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2016年12月 2日 金曜日

12月2日:ああ、ロシア文学

12月2日(金):ああ、ロシア文学

 僕は大長編小説とロシア文学が苦手だ。
 文学は短編に限ると考えている。だから、短編小説の上手な作家は尊敬する。モーパッサンにしろモームにしろ、サキやO・ヘンリーなどは尊敬する。日本では志賀直哉などは本当に素晴らしい文章を書くと考えている。
 ロシア文学は、その中に大長編小説がすでに含まれているのだけど、苦手の二本柱が揃っている感じでもある。それでも、チェーホフやガルシン、ゴーゴリなどの作品はいくつか読んだ経験がある。
ドストエフスキーも「カラマーゾフ」はかろうじて読んだが、その他の大長編は挫折している経験がある。「死の家の記録」「賭博者」「二重人格」など、比較的短い長編なら読むことができたという程度である。

 ロシア文学でネックになっているのが、僕の場合、名前である。登場人物たちの名前である。もともと馴染みがない上に、姓、名、ミドルネーム、愛称(複数ある場合もある)がそれぞれ使われるので、はっきり言って、誰が誰やら、それが誰のことやら分からなくなる。
 これを日本名で表すと、例えばここに「山田一郎」さんがいるとする。お父さんが「山田太郎」とする。ミドルネームはお父さんの「太郎」をつけることになっている。従って「イチロウ・タローヴィッチ・ヤマダ」という表記になる。この人の愛称が「イーチャ」だったり「ヤーマ」だったりする。作品の中では、そのそれぞれ、「イチロウ」「タローヴィッチ」「ヤマダ」「イーチャ」「ヤーマ」が使われる。こうなると「ヤーマ」って誰だっけ? それ「イチロウ」と同じ人? といった疑問が噴出してくる。挙句の果てに、誰が誰やら分からんようになってくるのである。

 それはお前だけだと言われかねないので、次の一文を読んでいただきたい。
「・・・たとえば、そういう話は、シンピールスク県のソフロン・イワーノヴィッチ・ベスペーチヌイという者のところでもしゃべったものだが、ここには娘のアデライード・ソフローヴナと、マーリヤ・ガブリーロヴナ、アレクサンドラ・ガブリーロヴナ、アデリゲイダ・ガブリーロヴナという三人の儀姉妹がいた。また、リャザン県のフョードル・フョードロヴィッチ・ペレクローエフの家でもその話をしたし、ペンザ県のフロール・ワシーリエヴィッチ・ポベドノスヌイのところでも、その兄弟のピョートル・ワシーリエヴィッチの家でもやったが、ここには細君の姉妹のカテリーナ・ミハーイロヴナと、その又従姉妹のローザ・フョードロヴナとエミリヤ・フョードロヴナという娘がいた。それからまた、ヴァトカ県のピョートル・ワルソノーフィエヴィッチのところでも話したが、そこには彼の許嫁の妹のペラゲーヤ・エゴーロヴナと、二人の腹違いの姉妹であるソフィヤ・アレクサンドロヴナとマクラトゥラ・アレクサンドロヴナという娘がいた」
 ここに引用したのはれっきとしたロシア文学の一文である。ゴーゴリの「死せる魂」の第8章から引用したものである。はっきり言って、一度読んだだけでは、誰がどの県にいるのやら、誰と誰がどういう関係でつながっていたのか、さっぱり分からん。そもそも、今読んだ名前を言ってみろと言われたら、フョードルとかピョードルがいたなくらいしか答えられないし、正確に覚えられない。
 
 今日からレオーノフの『泥棒』という大長編を読み始める。上下二段組みで600ページを超す長編だ。これを毎日の出勤時に、一日20ページ程度ずつ読んで、一か月で読み終えようと計画している。それを今年最後のイベントにしようと思っている。
 この長編小説、僕は過去に挑戦して挫折してしまった。案の定、誰が誰やら分からなくなってきたのが原因だったように記憶している。今回は、その失敗を繰り返さないように、少しずつ読んで、登場する人物名をしっかり記憶して、反芻しながら読み進めていこうと計画している。
 今年の〆にできるかどうか。一つやってみよう。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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