<Q024>治りますか

<Q024>「治りますか?」

<状況と背景>
 問い合わせの段階でこの質問をされるのです。カウンセリングが継続中のクライアントからこの質問が発せられる場合と、クライアントになる以前の人から発せられる場合とでは、同じ質問であっても、その意味するところが異なってきます。ここでは、後者の人、クライアントになる以前の人から質問された場合を想定しています。
 つまり、私が電話をとると、いきなり「そちらでカウンセリングを受けると、私は治りますか?」ということを相手から問われるわけです。この問いに答えようと思います。

<A>
 この問いに対する私の答えは、正直に言えば、「あなたは治らない」ということです。しかし、いきなりこれだけを言っても何一つとして事態が前に進むわけでもないので、もう少し、説明しましょう。
 まず、この問いなのでが、もともとこれは答えられない類の問いなのです。それには以下の3つの理由があるのです。
 一つは、この人のことを私が何も知らないということです。
 二つ目は、治るか治らないかは、その人の将来に関することであります。従って、まったく面識もない人に対して、その人に関する何の情報もないという状況で、いきなりその人の将来の予言を私は要求されているわけです。
 三つ目は、この人の「治る」というのが何を指しているのかが不明であるということです。「治る」には実にさまざまな意味合いがあります。人によってそれの意味するところも異なるでしょう。ある人は「治る」を「症状の消失」という意味で使うかもしれませんし、別の人にとっては「以前の状態に戻ること」を意味しているかもしれません。「別人になること」を意味している場合もあれば、「楽園で生きること」を意味している場合もあるでしょう。現実的な意味合いから、非現実的な意味合いまで、すべて「治る」という言葉は表し得るものと私は思います。

<補足と説明>
 よく「うつ病は治る」とか「精神病は治らない」とか言われることがあります。専門家でさえそんなことを言うようでは困ったものだと私は考えています。
 確かに、世の中には「不治の病」というものもあります。それを否定するつもりは私にはありません。
 しかし、「治る病気」と「治らない病気」があるという区別よりも、「治る人」と「治らない人」がいるという区別の方がより正確な表現であるように私は思います。
 本当に良くなっていく人、治っていく人は、まず、「治りますか」などとは問わないし、そういう保証を求めないのです。「治りますか」と問い続ける人、「治らない、治らない」と嘆き続ける人は、いつまでも「治らない」のです。これは確信を持って言えるのです。
 まず、ここでは仮に、便宜上、「健康」と「病気」という二分法を採択します。これは客観的な「健康」「病気」という意味ではなく、主観的に体験されている地位、自分の位置するポジションのような意味で用います。外的にはその人に「病気」があるとしても、その人の立ち位置が「健康」であるということも起こります。
 人はこの両者を行き来するものです。私の書いている文章でも、一つ一つを分類すれば、私は「健康」のポジションに立って書いている文章もあれば、「病気」の立場から書いている箇所もあるでしょう。
 この分類に従えば、「治りますか」は常に「病気」のポジションから発せられる言葉なのです。その人は自分を「病気」の領域に置いているのです。「治りますか」と問い続けることは、「病気」のポジションに留まり続けることを意味しているわけです。
 なぜ「治りますか」と問う人は「治らない」のかがこれで説明できると思います。「治りますか」は「治らない」の観点から発せられているからであります。「病気」のポジションから常に発せられる問いであるからです。
言い換えれば、その問いを発する人は、「治らない」ということの方を信じているのです。そして、その信じている方を実現させてしまっているのです。

<付記>
 しかし、「治りますか」と質問して、「治ります」と答えたとしたら、この人たちはどうするのでしょうか。「治ると保証したから受けよう」ということになるのでしょうか。そうだとすれば、それは単なる責任回避をこの人たちがしているということになるのかもしれません。「治ると言ったのに治らなかった」と、やがては憤慨するようになるかもしれません。本当の問題はそんなところにあるのではないのに。
 しばしばこういう考え方の人に出会います。「この病から解放されれば、充実した人生が送れるのに」という考えを所有している方々です。ここには「病からの解放」が先にあって、その後に「生の充実」がもたらされるという順序が見られるのです。彼らはそのように信じておられるのです。苦しい経験を有している場合、その人はどうしてもそう考えてしまうのかもしれません。
 しかし、私の実感ではこれは正反対なのです。「生の充実」がもたらされるほど、その人は「病から解放」されていくのです。もしくは、両者は同時進行していくのです。
 目指されなければいけないのは、その人が「治る」か「治らない」かではなく、治ろうと治るまいと、その人の生を今よりも充実したものにしていくことだと私は考えています。
「病から解放されました。でも、どう生きたらいいかわかりません」という状態では、その人は再び「病」に戻るでしょう。「病」を抱えるということも一つの生き方であるからです。そこには一つの生があるのです。次の段階に移行しても、そこに何もなければ、人は以前の段階に戻り、留まり続けることになると思います。移行する前に次の段階のものが形成されていなければならないのです。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)