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2016年10月15日 土曜日

10月15日:ディランの受賞?

10月15日(土):ボブ・ディランの受賞?

 今週は空きをたくさん作った週だ。月曜日は歩行練習ということで、金曜日は父の手術があるということで、それで今日は講義を聴きに行こうと計画していて、予定を入れないようにしていた。
 でも、今日は聴講の気分になれなかった。外に出るのも億劫だったし、人の集まるところに顔を出す気力もなかった。
 結局、高槻の職場にて一日を過ごすこととなった。何も書く気になれないし、勉強しようとしても、どうにも気が散ってならなかった。
 こういう時は、取りあえずミステリと読むことにしよう。今日選んだのはヘレン・マクロイ『読後焼却のこと』だ。中学生くらいの頃に読んだきりだ。内容も覚えていない。マクロイファンとしては、しっかり読み直しておこうという気持ちになり、今回、30年ぶりくらいに読み直した。面白かった。一日で読み通した。今日の収穫はこれだけかもしれない。

 今年は僕の怪我、入院、手術もあり、今回、父の入院手術もあった。なかなか我が家にとってはたいへんな年となりそうだ。
 こういうことを考えると、両親を失うということが妙に現実味を帯びて僕に迫ってくる。親が生きている間に、できるだけのことはしておきたいと思うし、僕に対してよけいな心配や不安を与えないようにしたいと願うのだが、現実はなかなか思っている通りには進んでくれないものだ。
 こういうのが僕には悔しくてならない。結局は、親に心配ばかりかけている。そんな気持ちがこちらになくても、結果的に親に心配をかけ、世話を焼かせ、悩みの種になってしまう。そこから脱却しようといくら試みても、現実がそれに抵抗してくる感じだ。本当にもどかしくて、やるせない。

 書くことがないな。なんかニュースでもないかな。
 そうそう、ボブ・ディランがノーベル文学賞受賞だって。世も末だな。
 僕はあまりボブ・ディランは好きではない。兄がすごく好きなんだけど、僕はどうも好きになれない。ボブ・ディランの曲は、歌詞が分からなかったら、すごく退屈だ。7コーラスも8コーラスも曲を繰り返されるのはたまらない。
 つまり、歌には1番とか2番とかあるだろう。あれが7番とか8番とかまで続くわけだ。音や曲調が変わるのであればまだしも、同じことが延々と繰り返されるのだ。変わるのは歌詞だけで、音や演奏は同じのが続いたりする。あれが耐えられない。音楽の繰り返しは3度までだと思う。個人的な見解だけど、それ以上の繰り返しは耐えられない。繰り返すのなら、どこかをアレンジしてほしいと思うわけである。
 まあ、それはいいとして、ボブ・ディランの歌詞って、そんなにいいのかな。ジャニス・ジョプリンの歌詞の方が僕にはグッと来るものがあるのだけど、好みの問題なのかな。
 まあ、これもいいとして、結局、ボブ・ディランの歌詞にノーベル文学賞が授与されるということは、文学作品に受賞に値するような作品がなかったということではないだろうか。ディランの受賞は、そのまま文学の衰退を表していないだろうか。
 同じように、これは音楽の衰退でもないだろうか。ミュージシャンが、音楽ではなく、歌詞で受賞するなんて、どうだろうとも思うのだが。
「時代は変わる」なんて歌っていたディランがノーベル文学賞受賞か。「もう時代はすっかり変わっちまった」としか僕には思えない悲劇だ

 ああ、くだらんことを書いている。くだらんことを書いている自分がイヤになってくる。こんな時、ディランの歌詞なんて、僕には何の助けにもならない。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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