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2016年9月 2日 金曜日

9月2日:「こむら」と「こぶら」

9月2日(金):「こむら」と「こぶら」

 先週、外回り関係のことはすべてやったのだけど、一つ手抜かりがあった。それを今日の午前中に済ませておこうと思い、外出する。
 膝の具合は少し悪い。一部分だけなんだけど、ズキンとくる。けっこう痛い。
 痛いところを庇いながらゆっくり歩く。お年寄りのヨボヨボの歩行に追い抜かれてしまうほどゆっくりしか歩けない。
 要件を済ませる。駅に向かう。暑さにもまいる。それで喫茶店に入って休憩することにした。
 そこは初めて入る喫茶店だった。店の人たちと常連さんたちが談笑していた。その中に、「こむら返り」を「こぶら返り」と表記されているポスターを張った整体院さんの話が出た。「こぶら返り」は、方言というか訛りなのだろう、これは正しくない。「こむら返り」が正解である。そんな間違いを、身体のプロである整体院さんがするかと、彼らは話し合っている。
 なるほどと思った。もし、そのポスターの表記が「こむら返り」だったら、ここで話題にもされなかただろう。間違っていたからこそ、ここで話題にされているのだ。もし、そういうことを意図的に狙ってしているのであれば、その整体院さんはなかなか侮れないと思った。

 僕は思う。人は正しいことを話題にして話し合うよりも、間違ったことを話題にして話し合うものだと。人の思想であれ、行為であれ、間違いこそ取り上げられるのだ。正解は見過ごされたり、当たり前のこととして通過されてしまう。そこでは話題にされることさえないかもしれない。
 そこで、正しいことを言って注目されない人よりも、間違ったことを言って注目される人の方が強いかもしれないとも思う。注目された者の勝ちという場面が時々あるものである。
 そして、間違ったことを言ってでも、一たびそれが注目されてしまえば、それが間違ったものではないという確信を人々は持つようになるかもしれない。注目される人が正しいという認識に至ることもあるのだ。これの極端な実例がヒトラーである。
 こういうことを僕が学んだきっかけがある。
 90年代中頃、「脳内革命」という本が注目を浴びた。現在では、あれはやはり正しい理論ではなかったと言われているようである。でも、当時はそれが正しいものとして受け入れられていた。一部の批評家や専門家は間違いを指摘していたけど、注目されているものの方が強いもので、そうした指摘は効力がなかった。
 僕の場合、半信半疑だった。でも「それもあり得るかもしれない」などと考えていたことからみると、やや「信」寄りだったような気がする。
 後年、どうしてそれを信じる気持ちになったのかを自分に問うてみた時、僕ははっきりとした経験を思い出すことができなかった。ただ、なんとなく世間から注目されていたからとか、そんな理由しか思い出せなかった。群集心理というのか、それとも「後光効果」のようなものなのか、今となってははっきしりないけど、何かそういうものに巻かれたという感じがある。
 その当時、僕は主体的に対象とかかわるということをしていなかった自分を発見する。ただ、世間が良いと言っている対象を、主体的に考察してみることなく、流されるように信じていただけだったように思う。

 あの頃から、僕も多少は賢くなったと自負しているのだけど、その分、世の中も変わってしまった。
 やはり、今でも、注目を浴びる者の勝ちという感じがする。後でそれが間違っていたことが証明されても構わないのである。人々に何か良いと感じられるものが提供できれば、人は無条件にそれに従ってくれるものである。それが成功した人生だと信じている人たちもいる。
 僕が独り、それは正しい生き方ではないなどと主張しても、注目されているものに対しては勝ち目がないのだ。
 注目される者の勝ちという世界なら、どんどん発信していくことが欠かせない。人はそうして発信していく。僕のこのブログもある意味では発信していることになる。ただ、僕はフォロワーなる群集を従えようという気持ちはさらさらないのだが。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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