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2016年6月26日 日曜日

12年目コラム(44)Op.5「完璧すぎる母親の事例」

12年目コラム(44):OP5「完璧すぎる母親の事例」

 親子関係というものは一律ではなく、人それぞれの体験があると思います。厳しい父親に育てられたと言っても、その父親をどのように体験したかという、体験の様式は人によって異なってくることでしょう。
 本項では親子関係について考察する予定ですが、一組の母子に焦点を当ててみていくことにします。
 ここでは、ある母親のケースを取り上げて、彼女が自分の子供に対してどういうことをしているかという点を考察していこうと思います。
 この母親のことをBさんと呼ぶことにしましょう。予め申し上げておきますが、このBさんは実在する4人の母親から成り立っています。つまり、実在の人に基づいているのではありますが、Bさんという個人は実在しているわけではないということであります。これはクライアント個人が特定されないための便宜であります。

 Bさんの家族は、夫と小学校入学前の子供との三人家族でした。夫は会社員で、Bさんは専業主婦でした。
 家庭はそれほど裕福というわけでもありませんでしたが、夫の収入で親子三人が生活するだけのものは足りていました。
 Bさんがカウンセリングを受けに来たのは、彼女自身が長年抱えてきた彼女の性格上のある問題のためでした。
 カウンセリングの主訴となったこの問題に関しては詳細を述べることは控えますが、この問題は彼女に常に不安と動揺をもたらしてきたのでした。彼女の抱えてきた問題が彼女にもたらしている不安や動揺が子供にどのように影響しているかということが本項の主題であります。

 Bさんの訴えには子供のことが深く関与していました。彼女は子供を一流の進学校に入学させたいと望んでいました。
 その望みはいいとしても、進学校に子供を入学させるためにはそれなりのお金をかけなくてはならないのだと、彼女は話します。
 私はその辺りの事情に疎いのですが、彼女の話では、進学校に子供をやるためには、何でも幼稚園の段階で塾通いを子供にさせなければならず、入学前から進学校のイベント事には参加しなければならず、コネを作るための交際もしなければならないということです。
 また、本番の入試までにいくつもの予備試験を受けなければならず、そのための受験料もバカにならないということです。
 そこまでして合格して、進学校に晴れて入学したとしても、授業料など、学校生活に必要なお金も公立の小学校とは比べものにならないのだそうです。
 もし、公立の小学校で満足できるのであれば、Bさんの家庭は夫の収入でやっていけるのでしたが、彼女の望みを叶えようとすれば、お金がまるで足りないということになってしまうのでした。
 そうなるとBさんは自分も仕事をして、稼がなければならなくなったのです。
 ちなみに、お金の問題はBさんの「問題」と深く関わるものです。実際、Bさんとのカウンセリングでお金のことが話題に上がらなかった回はなかったのです。このお金の意味合いについては後に述べることになるでしょう。
 さて、Bさんの仕事ですが、当然、スーパーのレジ打ちのようなアルバイトではまったく足りないのです。彼女自身そのことが分かっていました。
 子供のことでも、例えば子供の塾の送り迎えなどで時間を取られてしまうので、彼女にとって、それは短時間で多くを稼げるという仕事でなければならないのでした。
 それで、彼女は風俗で働き始めたのです。子供のために、彼女は体を売ることにしたのです。もちろん、この仕事のことは夫には内緒にされていました。
 彼女の話では、カウンセリングで幾分気持ちに余裕が出てきて、仕事をする気になれたということなのですが、私にはあまり喜べない出来事でした。
彼女の風俗勤めは一つの行動化として理解する必要があります。彼女は夫の収入では足りない、つまり、満足できないのです。現実にそういう不平を面接の場で述べていました。稼ぎの少ない夫に対しての当てつけのようなニュアンスがそこには感じられるのです。なぜ、そう感じられるのかと言いますと、それは彼女の中にある憎悪のためであります。この憎悪については後に述べることにします。
 さて、お金を稼ぐために彼女は風俗で働き始めました。私は「そこまでしなければならないことでしょうか」と、少し疑問を投げかけました。それに対して、彼女は「いつかあの子は私に感謝します」と答えたのみでした。そこには後ろめたさや罪悪感のような感情が微塵も見られないのでした。

