<Q027>受けたけど何にもなりませんでした

<Q027>「一回受けたけど、何にもなりませんでした」

<状況と背景>
 初回面接時の感想でこのようにおっしゃられる方もおられます。また、2回目をキャンセルする際に、キャンセルの理由としてこれを挙げる人もおられます。

<A>
 本当はそれくらいでいいのです。一回のカウンセリングにおいて、本人にも気付くか気付かない程度の小さな動きが内面に生まれれば、それで十分だと私は考えています。この内面の動きを重ねていくことが大事であるからです。
 このサイトの第2章でこういうことを取り上げようと思うのですが、内面の変容と外面の変容とは釣り合わないものなのです。内面の動きが表面に現れるのはもっと後のことであり、外面の小さな変容はより大きな内的変容を要するのです。つまり、内面の動きが意識化されること、それが表面上の変化として現れるには、相当大きい内面の動きが要されるのです。それが自然なことだと私は考えています。
 今、ここではかなり極端な反対例を挙げて考えてみようと思います。つまり、一回のカウンセリングですべてが良くなったという人を想定してみましょう。一回で完全に良くなるということは、この人は一回で完全に悪くなる可能性を秘めているということでもあります。それがカウンセリングであろうと、占いとか他の何かであろうと、この人は一回の体験で完全に良くなるか完全に崩壊してしまうという素質を持っている人なのです。
 もう少し説明すると、このような人は一回の外的刺激に自我のすべてを明け渡してしまっているのです。新しい何かが入ってくると、それまでに在ったものすべてを失うのです。その一回の刺激のために、この人の自我は同一性を保てないでいるのです。
 確かにこれは極端な例であり、このような人は稀ではあります。しかし、自我が脆弱であったり弱ったりしているような人は、一回のカウンセリングで大きく影響されたり、揺さぶられたりすることもあるのです。そういう人たちにとっては、一回のカウンセリングが、良い意味であれ悪い意味であれ、後々まで痕跡を残し続けるのです。
 従って、一回のカウンセリングでどうこうなるということの方が危険であるように私には思われるのです。安全にやっていこうとすれば、一回で大きな動きをもたらさない方がいいということなのです。「一回受けたけど、何もならなかった」というような人は、それが自然なことであること、何もならないくらいでむしろ幸運なことだったと言えるわけなのです。

<説明と補足>
 「お試し」が無意味であるということの説明もここに求められるのです。一回受けたとしても、私のカウンセリングでは小さな動きが生じることを目指すので、それはすぐに以前の動きに戻ってしまうものです。

 また、小さな動きさえ容認しない例もあります。例えば「音読クライアント」などがそうなのですが、この人たちは心が動かないようにしてしまうのです。だから、この人たちは積み重なっていくものがないので、いつまでも同じ状態に留まらざるを得なくなると私は考えています。

 私はできるだけ安全にカウンセリングをやっていきたいと望んでいます。それでも、一回のカウンセリングで大きく影響されてしまうクライアントや、揺さぶられてしまう人もあるのです。こちらが注意していても、やはり人によってはそういうことが生じてしまうのも避けられないことではないかと思うようになっています。
 でも、影響されたり動揺してしまったりしても、その人たちに救いがないというわけではありません。最初のうちはそれでしんどい思いをしてしまうのですが、やがて安定してくるのです。どうしてそう言えるのかと言いますと、それが心の働きであるからです。心はできるだけ安定しようとするからです。そして、それを目指すカウンセリングを、動揺を鎮めていくようなカウンセリングをまずは試みるからであります。
 このような人たちは、おそらく、この過程を繰り返すことになるかもしれません。繰り返し、動揺と安定を経験してしまうかもしれません。しかし、現実には動揺―支持―安定を繰り返しているのであって、その反復において、支持が内面化されるのです。
 従って、動揺したままカウンセリングから去っていくというのは、いい選択ではないのです。この人はいかなる支持を経験することなく、揺さぶられたまま放置されることになるからであります。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)