blog2

2017年8月 4日 金曜日

8月4日:ボツ原稿~「憎悪を晴らす」

<憎悪を晴らす>

 人間は心の中にあるものを実現しようとする傾向があり、憎悪を抱える人も同じようにそれを実現しようとしてしまうのです。
 体罰や虐待をしてしまうクライアントが何人かおられました。実は、その人たちも教え子や我が子に暴力をふるいたいとは思わないのです。なぜかそうしてしまうと語られるのです。
 なぜかそうしてしまうというのは、本当の動機にその人が気づいていないということを意味します。自分でもはっきりしない動機からそうしてしまうのです。それは当人にとっても不快な体験なのです。
 この不快感を解消するためにとられるのが、自分を正当化する手段なのです。例えば「教え子がどうしても分からないから」とか「自分もそうやって育てられたから」という理論を持ち出すのです。でも、これは合理化なのです。
 夫からのDVに悩む女性クライアントが、その暴力的な夫について話してくれました。夫は早くに母親を亡くしたらしく、また、この女性を「お前はうちのおふくろとそっくりだ」と頻繁に語っていたのです。この男性は母親に対しての憎悪をこの女性で晴らそうとしているのです。もちろん、彼がそれを意識しているわけではないのです。
 あまり詳細に述べることは差し控えますが、彼が彼女に対して発する暴言があります。「お前は○○だ」とか「お前の○○の所には本当に腹が立つ」などと言った表現をするそうなのですが、こうした暴言の「お前は」の部分を「お母さんは」に換えてみると、彼の述べていることがよく理解できるように思いました。彼は子供時代から抱き続けてきた母親への憎悪を、大人になった現在において、自分の妻で晴らしているのです。
 また、「自分もそうやって育てられたのだから、自分の子供にもそうしているだけだ」と訴えた母親のクライアントは、子供を自分と同じ目に遭わせることによって、復讐を果たしているのです。(1)
 よく見られるのは、相手がこれこれこうだから、相手を憎むのだという形の表現であります。公平に考えれば、ここには二つの可能性があります。一つは相手がそれだけのことをこの人にしたという可能性で、そのために相手を憎むのだということです。これはその表現と一致しているのです。でも、その人に憎悪感情があるから、相手をそんな風に見てしまうという可能性もあるのです。こちらの可能性の方は見事に排斥されていることが多いのです。
 先ほどのDV男性もこの母親も、自分の抱えている憎悪には気づいていないのです。薄々とでも感じているかもしれませんが、それを認めることができないのです。


(1)これは「攻撃者との同一視」と呼ばれる現象であります。攻撃者との関係で無力な自分を体験した人が、攻撃者になることによって、自分の無力感から解放される試みなのです。力を取り戻す試みと見ることもできます。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

カテゴリ一覧

カレンダー

2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

月別アーカイブ