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2016年10月 6日 木曜日

10月6日:ワサビスト入門

10月6日(木):ワサビスト入門~これを読めばあなたも今日から熟練ワサビスト

 以前に書いたブログを読んで、僕がワサビストだということを知ったある人から、いろいろと訊かれている。上手く言えないので、この場を借りて、僕のワサビストぶりを見てもらおうと思う。

 まず、ワサビストとは、「わさびの愛好家であり、わさびの生き方を実践している人である」と、僕はこう定義する。
 世の中にはマヨラーとかケチャッパーと呼べるような人たちがいる。そういう人を僕も知っている。彼らは何にでもマヨネーズとかケチャップをドバドバかける。見ていると、「それ、全部マヨネーズやん」とか「絶対、ケチャップの味しかしいひんよね」とツッコミたくなるほどである。ワサビストたるものは、そんなお下品なことはしてはいけない。
 わさびというのは、料理や素材の味を殺さないのだ。からしのように強い自己主張もしないのだ。料理や素材の背後にあの風味が広がるのであって、わさびのこの奥ゆかしい感じが魅力なのだ。
 音楽で言えば、ベース楽器に例えられるかな。決して前面には出てこないけど、常に背後でその音が聞こえていないと音楽が安定しないという、そんな感じである。
 従って、料理や食材の味をすべて抹消するほどわさびを山盛りにして食べるというのは、本当のワサビストではないのである。そんなことをする人はわさびのように生きていないのである。

 ちなみに、わさびのライバルである(と勝手に僕が想定している)からしがどれだけ自己主張が強いかということは、からしとわさびを入れ替えてみればよく分かる。冷やし中華にからしを添えるけど、あれをわさびに変えたとすると、からしほどの存在感を示さないのだ。
 冷やし中華にはからしである。ワサビストたる者は、からしの領域を侵犯しないのである。マヨラーのように、ここはからしの出番だろうというような場面にマヨネーズを割り込ませたりはしないのだ。あるマヨラーはおでんにもマヨネーズをかける。おでんには、わさびではなく、からしである。
 つまり、何でもかんでもわさびを付けるというのは、ワサビストにあるまじき行為である(と僕が勝手に決めている)。わさびには分を弁えるというところがあるように思う。ここはわさびよりもからしの方が似合うということであれば、ワサビストは潔く身を引くのである。
 わさびのような生き方というのが、どういうものか多少でも伝わるだろうか。

 さて、わさびの食べ方なんだけど、何から述べればいいだろう。取りあえず、「料理のさしすせそ」から入っていこう。
 僕は、個人的には、わさびはそのどれにも合うと思っている。
 まず、醤油から考えよう。普通に醤油をかけるものは、それをわさび醤油にしても何ら支障はないように思う。玉子かけごはんにも、目玉焼きにも、出し巻きにも(玉子ばかりだな)僕はわさびと醤油である。焼きナスや冷奴もそうである。
 次にお酢を取り上げよう。お寿司も結局は醤油と酢なのだから、お酢がわさびに合わないはずがない。酢の物はもちろん、漬物にも、僕はわさびを付けることがある。きずしやバッテラなど、酢で〆てあるものにもわさびは欠かせない。野菜のドレッシング(イタリアンなど)にもわさびの風味を効かせることもある。ドレッシングといえば、多分、和風ドレッシングでも合うんじゃないかなと思う。
 続いては塩を見てみよう。普通に塩をつけるものはわさびを添えてもおかしくない。ゆで玉子(また、玉子だ)も、塩とわさびで食することがある。お肉でも魚でも、塩焼のものはわさびを添えてもおかしくない。どこかの焼き鳥屋で塩焼の焼き鳥にわさびトッピングがあるのを見たことがあるが、あれは有りだな。フライドポテトなんかにも合うかと思う。ポテトチップスにわさび味のものがあるくらいだから、合わないことはないだろうと思う。マクドでやってみようと思ったことがあったけど、さすがに人目を気にして、できなかった。いつか挑戦してみたい。
 味噌とは合わせたことはないけど、多分、合うと思う。もろキューとか、わさびを添えるとけっこういけるんじゃないかと思う。
 砂糖とは、もう一つ縁がないように思われるが、案外、合うかもしれないと密かに考えている。やってみたいのは、饅頭にわさびを添えるという食べ方だ。わさびの風味があんこを引き締めるんじゃないかと想像しているのだけど、これもまだ実践したことがないので、何とも言えない。