 しかし、なぜ小学校から進学校でなければならないのでしょうか。私はそれを尋ねてみます。
 彼女は「進学校でなければ、あの子はきちんと育たない」と答えます。
 なぜそう思うのかさらに私は尋ねます。
 Bさんの話では、それは彼女たちの「血統」にあるということでした。
 Bさんの家系、並びに夫の家系もそうなのですが、生活破綻者や精神病質者を大勢排出した家系なのだそうです。Bさん自身もその「血統」を受け継いでおり、夫もそうなのだと彼女は語ります。そして、その両方の家系の悪い部分をこの子供が一身に受け継いでいると彼女は信じているのでした。
 従って、この「悪い血統」が顕在化しないためには、子供は幼いころからきちんとした環境で育ててもらわなければならないと、彼女はそう考えていたのでした。
 そういう背景があって、子供は絶対に進学校でなければならないということになっていたのでした。普通の公立の小学校なんかに入ると、あの子は必ず堕落して、悪の道に進むようになると、彼女は真剣に考えていたのでした。
 ここで正直に申し上げなければなりませんが、私にはBさんの計画は明らかに無理だろうと感じていました。子供は小学校入学直前の年齢でしたが、話を伺う限り、この子はあまりにも多くの物を背負わされ過ぎていて、受験をこなせるほど安定していないように思われたのです。
 私は、小学校や中学校は公立で、高校辺りから進学校を目指してもいいのではないかと提案してみたことがあります。Bさんはカッとなって、「何てことを言うのですか。今の子供に自分の将来が選べますか」と噛みついてくる始末でした。そして、「子供にとって、これが一番幸せなことなのです」とまで豪語するのでした。
 それで、子供の「お受験」なのですが、彼女の子供にそれができるのだろうか、私は不安を覚えました、
 模擬試験の成績はあまり芳しくないようです。子供の成績が思わしくないと、彼女は子供を激しく叱責するのです。そして、どうして実力を出せないのかと、恐らくたいへんな剣幕で、子供に詰め寄るのでした。
 子供は「次こそ頑張るから」と健気にも約束します。Bさんは子供のその言葉を信じるのですが、結果的にいつもそれは裏切られるのでした。
 子供の成績が彼女の思うように伸びないということは、彼女に尋常ではない不安を喚起します。それはつまり、両家の悪い「血統」が顕在化したのではないかという恐怖感をもたらすのでした。
 この恐怖感に対して、彼女は次のような合理化をして対処しているのです。つまり、子供が失敗する原因は、子供が試験会場であまりにも緊張してしまって、それで実力が完全に出し切れないからだということなのです。そして、場数を踏ませれば、試験の場に慣れさせれば、きっと子供はうまくやってくれると彼女は信じていたのです。
 こうして模試の回数が増えていくわけですが、結果はいつも芳しくなく、彼女はよけいに不安に駆られることになるのでした。
 ここで一つ注目しておきたいのは、彼女は子供が緊張するから失敗するのだという見解を取っているのですが、何が子供に緊張を強いているのかということは考慮されていないという点です。この「子供の無視」はBさんの母子関係で特徴的な様式であります。
 さて、本番の入試が日に日に近づいてくるにつれて、Bさんと子供との関係はさらに悲劇的な様相を呈してきます。模擬試験の成績はBさんをしてさらに落ち着けなくさせ、一つでも解けない問題が子供に見られると、Bさんは感情的に掻き乱されて、今まで以上に激しく子供を叱責してしまうのでした。
 また、この時期、Bさんは進学校の先生と親しくなって、先生にお金を渡したりしています。つまり裏口入学を狙うわけであります。
 このお金の出所ですが、Bさんは貯金を解約したり、なけなしのお金を注ぎ込んだりしていました。
 自分たちの貯蓄でそれをする分にはまだしも、そのうちお金が足りなくなり、やがてお金を次から次に借りるようになっていきました。時には親戚をなかば脅すようにしてお金を出させたりもしました。風俗の仕事も日数を増やすようになっていきました。
 さすがに目に余るものがあり、私も落ち着いてよく考えてみましょうと再三彼女にもちかけるのですが、不安に耐えられない彼女は周囲を無視して暴走していくのでした。
 成績が伸びない子供に対しては、「本当にダメな子だ」と言うようになっていました。でも、本当にダメになっていっているのはBさんの方なのです。これは最初からそうだったのですが、Bさんはそこには決して目を向けようとしないのです。

