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2017年4月14日 金曜日

4月14日:内省録第5回―内省編

内省録:第5回(平成29年4月14日)

 前回、前々回の振り返りもできていないまま、今回、これを始める。きちんと前のことを終わらせてから次のことに移らないといけないとは思うものの、どうも理想どおりにはいかない。きちんと終えることよりも、先に進むことを重視してしまうからだろうか。それとも、僕が何かから逃げようとしているからだろうか。確かに、自分の書いたもの、あるいは話したものを、自分で読み直したり、聴きなおしたりすることには、ある種の抵抗感を覚える。案外、多くの人がそうなんじゃないかと僕は思う。決して、僕だけのことではないはずだ。(1)
 カウンセリングの録音を聴きなおすのも、時に、辛いなと感じることがある。自分の不手際ぶりを目の当たりにしてしまうからだ。後で振り返って恥ずかしくなるような箇所も、いちいち自分の耳で聞きなおすことになる。そこにはごまかしようのない事実がある。隠しようのない事実がある。それに直面してしまうのが辛い。(2)
 カウンセリングの勉強を始めた初期の頃は、録音したカウンセリングを丁寧に書き起こしていったものである。もう一度、あれをやっていかなければいけないと思ってはいる。カウンセリングに上達するには、録音したものを書き起こし、その一つ一つのやりとりを考察していくことだ。僕の中ではそれが一番の上達への道だったように思う。今の僕はもう一度それをやっていかなければいけないんじゃないかという気持ちになっている。(3)
 書き起こすというのは、人によって違いがあるとは思うけど、けっこう大変なことである。僕の経験では、10分のやりとりを書き起こすのに1時間かかる。60分のカウンセリングを書き起こすと、それだけで6時間仕事になる。そこから一つ一つを考察していくとなれば、さらにその倍の時間がかかるだろう。いや、2倍では収まらないかもしれない。そうして、1回のカウンセリングに対して10時間とか20時間の作業をするわけだ。当時はそれができたのだけど、今はそれができない。一回のカウンセリングのことでそこまで時間を割くことができないというのも理由の一つではあるが、それをやるだけの気力や体力が今の僕には失せてしまっているのだ。(4)
 若い頃は熱心に勉強できたものだ。そういう情熱があった。今はもう火が消えてしまったかのように感じる。失われていくのが寂しい。かつて僕の中にあったものが失われ、どこかへ行ってしまい、取り戻したくても手が届かない、そんな気持ちだ。(5)
 本を読むことだって、昔のようには読めなくなっている。一日に三冊くらい読んだ日が当時はあった。論文を10本くらい一気に読み通したということもあった。今、それができなくなっている。一日に一冊読めればいい方だ。論文も今は一日に3本くらいしか読めない。(6)
 確かに、当時よりも、今の方が、本であれ論文であれ、幾分丁寧に読むようになっているとは感じる。時間がかかるのも当然である。読み方が変わっただけだと言えば、それはそれで正しいのだろうけど、僕には喪失感が伴っている。(7)
 僕は情熱家だった。外観は大人しそうに見えて、内には激しいものを秘めていた。その激しいものが僕を突き動かしていた。そして、それは時々、表に現れることもある。人から見れば、僕はそうした二面性を持っているように見えるかもしれない。実際、そのように僕を評価した人もあった。(8)
 僕が何か一つの目標を持つとする。けっこう、その目標のために一生懸命になる。僕の中の激しい奴のなせることなのだ。(9)
 そのことを考えていると、高校時代のことが思い出される。僕には優秀な兄がいた。兄は今でも健在なので、過去形にすることはおかしいのだけど、「優秀」であるとは今は思わないので、そこだけ過去形にするべきだったか。それはともかく、兄の優秀さで僕はひどく苦しんできた。高校生になって、ここで兄を追い抜くか、せめて肩を並べない限り、僕はもはや生きていけないと、そんな気持ちに襲われてきた。(10)
 兄は陸上部だった。僕も中学時代は陸上部だったけど、高校でも続けるつもりはなかった。でも、兄を抜くには、同じ土俵で勝負しなければならないと思い。僕は陸上部に入部したのだった。(11)
 僕の目標は、兄が高校時代に出した800メートルの記録を抜くことだった。ただその目的のために入部したようなものだった。しかしながら、その高校の陸上部は少し変わっていて、長距離しかないのだ。短距離とか中距離、その他フィールド競技がないのだ。陸上部なのに、飛んだり投げたりする種目がないのだ。僕はずっと長距離をやっていた。兄と同じ土俵で勝負するなんて、とても叶えられそうになかった。(12)
 それでも兄は3年間続けてきたのだから、僕も同じように続けなければという気持ちだけでなんとかやってきた。はっきり言って、長距離を走ることは、僕には何も嬉しいことはなかったし、むしろイヤなほどだった。(13)
 機会は訪れるもので、高校3年生の春になって、ようやく念願の800メートルをやらせてくれることになった。高校3年の春だ。春から夏にかけて、陸上競技は一つのシーズンを迎える。毎月何らかの試合が開催される。残された期間内に僕は兄を追い抜かなければならなかった。夏までに結果を出さないといけないと感じていた。(14)