 料理や食材との関係で言えば、わさびはご飯にもパンにも合う。
 僕はご飯に醤油をかけて、それにわさびを乗っけて食べることがある。これは要するに、お寿司のシャリを再現しているわけなんだけど、それでお寿司を食べた気分にするのである。
 パンでは、僕はサンドイッチでやったことがある。マスタードの代わりにわさびを使用するほかは、普通に作る。ハムサンドより、ツナサンドの方がわさびには合っていたという記憶がある。
 あと、お茶漬けにも、僕はわさびを乗せる。この場合、やや多めに乗せる。もちろん、お茶漬けの種類に関係なく、わさびは乗せる。ひどい時には、わさび茶づけにわさびを乗っけていることもある。種類はともかく、最後のお茶を啜るのが好きだ。これを考えると、「わさび茶」というのはありかもしれない。
 麺類に関しては、ざるそば、ざるうどん、そうめんと、僕はすべてわさびで食べる。ざるうどんでは生姜が一般的だけど、ぼくはわさびだ。ラーメンや焼きそばでは無理だ。スープやソースのあるやつはわさびが乗りにくい。ただ、最近、塩焼そばで試してみたいという衝動に襲われることがやたらとある。いつかやってみよう。
 ソースとかタレをつけるものとか、あんかけのものは微妙である。揚げ物は、やはりソースだけでいただくのが一番いいように思う。とんかつにはソースにからしだ。酢豚や皿うどんなんかもからしの出番だ。ここはからしのような自己主張の強いやつでないといけない。でも、シューマイにはわさびだ。ただし、タレはつけない。餃子も、タレで食べるか、わさびだけで食べるかのどちらかだ。一緒にというのは、ちょっと合わない感じがする。
 照り焼きとか蒲焼にも、わさびを添えて構わない。ウナギの蒲焼に僕はわさびをつける。ただし、蒲焼とか照り焼きの場合、かなりたくさんわさびを付けないと、全然風味がしない。わさびがタレに負けてしまうんだろうね。
 当然、生もの系にわさびは相性ピッタリである。おつくりはもちろんのこと、お肉の刺身でもわさびはいける。そして、刺身とわさび、それと日本酒(冷酒がいい)は最高のコンビネーションだ。
 わさび系に合うのは、何と言っても日本酒(冷酒)だと僕は思う。「結局、酒の話になるんかい」とツッコまれそうだけど、これだけは言わせてもらいたい。わさびと日本酒(冷酒)は合う。でも、僕の経験では、日本酒(冷酒)に一番合うのは饅頭である。チョコレートとブランデーが合うように、日本酒とあんこは相性がいいのだ。お互いの味を引き立てるのだ。こんなことを言う奴は相当な酒飲みである。本当の酒飲みは甘党なのだ。饅頭とわさびが合うのではないかと僕が思うのもこのためである。酒とわさび、酒と饅頭の組み合わせがいけるのなら、わさびと饅頭の組み合わせもありではないかと思うわけだ。先述のように、これはまだ実践していないのだけど。あと、塩を口に含んでテキーラを飲むように、わさびをちびちび舐めながら日本酒を飲めと言われたら、なんだか普通にできそうな気がする。

 お酒の話が出たついでに(結局、酒の話になるんかい)、こんなエピソードがある。とあるスナックに入った時のことだ。「柿の種」が出てきた。それがわさび味の「柿の種」だった。ここはわさび味のやつを出してくれるんだと思った僕は、気が利いているなと思い、これからもこのお店に通おうかなと、一瞬だけ、思った。僕は普通に食べている。どうも空気が変だ。後で聞いたところでは、店の人たちはわさび味の「柿の種」を出して、僕の「鼻ツーン」リアクションを見たかったらしい。それを僕が普通に食べていたので、どうも彼らの当てが外れて、場が白けたようだ。それならそうと予め言ってくれてたら、「鼻ツーン」リアクションを演技してたのに(ホンマかいな)。

 ああ、書きたいことがたくさんあり過ぎて、長文のブログになってしまった。でも、最後に真面目な話をして終わろうと思う(今までのは何やったんや)
 食べるということは、心理的には同化することである。未開民族や原始社会の民族ではそれがストレートに信じられていた。動物を食べることは、その動物になることである。対象を自分の中に取り入れる(食べる)ということは、それ自体、対象と自分との間の距離がなくなるということである。
 こうした象徴性は、現在では宗教的な儀式に残っている。キリスト教では、イエスの血肉を食べる(これはパンとワインであるが)が、それはイエスを取り入れ、一体になることを象徴的に表しているわけだ。お正月にお神酒をいただく人もあるけど、あれは普通のお酒ではないわけだ。神仏に捧げたものを取り入れているわけである。
 疲れた時に甘いものがほしくなる人も多いと思う。それは、疲れた自分を甘やかせたいということなのではないだろうか。ちなみに僕の場合、疲れた時は酒が欲しくなる。自分をもうろうとさせたいということなのかもしれないな。
 土用の丑の日にうなぎを食べるというのも、うなぎが栄養価が高いとかいうよりも、うなぎの生命力のようなものを象徴的には取り入れたいということではないだろうか。
 いくつも例が挙げられるのだけど、要は、食べるものはその人の状態とか生の様式と関係しているということである。菜食主義の人(何人か僕は知っている)は、野菜のように生きている人だと言うのは、言いすぎかもしれないが、あながち的外れではないように僕は思う。
 僕はわさびを食べる。その時、僕はわさびと一体化するわけである。わさびという食材が持つ象徴的な特性を僕は取り入れているわけだ。すでに述べたように、わさびとは不可欠の食材でありながら、決して料理や素材の味を殺さないし、前面にも出てこない。自己主張は強すぎず、背後で存在感を示すものである。もちろん、これは僕の個人的な「わさび観」であるが、僕はわさびを取り入れることによって、象徴的に、わさびの有するこのようなあり方と一体になろうとしているのだという気がする。
 近年、わさびの人気がなくなってきたとも聞く。わさびのように生きる人が少なくなったということだろう。現代がそういう生き方では生きていけない時代だからであろう。マヨネーズのように、どこにでも顔を出して、主役を奪っていくという生き方の方が現代には合っているのかもしれない。生き方と食の嗜好とは、一般の人が思っている以上に、深い関係があると僕は思う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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