「次こそはちゃんとできるからと、子供は行っています。子供に賭けたいんです」と、Bさんは切実に訴えます。
 それを聞きながら、私は「恐らく子供は失敗するだろう」と予測していました。そんなことを言おうものなら、Bさんの逆鱗に触れること間違いなしで、激しく噛みついてきたことでしょう。私はそういう予測をしていたものの、口には出さないでいました。そして、結果は私の予測通りだったのです。
 なぜ、そのような予測がついたのかと言いますと、Bさん親子の関係が見えてきていたからです。母親がダメになる代わりに子供がダメになっていくという構図がここにはあるのです。
 カウンセリングを受けに来た時、Bさんはすでにひどい状態でした。長年抱えてきた「症状」に振り回され、もはや精神的にバランスを保つことができないような状態でした。
 私は滅多にこういうことを言わないのですが、Bさんに精神科を受診してもらうこと、薬を処方してもらって、できればしばらく入院することを勧めたのです。カウンセリングの比較的初期の段階で私はそういう勧告をしていました。
 入院を勧告したのは、Bさんにはこの環境からしばらく離れることが必要だと私は考えていたからです。Bさんの置かれている環境が、Bさんの「症状」を増幅させてきたという背景が感じられ、一時的にでも保護してもらう必要を私は感じていたのでした。
 入院を勧める私に対して、彼女は「医者では私を治せない」とか、「この時期に入院なんてしたら、誰が子供の面倒を見るのですか」などと反論して、私の提案や勧告は一切受け付けないのでした。
 この「治療」への抵抗、拒絶が、Bさんを子供に没頭させてしまっているのは明らかでした。
 Bさんは自分の家系に「悪い血統」があると信じていました。そして、自分の「症状」とこの「血統」とは深く関連していると解釈していました。
 確かに、Bさんの生い立ちを聴いていると、それはひどいものであり、痛々しい子供時代を送ってきたのでした。
「治療」は彼女が自分の痛みに向き合わされてしまうという体験として映るのでしょう。
 でも、Bさんの経験してきたことを聴くと、問題を「血統」のせいにしたいと願う気持ちも分からないことではありません。「血統」のために、親がそういうことを自分に対してしたのだという理解を維持しないと、彼女は混乱してしまうのでしょう。

 しかしながら、今、子供がその「悪い血統」をすべて受け継いでいるということに、Bさんの中ではなっているのです。
「子供が悪いものを受け継いでいる」ということで、Bさん自身には目を向けることがなくなっているのです。
 このことを単純化して述べると、「子供の方に悪い血統があって、私の方にはない」という構図が出来上がっているということなのです。
 Bさん親子がこの構図の中に生きている限り、子供は「悪」でなければならなくなるのです。
 そして、この「悪」を担っている子供を「善」へと導くBさん自身の行為は、それが虐待であれ何であれ、すべて許され、美化されていくのです。
 子供は入試を目前に控えて、もはやぎりぎりの所に立たされています。この淵において、子供は今にも壊れそうになっているのです。そして、この子供の姿は、そのままBさんの姿でもあるのです。
 あまりに融合化した親子関係では、母親の状態を子供が、あたかも鏡に映すかのように、忠実に具現化することがあるのです。(中絶)

(解説)
 この事例は、この後、悲劇的な結末を迎えることになるのですが、中絶した理由は、私がその結末を見たくないという気持ちに強く襲われたからでしょう。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
 



投稿者 高槻カウンセリングセンター

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