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2016年12月 7日 水曜日

12月7日:室内ビュー

12月7日(水):室内ビュー

 グーグルの会社から電話があった。室内ビューの写真を載せないか、撮らせてもらえないかという依頼だった。当然、僕はお断りした。そんなことして何になるのだろう。
 室内ビューっていうのは、要するに、ストリートビューの室内版ということだ。ストリートビューでさえ、何の役にも立たないツールだと僕は思っているのだけど、室内まで紹介して、それで僕の何の利益があるというのだろう。

 IT関連の会社が提案することって、本当にくだらなすぎる。
 サイトに僕の顔写真を載せたらどうだというのは、繰り返し提案されてきた。その方がユーザーも安心すると彼らは言う。
 室内ビューに関しても彼らは同じことを言う。室内の様子が分かった方がユーザーが安心するというわけだ。
 バカバカしい。そんなことで安心が獲得されると信じているなら、その人はよっぽど人間に関して無知である。
 通りの写真を見せても、建物の写真を見せても、あるいは運営者の顔を見せても、室内の様子を見せても、結局、そんなものはユーザーの興味が満たされるだけのことだ。もっと直接的な言い方をすれば、彼らの「覗き見趣味」が満たされるだけのことではないか。そんなもので人間の安心は獲得されるものか。

 僕が泥棒なら、ストリートビューも室内ビューもふんだんに活用させてもらう。恐らく、その道のプロなら、ストリートビューの写真を見ただけで、この建物は侵入しやすいとか、こういう侵入経路を取るといいとか、この入口の鍵なら簡単に開けられるとか、そういう情報をいともたやすく読み取ることだろうと思う。
 ましてや室内ビューなんてものがあると、猶更、ここに貴重品が仕舞われているだろうとか、真っ先にここを探せばいいとか、そういうことがお見通しになることだろう。

 要するに、そういうツールだけ開発してもダメなのだ。そのツールを使用する人間がもっと問われなければならないことなのだ。どんなツールでも、悪人はそれを悪用するものである。
 最近、古い雑誌に載っていたコラムを読んだ。1974年発行の雑誌だ。
 そのコラムは、当時社会現象になっていたコインロッカーの幼児遺棄を取り上げていた。乳児をコインロッカーに捨てるという事件が相次いだ年だった。
 そもそも、コインロッカーなんてものは、それまではなかったものだ。でも、利便さを追求して、ロッカーを駅に設置したのだ。それが児童遺棄に活用されてしまったのである。
 そのコラムの著者は書いている。児童遺棄事件は昔からあったが、コインロッカーへ遺棄するのは、明らかに過去の事件と異なっている。それは、新開発されたツールを使用し、あくまでも合理的になされていることである。

 新しいツールが開発される。それを悪用する人が現れる。新しいツールが開発されるほど、その悪用の手口が合理的になってくるわけだ。僕はそれにとても賛成する。
 手口が合理的になるということは、その手口は悪用のためであろうとなかろうと、機械的に行えるということである。つまり、非人間的になされるようになるということである。

 さて、ストリートビューも定着していると思うのだけど、室内ビューとやらがどこまで定着することやら、それがどのように活用されてしまうことやら、僕が場外から眺めさせてもらうことにしよう。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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