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2016年11月18日 金曜日

11月18日:ミステリバカにクスリなし6:『改造人間』

11月18日(金):ミステリバカにクスリなしー6

『改造人間』(栗田信)

 日下三蔵さんの編集による「ミステリ珍本全集3巻 栗田信 醗酵人間」は4つのパートから構成されている。3本の長編に、パート4として短編が数編収められている。
 前回のこのシリーズで述べたように、僕は「醗酵人間」というタイトルに惹かれまくって、この本を購入した。そしてパート1の『醗酵人間』をすでに読んだわけだ。
 お目当ての作品を読んだことだし、この本はもういいやと思っていた。他の作品を読んでも、おそらく「醗酵人間」と同じように、何も残らないだろうし、時間の無駄になるだろうということが、何となく、分かっていた。
 それで、僕は本書をいったん書架に仕舞うことにした。
ところがである、その後、やたらとこの本と目が合うのだ。目が合うというのは変な言い方かもしれないけど、書架にあって、この本だけ妙な光彩を放っているように思われてならないのだ。
 僕はこの光に引き寄せられそうになる。何度も僕は誘惑と戦った。アカン、アカン、この本に手を出したら、時間と労力を無駄遣いすることになる。僕は葛藤し続けた。でも、今日、僕はついに誘惑に負けてしまった。本書、パート2『改造人間』を読み始めてしまったのだ。
 そして、読み始めると、止まらなくなり、2時間ほどかけて通読してしまう。案の定、何も残らず、時間を無駄にした感覚しか残らなかった。そうなると分かっているのに、僕は抗えなかった。
 読みだしたら止まらないというのは、決して面白いという意味ではない。次はどんなヘンテコな人間が登場するか、どんな奇々怪々な出来事が起こるか、その興味だけで読み続けてしまったのである。

 本作『改造人間』は、5つの章、と言うよりも5話から成る連作短編のような長編小説である。そこは「醗酵人間」と同じである。最初の2章辺りまでは、「醗酵人間」よりも長編小説としてまとまっているようだと感じだけど、3章目から例のパターンになる。
 物語の背景にあるのは、美術界の派閥における抗争で、これに巻き込まれた美術収集家の宗像作次郎の自殺を巡っての復讐譚である。改造人間なる怪人が復讐していくのである。
 こういう背景があるのだけど、この背景が生きているのは2章目までのこと。3章目からは、この背景はどこへやらという感じである。そして、最終章でわずかにこの背景が取り上げられる。

 第3章「59分59秒」では、改造人間否定派の記者が登場する。記者は記事を書く際に学者たちにも会っている。その学者たちの「誰しもが人間の持つ二面性を認めたが、透明人間とかドラキュラとか醗酵人間などは噴飯物だと嗤った」(p204下段)とある。
 透明人間、ドラキュラに続いて醗酵人間が登場しているのだ。他に狼男とかフランケンシュタインとか、有名なのがおるだろう。なんで醗酵人間が出てくるのだとツッコみたくなるのだが、ここで醗酵人間が登場することが案外嬉しかったりする自分も発見した。もう完璧に栗田信ワールドにハマってる証拠だな。

 さて、この改造人間なる怪人だけど、これは特定のキャラクターを有していない分、醗酵人間ほどのインパクトがない。改造人間はLSDによって人格が改造された人間だということになっている。もちろん、現実のLSDにはそのような作用はない。
 当時(1960年代半ば)、ドラッグカルチャーで話題になっていたLSD(日本では麻薬に指定されている)を作品に取り入れるなど、けっこう敏感な時代感覚である。ただ、何でもアリの薬品としてここでは登場しているのだが。

 さて、ミステリとして読んだ場合、本作はどのような作品と言えるだろうか。
 たくさんの人物が登場する。はっきり言って、誰が誰やら分からなくなってくる。そこに一人二役や二人一役のトリックが使用されるので、ますます混乱する。
 栗田信さんお得意(かどうか分からないけど)の、暗号トリックもふんだんに使用されている。
 ジェットコースターで無重力状態になる一瞬を突いた無重力殺人や密室殺人などの不可能犯罪要素もたっぷりある。
 人間の隠れ場所、または隠し場所トリックも使われている。
 こうしてみると、一人二役・二人一役あり、暗号あり、不可能犯罪あり、隠し場所トリックあり、さらには予告殺人ありと、ミステリの面白い要素がぎっしり詰め込まれていることが分かる。
 それにしても面白い要素をぎゅう詰めにして、どうしてこんな風な作品に仕上がるのか、それこそ本当にミステリである。

 結局、事件ははっきり解決しないまま終わる。そういう感じが濃厚である。改造人間を作り出す黒幕はそのままだし、背景にあったあの復讐も完遂されたのかどうか不明である。しかし、そんなことどうでもいいのである。
 今回、栗田信さんの作品を読んで理解したのは次のことだ。あの事件はどうなったのだろうとか、あの人物はその後どうなったろうとか、そんなことは考えてはいけない。さらに、この後、どうなるのだろうとか、そういうことも考えてはいけない。過去や未来に目を奪われてはいけないのだ。今この瞬間に目の前で展開されている情景や活劇を楽しめばいいのだ。つまり、栗田信さんの作品を読むときは、刹那的に読まなくてはいけなということだ。これがおそらく、栗田信さんの作品の正しい(もしくはもっとも害のない)読み方であると分かった。
 どうしてそういう読み方をするのが無難であるかと言うと、栗田信さんのこの作品(きっと他の作品も)は至る所で中心が欠けているためである。物語の中心人物がはっきりしないのだ。誰を中心にして、誰の目線で読んだらいいのかが不明瞭なのである。もちろん、中心はあることにはあるのだけど、それが章によって変わるのだ。1章ではこの人を中心に、2章では別の人が中心に、3章ではさらに別の人が中心にという感じなので、過去や未来を見ず、「今ここ」における視点だけを読む必要があるわけだ。
 人物だけではない。物語も同様である。基本となる背景がある。復讐である。でも、この復讐を軸に物語全体が構成されていないのだ。だから、この事件では密室殺人を、あの事件では無重力殺人をというように、目の前に断片的に提示された事件だけに興味を絞らないと、それこそ訳が分からんってことになるのだと思う。
 もし、僕の書評を読んで、興味を持たれて、栗田信作品を一度読んでみたいと思われる方(僕はお勧めしないのだけど)にとって、一つの参考になればと思います。

 さて、本書の評価であるが、「醗酵人間」より少し落ちる程度だ。比較対象が「醗酵人間」しかないというのも寂しい限りであるが、「改造人間」の方は、悪役である改造人間に明確なキャラクター設定がなされていない分、少し曖昧さがある。結末にも不全感が残る。その辺りでいささか評価が落ちてしまう。
 前回「醗酵人間」に二つ星をつけたから、今回は一つ星半ということにしておこう。でも、僕の個人的評価は四つ星である。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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