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2017年9月13日 水曜日

(再録)自己対話編(7)-対話編

<自己対話編―7> 平成24年6月7日

<対話>
C:昨日は旅行のことを書いていったんだったな。ちょうど、帰ったばかりだったので、書くことがあったし、意識がそこに集中してしまっていた。でも、一日経ってみると、あんまり旅行のことを書くのも気が引けるなあという感じがしている。なぜかと言えば、今回の旅行のことを書こうと思えば、どうしてもYさんのことに触れなければならないからだ。Yさんがこれを読んだ時に、ショックを受けるのではないかと思うと、書く気力が失せるような感じに襲われる。(1)
T:Yさんを非難するつもりはないのに、そういう風に受け取られそうなのを恐れている。(2)
C:そう。文章で書いたものは、しばしば僕の意図とは別の読まれ方をしてしまうということを僕はよく経験しているので、Yさんとの間でもそういうことを体験してしまうのではないかと思うと心配で。僕の文章力のなさに原因があるのだけれど、誤解のないように書くのは難しい。誓って言うのであるが、僕は誰一人として人を傷つける目的で書くことはないということである。(3)
T:あなたは誰をも傷つけようとはしない。でもそれとは違うことが起きてしまうのですね。(4)
C:時々、そういうことが起きる。これは書いたものだけではないな。実際に声を出して言う場合でもそういうことが生じる。人間はお互い傷つけ合うものだって、僕は思っている。傷つけるつもりがなくとも、そういうことが時には生じてしまうということを僕は知っている。相手は悪意がなくとも、僕が傷ついたというような例をいくつも体験しているし、僕が何気なく言ったことや、悪意なしに言ったことで、傷ついている人もいるだろうと思う。それも僕の知らない所でそういうことが起きているのかと思うと、何も言わない方が安全なのではないかという気持ちになってしまう。でも、考えてみると、何も言わないことで人を傷つけないように、人を不快にしないように生きてきた時期があった。僕は何も物言わない子供だった。(5)
T:あなたはただ周りの人を不快にしたくなかっただけ、傷つけたくなかっただけだった。そのためには何も言わない方が安全だった。(6)
C:おかげで変な奴だと思われることも多々あったものだ。何も言わないから、僕が何を考えているか分からんと、はっきり表明する先生もいた。高校時代の先生だったな。中学時代にもそういう先生がいた。(7)
T:彼らもあなたを傷つけるつもりで言ったのではないと。(8)
C:そう思っている。先生方とすれば何気なく言ったのかもしれないし、思ったままのことを述べただけなのかもしれない。考えてみれば、僕に気を遣う必要は彼らにはないんだ。これを言ったらこの子が気にしないだろうかとか、傷つかないだろうかとか、そういうことを気遣う義務は彼らにはないんだ。大人になって、僕にはそういうことが分かるようになった。僕は傷ついた入り、気にしたりしても、彼らは悪意なしにそういうことを言っているのであって、これは必ずしも攻撃ではないということを確認してきた。(9)
T:でも、Yさんはそんな風に思ってくれないと思う。(10)
C:そう、彼女は気にしだすと、すごく落ち込む。僕の言葉や行為が物凄く彼女を動揺させてしまうんだ。それがわずかのことであれ、ひどく気にしているんだなって僕は気づく時がある。それだけ彼女は敏感で、繊細なんだ。だから彼女はもっと芸術畑の世界で生きるといいのにって僕は思う。でも、彼女は自分には才能がないとか、キャリアがないとか言って、尻込みしてしまうのだ。誰でも初めはそんなものを持たずに始めるものなんだけれど、彼女はそうは考えていないようだ。彼女がこれを読んだら、自分が非難されていると受け取らないだろうか。(11)
T:Yさんに誤解されることをとても恐れている。(12)
C:そう、怖いんだ。色で喩えよう。僕が白色だとする。彼女にとっては、僕は常に白色でなければならないんだ。普段白色の僕が、たまに黒色になったりすると、彼女は混乱する。人間にはいくつもの顔やペルソナがあるのだけれど、彼女にはそれが耐えられないのじゃないかって思う。わずかにグレーになるだけでも、彼女にとっては苦痛になるのじゃないかな。それだけ繊細なんだ。(13)
