blog2

2016年12月 9日 金曜日

12年目コラム(57):臨床心理の日米欧(3)~アメリカ型合理主義(続)

12年目コラム(57):臨床心理の日米欧(3)~アメリカ型合理主義(続)

 アメリカという国は、そうして何事も合理的にやってのけて成果を上げるという一面を持っている。それは医療制度、その保険制度にも現れている。

 日本と違って、アメリカの医療保険は民間が運営している。だからチェックが厳しいのである。精神科医や臨床心理家の仕事の一つに保険員と会うことが含まれているのである。臨床家は保険員に逐一報告しなければならないのである。
 もし、ある人の「治療」が長引いているとなれば、保険員が患者と臨床家との間に割り込んでくるのである。そして、その患者を別の臨床家に回すこともできるのである。保険員にはそこまでの権限が認められているのである。
 例えば、このような状況で、あなたが僕のカウンセリングを受けるとする。僕はあなたとの面接の内容を逐一保険員に報告しなければならなくなる。当然、あなたの秘密保持に関わる問題も生じるのだけど、それはここでは脇に置いておきましょう。あなたは僕のカウンセリングを続けたいと思う。でも、何回か通って、効果が出ていないと保険員が判定すれば、あなたは僕のカウンセリングを続けたいと願っても、他のカウンセラーに回されることになってしまう。そういう事態が生じ得るわけである。あなたの要望よりも、無駄な保険費の削減の方が優先されてしまうのである。

 そのような状況があるとこういうことが起きる。じっくり腰を落ち着けてクライアントと面接しようとする臨床家は、保険員によってクライアントを奪われることになる。そして、短期間でチャッチャッと片付けるというような臨床家のところにクライアントが集中することになる。こうして、臨床家の中にも格差が生じるのだ。
 でも、ここは誤解のないように言いたいのだけど、短期間でやってのける臨床家が必ずしも優秀とは限らないという点である。彼らは、クライアントの要請の方にではなく、政治の要請の方により適合しているように僕には見えるのである。
 こうして、臨床家が生き残っていくためには、とにかくスピードを競わなければならないという状況が生じているように僕には思える。臨床家がスピードを競い始めたら、もう世も終わりだと僕には思えてくる。

 日本でもやはりその傾向はある。ある病院関係者から伺った話だけど、その病院はかつてひどい経営難に陥っていたそうだ。でも、ある改善としたところ、経営を立て直すことができたと言う。
その病院は何をしたかと言うと、医師を入れ替えたのだ。一日に2人くらいの手術しかこなせない外科医をクビにして、一日に5人も6人も手術するという外科医を雇ったのだ。短時間で手術をやってのける医師を雇ったわけである。
そうして、他科においても、短時間、短期間で処置できる医師を置くようになってから、この病院は経営が持ち直したそうである。
 この例でも、新しく雇われた外科医の方が腕が上だとは言えないし、それ以前の外科医が優秀ではなかったということを示しているわけでもない。ただ、(ここでは政治的なそれよりも)経営の要請に応じられるかどうかであったのだ。患者にとってどちらが良かったかなんてことは等閑に付しているのである。

 政治にとって望ましいことは、病院数を減らすことである。医療費削減のためにもっとも合理的な解決がそれである。
でも、病院数を減らしても患者さんの数が減るわけではないので、一日にたくさんの患者さんを処遇できる医師が求められることになる。それだけでなく、短期間で効果を上げる技術を持っている医師が求められるわけだ。さらに、効果的な薬を研究開発して、処方していくことも、それに貢献することになるのだ。
 繰り返しになるけど、これらはすべて政治的な要請なのだ。患者は必ずしもそれを必要としているとは限らないのだ。
そして、肝心な点は、これが正しい医療や援助の在り方だとは僕は思っていないということである。
もし、これこそ正しい医療の在り方だ、理想的な援助の在り方だと思われる方がいるとすれば、僕はその人の考えを改めさせようとは思わないけど、それが誰にとって正しいのか、誰にとって理想的であるかを、今一度、考えてほしいとは願う。

 さて、ここで短期療法について触れたいと思うのだけど、分量の関係で次回に回すことにする。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

カテゴリ一覧

カレンダー

2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

月別アーカイブ