 4月の試合で、僕はまあまあいい結果を出した。兄には及ばなかったけど、僕の中では新記録だった。その後、記録を伸ばし、確か、6月の大会で兄の記録を抜いたのだ。僕は確信した。兄はそれほど優秀ではないと。その時初めてそう思えた。(15)
 7月の大会で、僕は欲を出してしまった。さらに兄を引き離してやろうと考えてしまった。この時は、スタートで少しまずったと思い、ラストの伸びが出せなかった。どうも最初の目標が達成されてしまったことで、僕の中で一つの火が消えてしまったのだと思う。(16)
 そして、夏になると、僕は陸上部をほとんど休部するようになった。僕にはもうそれを続けていく目的がなくなったのだ。顧問は冬の駅伝に焦点を当てていたけど、僕はもうそこまで続ける気力が失せていた。(17)
 そこで、次に僕が目標にしたのが大学受験だった。これも兄と同じ土俵でなければならない。それでいて兄よりもいい大学に入るということが目指されるようになった。これも、推薦なんかも利用したとは言え、どうにか達成することができた。僕はようやく自分が生きる場所を与えられたかのように思えた。(18)
 しかし、結局、それだけだったのだ。僕にはもうその先の目標がなかった。生きがいなんて何もなくなった。そこから僕が迷走し始め、あっちこっち迷った挙句、心理学に落ち着いたという次第だ。(19)
 高校時代が一番よく頑張れたような気がする。後にカウンセリングの方でも一生懸命にはやったものの、高校時代には及ばないという気がする。でも、本当にそれでよかったのだろうかという疑問は、今でもある。(20)
 他の高校生たちのように、もっと遊んだり、デートをしたり、アルバイトをしたり、そういう高校時代でも良かったんじゃないかと思う。朝、学校に行って、夕方は部活をする。部活が終わると真っ直ぐ家に帰り、勉強をする。僕の記憶では、大体夕方の6時頃に帰宅するのだ。そこから夕食を詰め込んで、7字から勉強を始める。食後にレコードを一枚聴く、それだけが唯一の娯楽だった。7時から二時間ほど勉強して、その後は推理小説を読んで、早めに就寝する。3年間、ほぼ毎日、その繰り返しだった。(21)
 よくやってたなあと思う。今、そこまで規則正しい日々を続けることができないでいる。その代わり、高校時代にできなかったことを今はやっているような気がする。学校が終わると、他の友達なんかは、寄り道をして、買い食いしたり、どこかでたむろしたりする。今、僕はそれをやっているような気がする。仕事が終わる。まっすぐ家に帰る時もあれば、寄り道をすることもある。開放感から自由を満喫しようと羽を伸ばしたりする。それがいけないこととは思わないけど、やはり失われたものがそこにあるような気がしてならない。(22)
 高校時代のことを振り返ると、自分がたまらなくイヤに思えてくる。その時その時には楽しいこともあったのだけど、今でも思い出すことのできるような思い出が何もない。何をしてたんだろうって思う。(23)
 去年、膝を割ってから、陸上部時代のことを思い出すことが増えた。当時から足の故障に悩まされていた。一番最初は中学2年生頃ではなかっただろうか。やはり左膝だった。膝に限らず、故障する時はたいがい左足だった。その傾向は高校時代にも引き継がれていた。もちろん、この膝の怪我の原因を当時に求めることができるし、それが原因だと言われればそうだという気もする。しかし、原因が当時にあっても、誘発因はその後の僕の不摂生にあるということは認めなければならない。陸上部時代を呪わしく思うのは、結局は、僕の八つ当たりのようなものでしかない。(24)
 それでも、膝の怪我がなくても、僕は陸上部時代を呪わしく思っていただろう。現にそうだった。もっと他の生き方ができただろうに。僕がその思いに駆られる時、念頭にあるのは高校以後の僕の人生だ。高校時代に、僕は僕の人生を生きることを放棄して、兄の人生を生きるようになっていた。当時、それをするしか自分の生きる場が持てないと感じていたのは事実であったけど、僕は間違った選択をしてしまったのだと、今ではそう思う。その後、カウンセリングと出会うまでは、僕には生がなかった。その間も、僕にとっては、一つの喪失だった。(25)
 そんなことを言うと、高校時代の最初の2年間もやはり喪失だった。僕は800メートルを走りたいと希望していたが、3年生になるまでそれは叶えられなかったのだから。もし、最初の1年目から希望通りのことができていれば、僕の高校時代ももっと違ったものになっていたかもしれない。しかし、そうは言っても、これは希望的観測でしかないのだが。(26)
 一方で、最初の2年の下積みがあったから、3年目で成績を残すことができたのだと考えることも可能である。事実、それも多少はあるだろう。でも、これとて確実ではなく、一つの希望的観測ではないだろうか。(27)
 もっと早くにカウンセリングと出会っていたら。それも希望的観測であるし、カウンセリングと出会うまでの紆余曲折がなければ今の僕はなかったと考えることも希望的観測である。結局、誰にも確かなことなんて分からないのかもしれない。(28)