T:それだけにあなたも非常に気を遣っている。(14)
C:気を遣っているんだけど、恐らく、彼女の方は僕のことをお見通しだろうなという感じがしないでもない。僕が何も言わなくても、僕の態度や雰囲気から彼女は何かを受け取るのではないかな。だから彼女が手を握って来た時とか、僕に触れてきた時は特に気を付けないといけないんだ。僕はそれを一つのサインとして、危険信号のようなものとして利用している。彼女が混乱したり、見捨てられたと感じたりしたときに、彼女は僕に触れてくるのだと、僕はそう捉えている。僕が今までと変わっていないかどうか確認したくなっているのかもしれない。そうして彼女は安心したいのかもしれない。僕はあまり体に触れられるのを好まないのだけれど、Yさんがそれをしてきた時は、彼女に思う存分触れさせることにしている。これを拒むとたいへんだっていう気がする。安心すると、彼女の表情でそれと分かる。表情というか、雰囲気というか、何とも言えないのだけれど。(15)
T:あなたもまたそういう雰囲気やなんかを感じ取る。(16)
C:確かに、僕もそういう所に敏感な時がある。鈍感になることもあるけれど。こういう敏感さと鈍感さが同居しているというのも、精神分裂病の特徴だ。(17)
T:分裂病にはこだわるのですね。(18)
C:幻聴を聴いていた時期から、それが怖かった。ある人から、いつか僕は分裂病になると予言されて、すごく怖い思いを体験した。今の所、分裂病にはなっていないつもりだ。でも、当時ほど怖くはない。もし、僕が分裂病になったとしたら、その時こそ、本当に僕は人間の心の病を理解できるのだろうと思う。だから分裂病になるのは、僕にとっては少しも怖いことではなくなったんだ。言い忘れたけれど、本当は統合失調症と言わなければならないところだ。でも、僕はこの名称よりも、分裂病の名称に馴染みがあるので、ついついこっちを使ってしまうだけなんだ。統合失調症と言おうと、精神分裂病と言おうと、指している事柄に違いはないのだから、変わりはないということだ。(19)
T:でも、不思議なことだね。どうしてあなたは分裂病にならずにいるのだろう。(20)
C:分裂病がどういう病気であるかということを、僕は熱心に勉強した。そのお蔭だと自分では思っている。僕は自我境界をとても意識している。サイトの原稿なんかでも、この考え方をよくするんだ。つまり、何が僕に属しているもので、何が外から与えられたものであるかということを、僕は常に区別しようと思っているんだ。ある感情が僕に生じる。それが僕の内面から生じたものなのか、外側の何かに対する反応なのかという区別だ。何が僕の中にあって、何がそれ以外のものなのかという区別でもある。そして、自分の外にあるものは、しっかり咀嚼して、自分の中で消化しなくてはならないと思っている。咀嚼するとは、つまり、何度も語りなおし、見つめ直していくということなんだ。分裂病になるということは、外側のものを一方的に呑みこまされるような体験なんだ。恐らく、このことは理解してもらえないだろう。(21)
T:自分と自分でないものとの境をはっきり見ておかないと、あなたは苦しむのでしょうね。(22)
C:苦しむことは苦しむし、自分が混乱し、自分が壊滅していくような体験をする。でも、この傾向のいい所は、ある意味で共感能力が優れているということだ。誰かと同一視しやすいという傾向なんだ。だから小説や映画でも、その登場人物にすぐに同一視してしまう傾向があるんだ。そして、感覚的に敏感なところもある。ポーやモーパッサン、あるいはカフカやドストエフスキーの小説は、僕に痛いという体験をもたらすんだ。彼らの作品はとても痛いんだ。「痛い」ということがどういうことなのかも、なかなか分かってもらえないことなんだけど。(23)
T:とても痛々しいということ?(24)
C:それもあるね。主人公たちの虐げられている状況であるとか、その置かれている境遇であるとか、そういうものが時々すごく自分に身近に感じられるような思いをするんだ。(25)
T:そしてあなた自身にもそういう痛々しい経験がある?(26)
