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2016年9月27日 火曜日

9月27日:梅田にて

9月27日(火):梅田にて

 今日は用事があって梅田に出た。足の怪我もあって、長いことあの辺りにも行っていなかった。半年ぶりくらいではなかろうか。
 古書街を歩きたい誘惑に駆られるが、反対方向なんで断念する。いくつかの雑用を済ませて、人とも会った(この人がやたらと僕をべた褒めしてくれた。恥ずかしいものである)。夜は少しだけお酒を飲む。それから帰宅。特に買い物もせず、無難に過ごした。
 しかし、それにしても、梅田も人が少なかった感じがする。繁華街なので、もっと人が多いかと思ったが、そうでもなかった。かつてのイメージが残っているのだろうか。以前のような賑わいがなかったような気がした。それに、以前はもっと人ごみがひどかったように記憶しているのだが。
 飲食店にも、表から見る限り、けっこう空席が目立った。不景気は高槻だけかと思ったが、そうでもなさそうだ。梅田は、高槻よりかは賑やかだったけど、かつてほどではなかった。寂しい限りだ。

 一体、人はどこに行っているのだろう。ポケモンでも捕獲しに行ってるのだろうか。シルバーウイークでもポケモン捕獲集団が問題になっていたけど、あれほど無意味かつ不気味なものはないと思う。
 ポケモン捕獲者が集合しても、そこでお金を落としていかないから、経済的には何の益もない。そこでお店を経営している人にすれば、空しいだろうな。たくさんの人が店の前を流れていくのに、誰一人として店の存在に気づいてくれないとすれば。
 捕獲者なんて、そんなものだ。周りを見る余裕はないし、視界は狭くなり、自我狭窄さえ起こしているだろう。それにお目当てのモンスターが捕獲できなければさっさと引き上げるだろうし、せっかく来たついでにお土産でも買っていこうなどという気持ちさえ生じないだろう。ああいうゲームはとかくプレーヤーの精神を拘束し、制限するものだ。まともに生きたかったら、あんなものに手を出さない方がいい。

 景気がもう少し上向いて、安定すればいいのだろうけど、なかなかそうもいかないようだ。個人消費が減ってしまうと、どうしても厳しくならざるを得ない。
 今の若い人たちはモノを買わないそうだ。本やCDなんかも買わないそうだ。ネットで読めるし、音楽も聴けるからだ。
 でも、品物として所有するということは、それなりの意味もあるのだが。パソコンの中にある書物と現物の本とでは、同じ内容の本であっても、心理的に意味合いが異なる。CDでも同じである。
 僕も経験している。ユーチューブで無料で聴くことのできるアルバムだったけど、CDを購入してからは、ユーチューブでは聴かなくなり、CDの方に愛着を覚えるようになった。それに、ユーチューブで聴いていた頃よりも、CDの方が繰り返し聴くし、しっかり聴いている感じがする。
 パソコンやスマフォの中に保持されているものなんて、簡単に切り捨てられるものではないだろうか。物を買う、あるいはお金を払ってサービスを受ける。それだけ支払う価値があるかどうか、支払う金額に見合うかどうかということを先に考える人たちもあるけど、あれは間違っていることが多い。買ってから、サービスを受けてから、それらの価値が出てくるのである。
 車を買ったある人は、買う前までは躊躇していたそうだ。確かに高額の買い物である。車を購入するよりも、必要な時はレンタカーを借りる方が安くつく。それでも思い切って買ってみた。せっかくの日曜日に車をピカピカに磨く人を彼は小馬鹿にしていたけど、いまや、彼はそれと同じことをしている。その気持ちが分かるようになったというのだ。
 購入してから愛着が湧くのである。買ってから価値が出てくるのである。サービスでも然りである。カウンセリングを受けてから、カウンセリングの価値を見出す人も多いのである。品物とネット内の情報とが異なるのはその部分だ。ネットでも本が読める。でも、現物の本の方がより愛着が湧き、価値が見出されるものなのだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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