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2017年9月11日 月曜日

9月11日:現代社会の終焉か (#0943)

9月11日(月):現代社会の終焉か

 昨日、4年ぶりに再会した人のことを書いた。彼女の話の中でいろいろ思うところのものがあったので、今日はそれを書き残しておこう。内容は昨日のことだけど、忘れてしまうと勿体ない。

 彼女は、やはりと言うか、今どきの子で、ネットの活用に長けている。
 彼女はメルカリをやっていると言う。僕もCMで知っているのだけど、要は売り買いする場所のことだ。売り手と買い手が直接つながるもので、間に業者が入らないというものだ。売り手にとってはいいかもしれない。しかし、一方で、こういう商売方式が成り立ってしまうと鑑定家がいなくなるかもしれないとも思った。その品物の価値を本当に見極める人がいなくなってしまうかもしれないと危惧した。
 例えば、僕が蔵書を売ろうとする。それに対して僕は自分で値段をつけることができる。その時、僕のつけた値段が果たしてその品物の価値を正しく反映しているかどうかは不明なのだ。古書店のおやじなら、いろいろ調べて適正価格をつけるだろう。その代わり、利益は古書店が取ることになる。それでも、僕の蔵書の価値は、僕の主観だけではなく、第三者の評価も加わるので、かなり正確になるだろう。

 また、近頃はネットを活用して商売する人もあると彼女は話す。例えば、呑み屋のカウンターレディが勤務時間を活用して悩み相談を受け付けるとか、そういうことができるらしい。客は飲み代とは別に相談料として個人的に女性に支払うことになるのだろう。
 あるいは、工事の得意な人が、修理や工事を個人的に引き受けたりして、それで小遣いを稼ぐとかいうこともできるらしい。
 要するに、専門業者がやるのではなく、いわゆるモグリの相談員、モグリの工事員というわけだ。
 彼女は、これってすごくないですかと僕に訊く。僕は呆れたとしか言えなかった。つまり、そんな仕事をやる連中は自分で看板を挙げることすらできない人間なんじゃないか、とそう思うのだ。

 また、彼女はある人のことを話していた。その人はネットを活用して「なんでも屋」をやっていると言う。依頼があればどんなことでもやるのだと言う。それで報酬をいただくのだとか。
 こういう「なんでも屋」ってのは、僕が一番嫌いな人たちだ。自分が何者になるかを決めずして、来たものは何でもやりますっていう輩のように見えてしまってならないのだ。つまり自己を形成できていない人のように見えてしまうのだ。そういう人に依頼して、本当にきちんと仕事をやってくれるのかどうか、僕は信用できないと思ってしまうのだ。

 メルカリの話から、モグリの話、なんでも屋の話と、彼女の話を聞いていると慄然としてくる。これって、現代社会の崩壊じゃないのかと、そう思えてならないのだ。
 現代社会というのは、専門家の分業化によって達成されたものなのだ。もしそうでなければ、僕たちはいまだに水を汲みに行っていただろう。それをする代わりに水道を一手に引き受けてくれる専門家、あるいは専門業者が生まれたのだ。おかげで僕たちは水を汲みに行く労力から解放されるわけだ。それ以外の多くのことができるようになるわけだ。
 数多くの分野で専門家が必要とされ、生活の多くをその専門家にゆだねることで、僕たちは自分の生活を豊かにし、専門家どうしにおいても共存共栄がなされてきたのではなかっただろうか。
 だから彼女の話は文明の退化を表しているようにしか僕には聞こえなかった。彼女はそれが素晴らしいと感じているようだ。新しいライフスタイルがそこにあるかのように感じているかもしれないけど、本当は逆なのではないだろうか。もっと古いライフスタイルに戻ろうとしているのではないだろうか。

 彼女とは楽しい会話を交わしていたけど、感じていたのは現代社会の終焉だった。恐ろしい時代になったものだと、改めてそう感じた。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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