blog2

2017年4月 4日 火曜日

4月4日:内省録第3回―解説編

内省録:第3回―解説編

(1)なかなか自分の体験に触れられないので、今日体験したことから書き始めた。過去のことにいきなり触れず、現在のこと、直近のことから入ろうと、意識的に試みる。

(2)ここでコースの説明が入る。特に重要ではないけど、これを読む人のことが意識に上がっている。

(3)ここから歩行の記録となる。スタートの話である。不安を予期して身体が反応したというエピソードが語られるが、それがこの地点におけるもっとも印象深い出来事であったためであろう。

(4)最初の山場を越えたことが示されるが、その部分は語られず、後に再度腹痛に襲われた方に焦点が当たっている。苦痛の方に目が向きやすくなっているようだ。これは後に明確になるように、僕の心に重くのしかかっているものが関係していると思う。

(5)予定を変更したいきさつが述べられる。腹痛は気のせいばかりではなかったということで、僕は僕の予想、解釈が外れていたことを知るのだけど、そこには無頓着である。僕の予想が外れていたとしても大したことではないからでもあるが、何か否認の機制が働いているかもしれない。僕は自分の認識が誤っていたということを素直には受け入れられないでいる。これもまた最終部分で述べられる事柄に関係していると思う。

(6)その後の行程が述べられる。最後の最後で杖に頼ってしまったことが綴られる。僕はそれに対して、敗北感や恥辱感を覚えたりはしない。とにかく目的地に到着することしか頭になかったからだと思う。一方で、そういうことに敗北感や恥辱感を覚えるという人たちのことが念頭にあったかもしれない。僕はそうではないということの確信であるかもしれない。

(7)一応、僕は僕のプランを実行できたということで安堵し、満足している。一応、充実感や達成感、満足感もそれなりに体験できる僕がいるということが確認できる。僕がいちいちこれを確認するのは、充実感も達成感も満足感も、何一つ経験できないでいる人たちのことが心の中にあるためかもしれない。

(8)休憩中に思い浮かんだ連想を綴っている。10年程前のある日のことが思い出されている。今日と同じコースをらくらくと歩いた日のことだ。

(9)僕はここで一つの学びを得ている。かつてできたことは今でもできる、ただ、当時と同じようにはできないということだ。本当は、10年前の今日との体験の格差を感じていたかもしれない。そこは否認されて、当時できたことは今でもできるという確信に結び付けている。当時と今と、差異なんてないという態度を採ろうとしているが、(3)~(7)にかけての行程は10年前とはまったく違うものである。すごく差異を感じていながら、それを否認しようとしているのだから、ここには欺瞞があるということになる。差異よりも自己の同一性の方に目を向けたいのだと思う。

(10)ここで僕は話題を変えている。回想していた場面ではなく、今日の出来事の方に視点を移している。そして、このお墓に眠る人たちのことを僕は知らないという思いが語られる。

(11)ここで僕はある感情に襲われる。自分がみじめに思えてきたわけだが、これは先ほどの否認と関連しているかもしれない。つまり、10年前に普通にできていたことが、今は苦労してやらなければいけなくなっている自分に対しての感情が、こういう形で吐露されているのかもしれない。そして、この感情は、終盤で述べられる攻撃によって掻き立てられた感情にも通じているものである。

(12)急に元気を回復するのであるが、これは自分の感情に触れたことによるものではないかとも思う。

(13)僕は僕の惨めな感情を小さくしていく。特に意図的に努力したわけではないが、いろんなお墓を見ているうちに、そのようになっていった。価値の回復、自分自身の回復の試みでもある。

(14)気持ちが上向いている。10年前との比較ではなく、先月との比較を始め、先月よりも回復しているというところに喜びを感じている。ここで回復を喜べない人たちのことが思い出されており、そういう人は治らないというのを僕は自説として有しているのであるが、どうしてこの人たちのことが出てきたかが重要だと思う。僕は、それまで自分に向けていた惨めな感情を、回復を喜べない人たちに向け変えている。つまり、その人たちに投影しているということだ。彼らは惨めだという形になっている。

(15)階段を下りる時の方が注意を要する。意識をそれに集中しなければならない。このおかげで、連想、並びに投影の過程が中断することになった。

(16)これは階段を下りてからの話だ。ランナーズハイのような好気分を経験していた。目に入るものがそのまま僕の中に入ってくる。僕は自分が解放されているのを体験している。

