そうでなければゾンビ映画なんて面白くも何ともなくなるからだ。
 他のみんながやっているから自分もするっていうのは、周りがゾンビだらけなら自分もゾンビになろうと言うのに等しいと僕は思う。

 人間の社会がだんだん反射人間で占められているような感じがしている。今回はそのテレビ番組を取り上げたけど、日常生活の随所で僕はその感じを経験する。もはや反射的に反応しているだけの人をそれだけよく見かけるようになったのだ。
 言い換えるなら、人間の世界がゾンビの世界になってきているわけだ。周りがゾンビだらけになっても、僕は最後まで人間でいたい。ゾンビの世界において、一本の考える葦でいたい。
 長々と綴ったけど、これが僕の誇大妄想に過ぎないのであれば、その方がどれだけ良いかとも思う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
 



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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