<Q030>プレイルーム知りませんか

<Q030>「プレイルームのあるところを知りませんか」

<状況と背景>
 プレイルームというのは、子供のプレイセラピーのための部屋ということであります。問い合わせをしてきたのは、母親でしょうか。最初に「そちらはプレイルームはありますか」と尋ねてきました。私のところにはそのような設備はないので、その旨をお伝えすると、プレイルームのあるところを知りませんかとさらに尋ねてこられたのでした。
 これにはもう少し続きがありまして、私は知らないと答えたのでした。その上で大学なんかにはあるかもしれないと答えました。すると、質問者は「どこの大学ですか」というように、さらに質問をしてこられたのでした。

<A>
 これも<Q029>と同様、私は他所のことは一切関知していないので、答えようがありません。質問者も知らずに質問されたのですが、質問する相手が間違っているのです。
 私に尋ねるよりも、そういう設備が整っているようなところを探されるのがいいでしょう。大学なんかのカウンセリングルームなんかにはあるかもしれませんし、児童相談所なんかに問い合わせる方がいいかもしれません。

<補足と説明>
 仮に、私がそういう情報を知っていたとしても、教えないでしょう。
 以前、ポータルサイトの運営会社が、クライアントと臨床家の橋渡しをしたいと言っていました。彼の話では、カウンセリングを探している人は多いのに、なかなかつながらない状況があるということでした。
 そういう橋渡しは、サイトの運営会社がする分には問題はないのですが、臨床家がそれをやることにはいささかの問題が発生すると私は考えています。
 ここには、クライアントと臨床家との間に、紹介した臨床家が介入しているという状況があるのです。
 あなたはこのようにお考えになるかもしれません。臨床家が他の臨床家を教えたとしても、最終的に決断するのはクライアント本人だから、構わないのではないかと。おそらくそれは正しいでしょう。そしてクライアントも最終的には自分が選択したと言うでしょう。
 しかし、私のクリニック時代の経験から学んだ限りでは、そういうことにクライアントは物凄く影響を受けるのです。私が質問者に「ここに行ったらいいですよ」と答えるとします。相手は「参考にします」と言うかもしれませんが、8割がた、そこで相手は方向付けられているのです。「最後は自分で選択しました」と相手が言ったとしても、その選択は残りの2割の部分でなされたものなのです。
 実際、何人かのクライアントで、私は逆のパターンを経験しています。とある精神科に通っている人たちでしたが、カウンセリングを受けたい、どこか知りませんかとお医者さんに尋ねると、私のところを教えてくれたと、彼らはそのように報告されるのです。本来なら、私はそのお医者さんに感謝しなければならないところなのですが(実際にはありがたいことだと思っています)、お医者さんからそうして教えてもらったら、その人たちはちゃんと私のところに来られているのです。
 当然、私はその精神科医さんとは面識もなければ、つながりもありません。でも、彼らからすると、お医者さんから教えてもらったということは、そのお医者さんの「お墨付き」があるという意味合いを持ってしまうのだと私は思います。
 そうすると、この人は、私のカウンセリングに通常以上のプレッシャーを覚えるのではないかと私は察します。なぜなら、彼の中では、私とのカウンセリングは、同時に彼とお医者さんとの関係の延長になるからです。私とのカウンセリング向こうには、常にそのお医者さんの存在があるということになるのです。
 この点で、臨床家が橋渡しをすることと、サイト会社が橋渡しをすることとの間で決定的な差異が生じるのです。インターネットで検索したというのと、専門家から教えてもらったというのとでは、クライアントにとっては、その意味も重みもまったく異なってしまうのです。

(付記)
 この質問者に関しても述べようと思います。
 私はこの人にある種の脅威を覚えてしまいました。これは質問者が悪いわけではなく、私がいろんなものを受け取ってしまったためであります。
 この人は、最初に「そちらはプレイルーム」はあるかと尋ねます。私のところにはないと答えます。そこで「子供がこういう状況になっていて、そちらでなんとか受け付けてくれないだろうか」と尋ねるのではなく、それなら他を知りませんかと尋ねてこられているのです。
 この人にはプレイセラピーしか選択できないということではないかと思います。ある種の硬直さを私は感じてしまうのです。そして、それは「問題があるのは子供であって、私ではありません」と頑なになられるタイプの母親であるかもしれないと、私にはそう思われてしまったのでした。
 この人がこの態度を頑なに維持されていけば、おそらく、プレイセラピーは上手く行かないでしょう。子供のプレイセラピーは、同時に母親の面接をも平行して組まれることが常だからです。この人は、場合によっては、子供にだけセラピーを受けさせ、自分もカウンセラーに会うということには頑なに反発されるかもしれません。
 まあ、それは私の勝手な憶測なので、ここまでにしておきましょう。それに、私はこの質問者をよく知らないので、知らない人のことを勝手に推測してあれこれと論じるのは控えようと思います。
 それで、他に知りませんかに対して、私は大学なんかを探してみるのも手だと伝えているわけですが、すると「どこの大学がありますか」とさらに質問してくるのです。この依存性が私には脅威に感じられたのでした。この人からすれば、私のところは条件から外れているのです。それでも利用だけはしようとされているように思われてくるのです。ある意味では搾取的なのです。もちろん、この質問者が現実にそういう人であるとは限らないことであり、私がこういう印象を受け取ってしまったということは強調しておきたいと思います。
 いずれにしても、子供にとっては災難かもしれません。子供は母親が信頼する人を信用するという傾向があります。だから、この質問者が信頼できるところでなければ、子供のセラピーも最初からつまずく可能性があるのです。従って、この母親(と仮定しているのですが)は、ここはよさそうだとか、信頼できそうだというところを根気よく探していかなければならないのです。私はそのように考えています。
 しかし、質問者は自分が信頼できそうなところを丹念に探していくという、その手間を省こうとしているのです。私から見ると、もっとも手間を省いてはいけない部分でそれをされているようなのです。そこで、もし、私がここにそういう設備がありますよと伝えたとすれば、先述したようにこうした言葉は大きな影響力を持つので、この人はそこに子供を連れて行くかもしれません。いや、確実に連れて行くでしょう。すでに手間を省いているからです。
 すでにこの人は、自分が信頼できるかどうかという基準でカウンセラーを選ぼうとしていないのです。プレイルームがあるかどうかという、その設備の基準で選ぼうとしているのです。なぜなら、私に対して、この人は「プレイルームはあるか?」と質問しているからです。「プレイセラピーをやってくれるか?」とは質問していないからであります。
 そして、この母親の「手間を省く」傾向は、子供をプレイセラピストに預けて、後はセラピスト任せにするという態度を築いてしまうかもしれないのです。あくまでもそういう可能性を発展させてしまうかもしれないという話に過ぎないのですが、それでも、私はそれに加担したいとは思いません。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)