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2016年7月25日 月曜日

7月25日:理学療法士さん

7月25日(月):理学療法士さん

 今日は病院の日だ。
 朝一番にリハビリがあって、その後、整形の診察がある。処方箋を出されるから、薬局にも寄らないといけない。午前中はそれで潰れるだろうと覚悟しておいた。
 ところがである。整形外科に患者さんが多くて、かなり待たされた。今日はレントゲンも撮影すると言われ、そこでもまた待たされる。最後の会計でも待たされる。昼には終わるだろうと予想していたが、その予想がまったく外れ、すべて終了した時には2時近かった。
 そこから駅まで歩いて、高槻に出たけれど、その時、3時になっていた。とにかく、まずは腹ごしらえからだ。お昼を食べる間がなかった。喫茶店で軽く食べ、薬を服用し、ついでにコーヒー片手にボチボチと原稿やブログを綴る。

 理学療法士を目指したいという女性がいる。目指しているけど、彼女の中では不安があるようだ。いい仕事だと思うし、ぜひ、やるべきだと僕は彼女を後押しした。女性クライアントで、自分の進路を変更する時には、けっこうな率で看護師を目指すという例がある。これからは理学療法士なんかが増えるかもしれないな。
 それで、今日、リハビリで僕を担当してくれている理学療法士の先生に会うから、彼女のためにいろいろ話を聞いてみようかなと思った。
 ああ、でも、やめておこう。それは彼女が取り組むことだ、僕が肩代わりしてはいけない。余計なおせっかいだ。どこかで、「理学療法士の先生から話を聞いてきたよ」などと彼女に話して、そうすることで彼女の信頼を僕は得ようとしているのだ。彼女のためというよりも自分のためにそれをしているような気がしてきたのだ。
 おそらく、この先生も理学療法士になるまでにいくつもの困難を経験したと思う。でも、それはこの先生の困難であって、彼女がこれから遭遇するであろう困難とは全く異なるかもしれない。
 彼女は彼女のハードルを越えるべきで、僕が余計なお膳立てなどしない方が彼女のためだ。

 理学療法士がいい仕事だと思うのは、患者の回復と同行できるからだ。患者さんと長い付き合いをするのは理学療法士ではないだろうか、そう思う。
 看護師さんは、言ってしまえば、その場限りの付き合いなのだ。入院中は僕を担当した看護師さんたちがいた。でも、退院してしまうと、もはや接点はなくなる。その後、僕がどうなったかはあの看護師さんたちは見ることがないのだ。
 医師は患部の経過だけを見ることになる。回復していく姿を見ることはないのだ。前回よりも患部が良くなっているという、そこだけしか見ることがないのだ。
 技師関係は、もしかしたら、看護師や理学療法士よりも給料はいいかもしれない。でも、彼らこそ患者とはその場限りの接触しかしないのだ。
 レントゲン技師を例にしよう。この患者のこの部位をこの角度から撮影してほしいと医師から依頼を受けるのだ。その依頼通りのことをこなすだけなのだ。依頼される仕事を右から左へこなしていくだけという感じが僕にはするのだ。
 もちろん、技師は必要な仕事をしているのだ。ただし、患者とは一回限りの接点しかないことも多いだろう。入院した日に、僕はレントゲン撮影を受けた。エコーなんかも受けた。あの技師たちは、その後、僕がどうなったかということに関与しない。ただ、依頼された検査をこなしただけなのだ。
 上記の人たちと比べて、理学療法士さんは、患者さんの回復を目の当たりに見ることができる。前回は動かせなかった部分が、今回は動くようになったという患者さんを見るのは、本当にやりがいが持てるだろう。

 僕がカウンセリングをやっていて、醍醐味を覚えるのはそこなんだ。クライアントが良くなっていくのを見ることができ、それに同行できるという点なんだ。どこか僕の感覚が彼女にも転移したかもしれない。上に述べたようなことを、僕は彼女にも伝えてみた。彼女はすごくよくわかると納得してくれた。
 彼女にはこれからも頑張ってほしいと願う。どうも周囲の人たちは彼女が理学療法士を目指すことをあまり快く思っていないようだ。でも、彼女が自分で選んだことだから、きっと間違いはないと僕は思う。
 いつか、僕が再びドジをやって、大けがした時、彼女のリハビリを受けるようになるかもしれない。怪我は嫌だけど、そんな日が来るのもいいかもしれない。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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