(17)好気分を引きずっている。歩けることはいいことだと改めて実感している。(16)も含めて、僕は好気分にある時の自分をうまく表現できないのを感じる。

(18)好気分は僕の疑問で掻き消されてしまう。僕は自分が他の人と同じようにできていないのを感じ始めている。これはつまり、歩いて往復できたということで好気分を経験している自分が、普通ではないのではないかという意識に襲われ始めているということではないかと思う。

(19)自分と他人とがそぐわない感じ、自分の自己評価と他者からの評価のちくはぐ感の一例として、高校時代のことが連想されている。

(20)僕はここで話題を転じている。本当なら、自分では否定的な評価を下しているものが、他者からは肯定的な評価を得ているという、その差異に目が向かわなければならなかったはずである。僕は、その差異ではなく、他者の肯定的評価の方に目を奪われてしまっている。そして、褒められても伸びないという自説を論じるのだけど、これは知性化である。

(21)もう一つのエピソードとして検定試験のことが思い出された。結果が良ければそれで良しという他者評価に僕は首肯できない。結果がダメでも、一生懸命にやったということに価値を置きたいということなのだ。これもまた他者とは相容れない部分であるように感じられていたのだ。ちなみに、「治らないのはあなたのせいです」と言わんばかりの人のことがここでは半ば意識されていた。結果的に治らなかった、だから治療者がダメなんですと短絡的に評価する結果至上主義の人のことだ。

(22)途中の過程に目を向けず、結果だけを出せと要求されることは無意味だと僕は感じられている。そして、仕事では僕のような考えは通用しないから、僕は仕事のできない人間だという流れである。いわゆる自己否定感情が生まれている。

(23)ここで僕は一つの核心に触れることになる。この自己卑下感情から、先週立て続けに経験した「攻撃」のダメージが呼び覚まされている。腹痛を気のせいだと解釈したことも、過去にできたことは今でもできると確信したことも、回復の過程が喜べるという記述も、祖父母に対して申し訳なさを感じていたことも、どこかでこの人たちのことを念頭に置いていたということに気づく。僕は彼らが価値下げしているような人間ではないこと、価値下げしている彼らに見えている僕が本当の僕ではないということを、どこかで立証したくなっていたように思う。

(24)ここはもう一つ別の形での立証である。僕はここで再び知性化を試みている。「エス+超自我>自我」という構図をわざわざ論じている。彼らの自我が弱いので、僕が自我役割を担おうとしてきたのだが、彼らはそれを自我に取り入れることができないでいた。僕の失敗は、彼らのエス衝動に自我役割の僕がやはり無力に終わってしまったというところにあったのだ。

(25)クライアント個人の事柄には触れることができないので、いささか曖昧な表現になっている。自分に何が起きているかを考えることも自我の働きの一つだと思う。この内省録も、その観点に立てば、僕の自我を働かせる行為である。

(26)先の(25)でうまく言えた感じがしないので、ここで言い直している。僕は彼らの欠損部分の代行をしてきた。それが彼らの自我に取り入れられ、内面化していくことを目指していたのだ。

(27)一方で、僕のその方針に矛盾があったということを指摘している。彼らの自我は十分に機能していないのだから、内面化は期待できないのに、敢えてそれを期待していたという矛盾である。僕は彼らの機能している自我部分に賭けるつもりだった。

(28)ここで(24)で述べた理論とが結合するのであるが、代理自我を務めようとした僕の敗北は、彼らの自我の敗北でもあったのだ。

(29)ここでようやく僕は僕自身に目を向ける。僕もまた彼らと同じような状態にあった時期があった。

(30)僕は意識的に自我を働かせようとする。そうすることでエス衝動を緩和する。僕はそんなふうにしている。彼らにも同じことを求めていたかもしれない。

(31)綴っていながら、僕の中で不全感がある。(24)以降のことだ。不全感を感じているところで、読み手のことが思い出されたので、ここで一つの弁明をしているわけだ。

(32)最後の締めくくりである。僕の心に重くのしかかっていたものが最後に語られたものの、知性化をフルに活用して、自分の体験には目を向けていない自分を反省しつつ終える。僕はこう考えたではなく、そう考えることになった体験の方こそ語らなければならないのだ。

(感想)
 振り返ってみて、先週のクライアントたちのことが重くのしかかっていたんだなあと思う。今回、僕が連想することはすべて、あの人たちのことが通奏低音のように響いてくる。そのため、今日の出来事の流れと、その流れの一つ一つに彼らのことが関係してくるので、二重の流れがあったように思う。それだけに考察も難しかったし、読む人を混乱させたのではないかと思っている。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

カテゴリ一覧

カレンダー

2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

月別アーカイブ