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2016年10月13日 木曜日

10月13日:自由と生きられる時間

10月13日(木):自由と生きられる時間

 今日、朝一番のクライアントがキャンセルになった。別に構わないのであるが、僕は苦しい。
 今日、父が入院することになっている。家族の誰かが付き添った方がいいのだけど、僕も母も仕事が入っていた。父は、仕方なく、一人で入院手続きをすると言った。
 キャンセルされるくらいなら、父に付き添っておけばよかった。結局、父に一人で病院に行かせて、その時間、僕は仕事もせず、事務所にポツンとおっただけだった。
 別にキャンセルするクライアントが悪いわけではない。簡単にキャンセルされるような仕事をしている僕の責任である。
僕は自由な存在でありたいから、僕に生じることはすべて自分に還元せざるを得ない。
 僕の身に降りかかる不幸や苦痛、不都合はすべて自分が招くものである。僕が自由であるということは、すべてを僕が自由に決めていいということだ。言い換えると、僕が自由である限り、運やツキ、他人が僕の何かを決定することなんてあり得ないということなのだ。自由とは、別の種類の拘束であることを知らない人が多いのだけど、僕は不自由よりも自由の拘束を選ぶ。
 父には申し訳ないことをしたが、午前中、僕はひたすら勉強して過ごす。クライアントが来ないなら来ないで、僕は僕に課せられているテーマに取り組む。それだけだ。

 帰宅すると、父が無事に入院したということを聞く。よく考えたら、兄に少し時間を割いてもらって、手伝ってもらったらよかったのにと思う。午前中だったら、兄もちょっとくらい時間を割くことができるだろうに。
 僕は、まあ、それも気にしない。帰宅してからも、僕は僕に課せられたテーマに取り組み続ける。次々にテーマが課せられていく。僕はそれをこなしていかなければならない。
 午後からのクライアントによく頑張りますねと感心されたのだけど、それは違う。もちろん、その人に直接そんなことは言わないが。人は自分に課せられたテーマにはいくらでも取り組むことができるのだ。取り組めないのは、それが他人のテーマであるか、本当のテーマが見えていないからだと僕は思う。
 生きている間しか時間がないんだ。僕にどれだけの時間が残されているかなんて、まったく分からない。生きている限り、テーマが課せられていく。それを生きられる時間の中で取り組んでいかなければならないのだ。
 要するに、人生はあまりに短すぎるということだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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