 僕はこんな風にしか生きられなかった。もっと違った生き方ができただろうし、それに憧れることも多い。しかし、僕が違った風に生きられたかどうかは疑問であるし、違った風に生きたとしても、結果的に同じようなことしかできていなかったかもしれない。結局、何から何まで不確かなのだ。(29)
 僕には結婚願望なんてないし、子供が欲しいとも思わなかった。家族を持つということは僕には恐ろしいことだった。普通に結婚して、子供を産んで、家族を形成できる人たちがすごいと思うことがある。僕には無理だ。(30)
 それで独りを押し通してきたわけだ。同年代の人たちは、子供が大きくなってとか、反抗期でとか、この間子供の成人式があってねなんて話をする。今になって、そんな人生が羨ましいと思えるようになった。僕には無縁の話だ。(31)
 人生が一度きりっていうのは、本当に無常なことだ。今からやり直すなんてことが通用しないことがたくさんある。僕が今からでも家族を持つことは可能である。でも、それを可能にするためには、僕は多くのことを今から変えていかなければならない。気力や熱意に溢れていたら、なにくそ、今からでも変えてやるぞという具合になるのだろうけど、僕にはそんな気迫がもはやなくなってしまっている。(32)
 もし、50歳で結婚して、子供が生まれたら、子供が成人するまでの20年は僕は生きなければならない。つまり、70歳まで現役で働かなければならないということだ。はっきり言う。僕はそこまで長生きできる自信がない。あと10年くらいしか生きられないんじゃないかって思っている。(33)
 何を根拠にそんなことが言えるのかというと、実は具体的な根拠は何もない。ただ、僕の中で、そこまで生きられないという感覚があるだけなのだ。長生きをしたいとは思わなくなっているのだ。そういう願望がなくなっているのだ。「人生50年」が理想的であるかもしれない。そう思う。(34)
 50歳なんてまだ若いといわれたりもするけど、長寿社会ではそうなるだけのことだ。それは個人の中で体験されている年齢とは関係がないものだと思う。50歳はもう人生の終末である。僕にはそうとしか体験されていない。(35)
 こんなことをクヨクヨ書くのも、昨夜のことが影響しているかもしれない。昨夜、仕事を終えて、少し飲みに行ったのだけど、それはただ空しいだけだった。何もいいことがなかった。僕は自分がたまらなく空虚に感じられてきた。高齢者で、酒を飲むことだけが楽しみっていうような人たちとお会いしたことも関係しているだろう。でも、結局は、独りで飲み歩いて、それで何になったのだろうという気持ちの方が大きい。(36)
 僕は絶望や失意、落ち込みなどの経験が悪いことだとは少しも思わない。僕の場合、そこから再建していくことに価値が感じられてしまう。実存哲学者が「絶望から始まる」という時、僕はそこに馴染みのものを受け取ってしまう。かつて、戦争で東京は焼け野原になった。僕は写真でしか見たことがない。あの焼け野原こそ人間の原点だと僕は信じている。もちろん、僕の個人的な信念であって、こんなものを誰かに押し付けるつもりはないし、共有されたいとも思わない。(37)
 すべてが失われた時、僕の人生は本当に始まるかもしれない。僕の中で失われていくものがある。失われていくものがある限り、僕はまだ僕の生を始めていないのかもしれない。矛盾したことを言うのだけど、それでも僕は失われていくものに抵抗を覚えている。本当は失いたくないと思っているのだ。維持したいとさえ思っている。ただ、気持ちの上のものなのだ。焼け野原から再建するような、絶望から出発するような、そういう気持ちなのだ。(38)
 結局、観念的な話にしかならなかった。具体的な経験を綴るはずだったのに、最後はこんなふうになってしまう。毎回、これを始める時は、自分の経験したことを綴ろうと決意するのだけど、いざ始めると、僕は僕の経験した事柄から遊離し、観念の世界に入り込んでしまう。(39)
 先日、前に書いた「自己対話編」を読み直してみた。あの時はまだ自分の経験をよく語ることができていたように思う。僕が何を体験し、その体験からどの体験が連想されてきたか、そういうことがよく語られていたように思う。これもまた僕ができなくなっていると感じていることの一つである。今回は高校時代のことに触れたけど、これも漠然としか綴ることができていないように感じている。(40)
 具体的にというのは、これを読む人にその情景が思い浮かぶように綴るということである。僕が具体的なものから離れれば離れるほど、僕の綴ることは漠然としたものになるだろうし、観念的な事柄が増えることになるだろう。この内省録でそちらを志向してはいけないのだ。あくまでも具体的な自分を回復していかなければならないのだ。観念の世界に逃避してはいけないと、そう決めていたはずではなかったか。(41)
 自分のことでありながら、自分の思うようにできない自分に、僕は腹立たしい気持ちを抱いている。こういう自分が不甲斐ないと感じられてくる。(42)

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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