C:小学生の頃や、大学生の頃はそうだったような記憶がある。常に周囲に恐ろしいものが漂っている感じなんだ。それは周りの人の視線であったり、彼らが醸し出している雰囲気だったり、空気だったりするのだけれど、困るのはそれがはっきりこれだと断言できない類のものなんだ。(27)
T:とても漠然とした何かを感じ取ってしまう。(28)
C:はっきりしないものをね。それも僕にとって望ましくないものを感じ取ってしまうのだ。カウンセリングをしていて、何度かクライアントから驚かれたこともある。クライアントはそういう時に「どうしてそういうことが分かるのですか」と言うのだ。僕の言ったことがピタリと当たったように体験したのだろうと思う。当てたのではないのだ、その人に同一視しているから分かるのだ。きっとこんな風に体験しただろうなとか、こういう思いになっただろうなとか言うことが、自分のことのように伝わってくる、いや、伝わってくるというよりは、僕の中に同じように生じているという感じかもしれない。そういう時、僕はクライアントのことが自然に分かるような気分を体験するんだ。(29)
T:あなたのその敏感さや同一視する能力が面接では役に立っている。(30)
C:役に立つ場合もあるというだけだ。常に役立てているとは思えない。現に、まったく感情移入できないクライアントと会うこともある。その場合、クライアントが心を閉ざしているか、僕が心を閉ざしているかどちらかだと思う。だからある種のタイプのクライアントにとっては、僕は最悪のカウンセラーとして体験される。それも仕方がない。僕自身がそれを克服できていないのだ。そのように体験するクライアントを責めるつもりはない。ただ、その人がどこかで書き散らしているなら、話は別だ。陰でこそこそされるのは本当に腹が立つんだ。(31)
T:あなたはそういう自分の弱い部分、弱点も理解している。(32)
C:理解しようと思っている。彼らが怒るのはしばしば、僕が途中で同一視しなくなってしまうからなんだ。これがとても苦しくなってくることがある。それで僕は同一視を少し離れてしまう。するとこれは彼らにとっては非常な混乱をもたらす。なぜなら、それまで一体感を感じていたのに、急に相手が遠のいて行ったように体験されるからだと思う。ここで彼らは自分が見放されたということを体験する。僕の方は見放したつもりはないのだ。少し距離を取ってしまったのだ。もちろん、距離を取ってはいけない所で距離を取ってしまったのだから、僕の方に責があるかもしれない。でも、僕はそこで自分を守る方を選んでしまったのだ。いっそのこと、あのまま発狂してしまえば良かったかもしれない。その方が僕を恨んでいる人たちにとっても本望だろうと思う。(33)
T:あなたはそのことで自分を責めている。(34)
C:責めたくもなる。自分を責めてはいけないのかね。人間には自分を責めたくなる時があるものではないか。もちろん、自分を責めてどうこうなるとは思わないけれど、それをする以外に何もできないっていうような状況を体験することもあるのじゃないか。そこから抜け出はじめると、何かが見え始めるものなんだ。でも、すぐには抜け出られない。少なくとも、僕はそれができない。ひとしきり自責の念に駆られて、十分自責してからでないと、次に進めないんだ。(35)
T:しっかり懺悔しなければいけないって信じているようですね。(36)
C:それでも僕は自分が許されるという感じを体験しないんだ。これも不思議なことで、何人かのクライアントからよく言われたものだ。「寺戸さんと会っていると自分が許されるような感じになる」って、彼らは言ってくれるんだ。僕にとってはすごく嬉しい言葉だ。許されるということが、どういう体験であるか、彼らは本当に理解したと僕は思いたいんだ。僕は、僕自身が許されるという体験をあまりしていない。今でもそれは同じなんだ。子供時代から今に至るまで。僕が求めるのはそれなのかもしれない。(37)
T:あなたが生きていてもいいっていう許し。(38)
C:そうかもしれない。不思議なもので、僕自身は自分が許されている感じがしていないのに、僕と会う人の何人かは自分が許されていくと体験しているんだ。それも僕のおかげでと言ってくれているんだ。なぜ、こういう現象が生じているのか、僕は自分でもよく分からない。皮肉った言い方をすると、下には下がいるということを知って、安心されるのかもしれない。(39)
