<Q026>分かっているけど、できない

<Q026>「分かっているけど、できない」

<状況と背景>
 カウンセリング継続中のクライアントから聞く言葉です。クライアントは、自分自身や抱えている問題、並びに問題になる状況などに関して理解を深めていきます。そうして理解が深まっているのだけど、現実に問題となる状況に遭遇すると上手くできないと嘆くわけであります。

<A>
 これは後の<Q027>「一回受けたけど、何もならない」とセットで読まれることを希望します。
 <Q027>が人間にとって自然なことであるのと同様、これもまた人間の自然な過程の一部なのです。本当は自然なこと、当たり前のことが生じているのだけど、クライアントはそれを「良くない」こととして体験しているようであります。「良くない」という認識は、その人の性格傾向や「抵抗」と関係している可能性があるのですが、それは後で取り上げましょう。
 思考や認識も個人の内面で生起する事柄です。これらが生起してから、表面に現れるまでには常に時間差があるものです。
 あることが「分かったら出来るようになる」というのは事実なのですが、「できるようになる」のはもっと後の段階のことだと私は考えています。そこに至るまでに、「分かっていても、なかなか上手くいかない」という段階を経るものであります。何事においてもそうではないかと私は思います。
 その理解が自分にしっかり根付く(内面化される)までは、なかなかその通りには行かないものなのです。
 しかし、私たちは経験的にそれ以外の場面も知っています。一度聴いて、理解して、即座にそれを実行に移すことができるという場面です。確かに、それが私たちにとって容易なことであれば、すぐに実行に移せるでしょう。理解したことをそのまま現実化できるでしょう。ところが、それが困難であればあるほど、手に負えないものであればあるほど、即座には実行できないものになるでしょう。
 別にこのことは難しいことでも何でもありません。おそらく、そんなの当たり前じゃないかと思われた方もいらっしゃるだろうと思います。もし、あなたの中で「分かっているけどできない」という何かがあるとすれば、それはあなたにとって難しい何かであったり、手に負えないと思う何かと関係していたりするのだと思います。そういうことに対しては「分かっているのに、なかなかそれができない」という在り方の方が当たり前のことなのだと私は考えています。

<補足と説明>
 何かの技能を修得する場合でもそうだと思います。また、言葉とか外国語を習得するというような場合でもそうではないでしょうか。頭ではこうすればいいということが分かっています。あるいは、こう言えばいいということが分かっています。でも、それが現実の場面でできるようになるまでには、その理解を繰り返し深め、時には繰り返し練習していく必要があるのです。そうして、徐々に「分かっていることができるようになっていく」ものではないでしょうか。
 あることが理解できて、その瞬間にそれが現実世界で実行できるようになると考えるのは、極めて魔術的な思考だと私は考えています。それは子供の思考形式なのです。内面における理解と、外側の表出とは時間的に一致しないものなのです。
 何事においても、理解できたとしても、すぐには実行できるものではありません。理解しても出来ない時期があり、やがて、何回かに一回は出来るというような段階を経て、徐々にできる回数が増えていくものだと思います。一足飛びにできるようになるというのは、万能感に囚われすぎているようにも私には思われるのです。
 従って、「分かっているのに、できない、それが許せない」といった感情は、自己愛的であると私は思うわけです。この時、その人は自分の自然の在り方と限界を認めようとはしていないのではないかと私は察しています。そのため、本当は、できるようになる過程、「成功」の過程を踏み出しているのに、この人たちはそれを「失敗」と経験してしまうようです。
 また、時間的にズレがあるというだけではなく、量的にも一致しないものなのです。「あれだけやったのに、この程度しか出来ないのか」と嘆く人もありますが、必ずしも「やった量」と現実に「できる量」とは一致することなんてないのです。

 しかし、次の点は考慮しなければならないところです。「頭では分かっているのに、それができない」と言う時、他に「できなく」させている要因の有無であります。専門的には、これは「抵抗」と呼ばれるものです。
 現実には、繰り返し理解を深めると同時に、そこに働いている「抵抗」の解消も目指さなければならないのであります。本当は「抵抗」が先に解消される必要があるのですが、クライアントはしばしば逆の手順を踏もうとしてしまうのです。私もクライアントに従うので、その手順に従うことになるのですが、後になってこの「抵抗感」が意識されるようになるのです。意識されるようになってから、その解消が目指されるのです。
 例えば、親に対して自分の思っていることが言えるようになるということを目指している人がいるとしましょう。この人は、なぜ親に向かって思うことが言えないのかについての洞察を深めています。どこかで親を恐れ、自分を閉ざしてしまう傾向にも気付いています。そして、それは子供時代に形成されたもので、今現在においてそれを継続していることの不自然さをも理解しています。
 しかし、現実に親の前に立つと思うことが言えないのです。それによって親との関係が変わってしまうのではないか、思うことが言えるようになってしまったら、これまで言えなかった過去は何だったのか、そんな観念が渦巻いてしまうのです。これらが「抵抗」として働いてしまうということであります。
 成功しようとして努力しているけれど、同時に成功してしまうことを恐れているということもあるのです。私たちはそうした矛盾、もしくは二律背反を内に秘めているものなのです。一方の努力が増すほど、他方の「抵抗」も強くなるのです。だから、この「抵抗」も緩和されていく必要があるということであります。
 しばしば、この「抵抗」のために、うまくいったことに「罪悪感」を覚えてしまうということも生じます。だからそれ(うまくいったこと)は良くないことのように体験されてしまうのだと思います。先に「抵抗」の解消が目指される方が望ましいと言うのは、そのためであります。「成功」が「成功」として体験されないからであります。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)