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2016年7月13日 水曜日

7月13日:心霊ビジネス?

7月13日(水):心霊ビジネス?

 昨日の夜のことを書いて残しておこう。
 昨夜はくつろいで過ごすことに決めた。患部を冷やし、リハビリ運動をしながらテレビを観る。
 見たい番組があるのだけど、それまでの時間、いくつか番組を見る。
 所さんの番組。コンビニグルメの特集だった。外国人が選ぶのだけど、セブンイレブン提供なのでセブンの商品ばかりだった。それは仕方がないとしても、いささかオーバーという気がした。美味しいのは美味しいけど、ああいうリアクションになるなんて、外国にはよっぽど美味しい商品がないのだろう。
 しかし、ああいう特集をやると、またセブンの売り上げがぐーんと伸びるんだろうな。テレビで紹介されたらみんなそれを求めるようになる。外部志向的な人間ばかりだからそうなるだろう。
 その後、さんまさんの番組を見た。相変わらず、騒々しいだけでつまらない。
 それから、マツコさんの番組を観ようと思っていた。見たい番組というのはこれだった。本命がこの番組だったのに、不覚にもすぐに寝てしまった。結局、最初のところだけを見ただけだった。
 マツコさんのその番組だけど、心霊ビジネスのことをやっていた。それで見ようと思ったのだ。心霊の動画なんかが売れていて、その値段がナンボかとか紹介するのだ。売れるとなれば、それを作る人たちが現れるのは当然だ。そして心霊動画を作るとしても、売れるためにはかなり大げさな演出をしなければならなくなるだろう。大げさな演出とは、つまり、心霊をいかに恐ろしく撮るかということである。
 昔から心霊写真なんかの特番はあった。その心霊の姿が時代とともに恐ろしい形相になってきているように思う。心霊とか幽霊というのは死者である。それがねつ造されたものであれ、心霊は死者である。その心霊を恐ろしく、ショッキングに描かなければならないというのは、そうしなければ売れないという事情があるとしても、死や死者に対する一般の人たちの恐れが今まで以上に大きくなっているのではないかとさえ思う。
 フィクションと銘打っていればまだ許せる。映画の中の幽霊が恐ろしく描かれていても、それは許せる。心霊動画もフィクションだと僕は信じきっているのだけど、フィクションだと銘打っていないのが問題だ。心霊や幽霊、つまり死者はこんなに恐ろしい姿で現れるというように描くことは、死者に対する冒涜であるように僕は思う。

 ちなみに、僕は心霊写真すら信じていない。不自然すぎるからだ。
 幽霊というのは死んだ人の魂であるそうだ。人間には霊魂がある、これは信じることができる。成仏できない霊魂は地上を彷徨うと言われても、そういうものだと信じることができる。しかし、それが写真や動画に映るというのが信用できないのだ。それもいいタイミングで、いいアングルで映るなんて、信じられない。
 人間には霊魂がある。しかし、我々が着ている衣服はモノであり、魂のないものだ。人によれば衣服にも魂はあると言うかもしれないけど、生物と無生物の魂が同じものであるかどうかは不明である。
 人間には魂があり、衣服には魂がない。この前提に立てば、幽霊が服を着ているということがとても不自然に見える。僕の考えでは、幽霊や心霊はハダカでなければならないのだ。それをテレビで放映されても大丈夫なように、きちんと服を着ている幽霊なんて、あまりにも現世のルールや常識に囚われ過ぎていないかね。
 僕が死んだら、生前はろくなことをしていないから、きっと僕の魂はその辺を彷徨うだろう。積極的に人の集まる場所に飛び込んで、写真や動画に映りこみに行こうと思う。当然、スッポンポンでだ。
 僕の死後の夢は、女子会の記念撮影にハダカで映りこむことである。幽霊本来の姿で写真に写ることである。
 その時代の心霊番組で、僕の心霊はモザイクを施されて紹介されるだろうか。そうし、心霊専門家なんかに、「この霊は生前は露出狂で、性犯罪者だっただろう」などと適当な評価をされてみたいものだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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