T:あなたは彼らを許しているの?(40)
C:確かに、非難とかそういうことはしないようにはしている。傷つきやすそうな人に対しては特に神経を使う。一時間面接すると、それだけで体力も気力も消耗しきってしまう。同業者で一日10人のカウンセリングをするという人がいるのだけれど、僕はとても彼女のようにはできない。一人面接すると、次のクライアントに移る前に、僕は自分に戻らなければならない。同一視を終えないといけないんだ。非常にイライラしたクライアントと会った後、しばらくの間は僕の中でもイライラが昂ぶって、なかなか自分に戻れなかったということもある。僕の中で体験されているイライラは、もともとは僕の物ではなかったんだ。その人と面接している間に、僕の中で生じてきたものなんだ。だからとても不合理なイライラだということは頭では理解できている。でも、イライラは治まらない。これが治まるためには、僕は僕自身に立ち直らなければならない。だからいつも僕がしている活動を何かしたり、そういうことがとても役に立つんだ。(41)
T:そうしてあなたはあなたの領域を作りなおすのですね。(42)
C:そう、これが僕というものを何か取り戻さないといけないんだ。それはどんな活動でもいい。音楽を聴くとか、キーボードを演奏するとかでもいいし、本を読んだりとかもいい、そのために役立つなら自慰だって平気でする。ひどく同一視した後には、そういうことをして自分に戻らなければならないんだ。変に聞こえるかもしれない。そして、こういう同一視が起きる時、クライアントとの関係がすごく良くなるし、クライアントもまた良くなっていくんだ。だから僕はこの傾向を矯正したくないんだ。(43)
T:あなたにとっては必要な傾向でもある。(44)
C:でも、最近、こういう能力が衰えたような感じがしないでもない。仕事がうまく行かないのは、これもあるんだ。かつてほど同一視ができなくなっている自分を発見する。もっと悪く言えば、クライアントと会っていて、共感できない自分を発見するんだ。心が動いて行かない感じがする。自分がとても硬直してしまった感じで。これもまた分裂病ではないかと僕は危惧しているのだけれど、何かが悪くなっているような感じがしている。だから酒も呑み始めた。(45)
T:お酒がどう関係しているの?(46)
C:僕は断酒をして、自分を良くしようとしてきた。でも、健康になろうとすればするほど、僕の中で悪くなっていくものがあるんだ。そう感じるんだ。ユングはそういうことを言っているんだけど、一方を伸ばせば、それに対するもう一方が影のように伸びていくということで、僕が健康になろうとすればするほど、何かが悪化していっている感じなんだ。そして、僕はその両方を統合することもできずにいる。そして、僕が酒を呑み始めたら、Yさんが混乱し始めた。僕としては、どうにも身動き取れない感じがする。僕はずっと断酒してきたし、それをYさんも見てきた。僕が酒を呑み始めて、彼女は僕が以前と変わってしまったと体験したようだ。それでYさんが混乱し始め、僕はとても困った。それで、僕はYさんを連れて呑みに行った。断酒している僕と、酒を呑んでいる僕と、その両方を見てもらわなければならない。白色の時と黒色の時の両方を見てもらわなければならない。僕が白色であろうと黒色であろうと、僕という人間は同じなんだということを彼女に知ってもらいたいと思っている。まあ、それが成功しているのかどうかは定かではないし、彼女にとっては余計な負担をかけてしまっているかもしれないという気もしている。(47)
T:Yさんにはその辺りの事情が知らされていないとすれば、混乱するのも無理はないかもしれませんね。では、そろそろ時間なので今日はこれくらいにしておきましょう。(48)

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)


投稿者 高槻カウンセリングセンター

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