<Q021>どんなプログラムですか

<Q021>「どんなプログラムですか?」

<状況と背景>
 この問いは正確に記述すると、「そちらのカウンセリングはどういうプログラムを組んで行っているのですか?」ということであります。
 この質問は、質問者の抱いているイメージについて考えることが可能なので、また、こうしたQ&Aの類がいかに意味がないかを例示することが可能なので、取り上げました。

<A>
 まず、「プログラムとは何ぞや?」という疑問が私の中に浮かんできます。質問者の言葉によると、カウンセリングには何か特定の決まりきった手順があるかのような言い方をされているように伺われるのです。
 詳しいことは説明の部分に譲るとして、ここでは私の考えを述べることにします。
 私は特定のプログラムに従ってカウンセリングを進めるということはしていません。でも、どのクライアントに対しても、ある程度の方向性や計画は立てることにしています。この方向性や計画は、一人一人のクライアントによって異なるものであります。
 例えば、感情を表現しない人に対しては感情表現を促進していくという方向で考え、感情を抑制する必要があるような人に対しては、感情表現を控える方向で進めていくでしょう。内面にまったく触れない人に対しては、内面を見ていくという方向で行くでしょうし、内面にかかりっきりというような人に対しては目を外に向けていくという方向で考えるでしょう。
 できるだけクライアントに合わせて計画や方向を定めていきたいと考えています。
 カウンセリングに限らず、その他の領域に属することでも同様で、一人一人に合わせた計画を実施していくのが常ではないかと思うのです。
 もし、私の特定のプログラムにどのクライアントにも適合してもらうようであるなら、それは本末転倒な話なのです。
 しかし、なぜ、彼(を含めて一部の人たち)は、特定のプログラムがあるということを前提にしているのでしょう。以下において、まずはその点から考察していきましょう。

<補足と説明>
 ある手順を設定して、つまりプログラムやカリキュラムを組んで、それを相手に施すという方法は、私にはとても権威主義的なやり方であるように思われるのです。
 一方、そういうものをまったく設定せずに、完全に相手の自由にさせるというのは、私にはとても放任主義的なやり方であるように思われるのです。
 権威主義的すぎても、放任主義的すぎても、どちらも良くないことだと私は考えています。大抵の臨床家は両者を上手く折衷しているものだと私は思います。

 このように考えると、質問者が私に対して「どんなプログラムでやるのか」と質問してくるということは、この人は私のことをかなり権威主義的な人間であると見做している可能性があるように思われるのです。
 もし、そうだと仮定すれば、肝心な点は、私が権威主義的であるかどうかということよりも、この人がカウンセラーを権威として見ているという可能性の方にあるのです。その可能性が重要になってくるわけであります。
 確かに、この人が私に何らかの「権威」を感じ取っているとしても、それはその人の自由であります。そこが問題になるのではないのです。そこで、もう一度彼の質問に戻りましょう。
 彼は「何らかのプログラムがあるのか?」と質問しているのではありませんでした。「どんなプログラムなのか?」と訊いているのです。そこに、彼の問題の一端が表れているように思うのですが、彼の中ではすでに「プログラム」が存在しており、最初に「権威」ありきなのです。「権威」が存在しているかどうかを問うているのではなく、すでに存在している「権威」がどんなものであるかを彼は問うているわけであります。
 次に考えなければならないことは、この「権威」に対してこの人がどういう態度を示しているかということなのです。
 この人の中ではすでに「権威」が存在しているのです。そして、この人は、それがどのような「権威」であるかを事前に知ろうとしています。私にはそのように思われるのです。この仮説に基づけば、この人は「権威」を過度に恐れている可能性があるということになるのではないでしょうか。恐れているが故に、それを事前に知らなければ動き出すこともできないのかもしれない、というように思われてくるのです。
 もし、彼が私にある種の「権威」を見て取り、それを過度に恐れているとすれば、彼は私の「プログラム」に対して、とことん反発するか、とことん従順になるか、どちらかの傾向を発展させるでしょう。それは結局、彼が彼自身になることを妨げることでしかないのです。つまり、彼は彼自身の主体性で動いていくのではなく、「プログラム」(権威)によって受動的に自分を決定していくことになっているからなのです。
 従って、私の見解では、この人をして「プログラム」を気にさせているものが解消されなければならないということになるのです。本当は、これが私の<回答>なのです。私がどんなプログラムを「組んでいるか」ではなく、私がどんなプログラムを組んでいるのかを「気にしている」という部分にこの人の抱えている問題が潜んでいるように思われ、その気掛かりが解消されなければならないということなのです。
 結局、この人は来られなかったのですが、彼がカウンセリングを受けるとすれば、明確に「プログラム化」されたところを選ぶだろうと私は思います。いずれにしてもそこに「権威」をこの人が見てしまうのであれば、その「権威」がはっきりしない所よりも、それがはっきりしている所の方が、彼としては対処しやすいと感じられるだろうと思うからです。そして、彼は、それに過剰適応するか、反発するか、従順の後で反発するか、いずれかをやってしまう公算が大きいことでしょう。もし、彼が私のクライアントになった場合、そのいずれも、私の方向や計画の中には入らないだろうと思います。

 もちろん、今述べたことはすべて私の仮説に基づいていることであって、現実の質問者の抱えているものとは異なっているかもしれません。私はここでは「プログラム」を一つの権威と仮定したのですが、どういう種類の権威を想定するかで仮説も異なってくるものと思います。例えば「プログラム」を「保護」的な意味合いの権威と仮定することもできると思います。そうすると後に続く仮説も幾分変更されなければならないかもしれません。
 しかし、いずれにしても、質問者はここで何らかの準備をしようとしているという点では変わりはないと私は考えています。質問者は事前にそれを知ろうと試みているという点では同じであり、そこにその人の抱えている何かが関係していると仮定してみることはできるように思います。

(追記)
 ここで、こうしたQ&Aの類がいかに無益であるかということを示しておこうと思います。Q&Aに限らず、雑誌や新聞なんかの人生相談や悩み相談の類もまったく無益なのです。私も日々、いろんな人から質問を投げかけられます。それに答えたとしても、それはお互いに何ももたらさない経験となるだけなのです。
 上述したことは、彼は彼の中にある「権威者」を私に投影している可能性があるということでした。彼の中には「権威」の存在がすでにあるわけです。私に問い合わせをする以前からそれが彼の中にあるのだと仮定していいと思います。
 彼は、相手がどんな「権威」であるかを知ろうとしています。Q&Aは、結局、彼に対して、「私はこんな権威を有していますよ」ということを回答者が紹介するだけとなるわけです。彼にとっても、ただそれだけの場になってしまいかねないのです。当然、これは彼に何ももたらさないことでしょうし、非「治療的」な行為でしかないのです。
 彼は、おそらくそれが自分の中にあるものだということに気づいていないことでしょう。それがどんな権威であるかを外側に探索している限り、彼は彼の内面にある「権威」に触れることはないでしょう。彼は延々とこの問いを至る所に発し続けなければいられなくなると私は思います。Q&Aは彼のこの停滞を助長するだけなのです。私はそのように考えています。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)