<Q019>うまく話せるかどうか

<Q019>「うまく話せるか自信がない」

<状況と背景>
 主に初回面接の開始の場面で耳にする言葉であります。最初にそのように「上手く話せるかどうか自信がない」というように弁解されてから、話し始めるわけです。
 中には、毎回、こういう弁解を最初にされてから話し始めるという人もおられるのですが、いささか「神経症的」なやり方なのです。

<A>
 この訴えはクライアントの抱えている不安や恐れ、抵抗感の表れなのですが、ここではそれを額面通りに取り上げ、考えてみます。
 ところで、私がお会いしたクライアントで、自身のことを上手に的確に話された方というのは皆無なのです。もし、その人が適切に自己表現できているのであれば、その人はクライアントにはなっていなかったはずなのです。ほとんどすべてのクライアントが、程度の差こそあれ、うまく話せないでいるのです。なぜそうなのかということは、「補足と説明」にて述べます。
 最初は上手く話せないのが当たり前なのであって、クライアントはカウンセリングを重ねるに従って、より適切に自己を表現できるようになる、つまり上手く話せるようになっていくものなのです。
 従って、上手く話せるかどうか自信がないとおっしゃられる方がおられるとすれば、その方に対する私の答えは、「皆さん初めはそうなのです」ということになるのです。
 私がクライアントの方々に求めるのは、「上手く話そうとか考えないで、友達に話すような感じで話して下さい」ということなのです。私はこれを初回面接時にはっきり伝えるようにしています。そして、そんな風に話してくれる方が、その人のより自然な姿が感じられるのです。そのことがとても大事なのです。上手に話すかどうかということはほとんど問題ではなくて、その人が自然に自分自身でいられるということが大切なのです。

<補足と説明>
 なぜクライアントは適切に自己を語ることが下手であり、困難なのかというと、私の考えでは以下の四つの理由があると思います。
 一つ目は、クライアントが言語的交流の乏しい環境で生きてこられたという背景によるものです。
 クライアントと対話していると、その人の家族がその人にどのように接して来られたのかということが推測できることもよくあります。このように弁明される方の多くは、家族内において、会話が不足していたか、不適切な会話をしてきたか、そのどちらかの環境を生きてこられているのです。
 このようなクライアントがカウンセリングを受けるとなると、まず「わたしが話すのですか」とか「話してもいいんですか」といった戸惑いを表現されるものなのです。戸惑いながら話されるので、当人としては上手く話せていないという感じが残るかもしれません。でも、多くの場合、当人が思っているほどうまく話せていないというわけではないのです。当人が思っている以上に、多くのことが私には伝わっているのです。
 クライアントが上手く話せないということの二つ目の理由は、クライアントのその時の状態によるものです。
 クライアントはしばしばカウンセリングを受けに来る時には、事態に圧倒され、幾分混乱されていることもあります。混乱している状態で語るのですから、その語りも影響を受けて混乱するものなのです。
 また、「退行」しているクライアントもあります。「退行」している状態だと、その表現も「退行」的になるものです。
 話すことや語ることというのは、その人の状態と密接に関係するもので、その人の状態がその人の語る事柄や語り方に影響するものなのです。
 分かりやすく言えば、心理的に不安定な人の言語表現が不安定なものであったとしても何も不思議なことではないということなのです。その時、語る当人にしてみれば、上手く話せていないという感じがしているかもしれません。でも、それはその人の状態がそうさせているのであって、必ずしも言語的に交流できないとか、表現技術が備わっていないとか、そういうことを意味するわけではないのです。
 三つ目の理由は、クライアントが自分の言語表現を下手だと信じている場合です。相手にきちんと聴いてもらえない場合、自分の言語表現が拙かったからだと信じる人も少なからずおられます。そうして、その人は自分の語る事柄を当てにできなくなっている、信用できなくなってしまっているのです。
 また、強迫的な傾向がある人にもそれがあるのを私は感じます。そういう人は上手く話そうとして、事細かに話して、何度も挿入句を挟んだり、時間系列順に話さなくてはと何度も最初に戻ったり、九割までは言いたいことが言えているのに後の一割が意に沿わないので初めからやりなおしたりとか、そういうことをされるのです。完全主義的に語ろうとされるわけです。しかし、当人が完全主義的になればなるほど、却って相手に伝わっていないという感じが生まれてくるのです。この感じが残るために、自分は言語表現が下手だと信じてしまったりするのです。私にもその傾向があるので、これはよく理解できるのです。
 四つ目の理由としては、クライアントが自分の話を聴いてもらえると信じていない場合であります。なぜその人がそうなったのかという背景はここでは問わないことにします。
 この場合、その人は自分の話を非常に小出しにして語るもので、常に何かを隠したり、何か抑制的な力を感じながら話されるのです。そのため、相手に伝わりにくい話し方になってしまうのです。恐らく、話し終えても、上手く話せたという感じはしないでしょうし、十分に聴いてもらったとも思えないでしょう。場合によっては、上手く隠し通せたというところに安心感を抱いておられるかもしれません。

 以上のことを踏まえて、私たちは多かれ少なかれ表現下手なのです。私も自分で下手だと思うことがしょっちゅうあります。でも、不思議なもので、表現下手どうしの二人ですが、下手なりに交流していくと、いろんなものをお互いに伝え合っており、了解し合っていることもあるものなのです。
 たいていのコミュニケーションというのはそんなものだと私は考えています。本当にコミュニケーションの上手な人なんて、専門家でもそれほど多くないものです。もちろん、私も自分では上手だとは思っていないのです。専門家以外の方になると、本当に上手な人は一層少ないだろうと思います。それでも、人はコミュニケーションを普通に行うことができるのです。ほとんどの場面では、それで通用するものだと私は考えています。
 上手に自己表現できなくても、口下手であっても、コミュニケーションが上手でなくても、一応、通常の人間関係は築けるものであります。問題となるのは、それらが上手か下手かなのではなくて、そのコミュニケーションに持ち込まれるものによって決まるのだと思います。つまり、「悪いコミュニケ―ション」があるのではなくて、そのコミュニケーションに悪いものが持ち込まれるところにコミュニケーションの障害が生まれるのだと私は考えています。

 さて、クライアントが「自分は上手く話せるかどうか自身がない」という気持ちを持たれたとしても、それは別に悪いことでもなんでもないのです。彼は本当に口下手であるかもしれませんが、交流ができないというわけではないと私は考えています。それに、本当に上手く話せなかったとしても、それはその人の歴史や状態が関係していることであり、そのままその人の能力に還元するわけにはいかないのです。
 しかしながら、このような表現に出会っていつも私が思うのは、「上手く話せるかどうか自信がない。それでも私の話を聴いてくれますか」という後半の部分を聴けないのが残念だということです。前半部分を表現する人は多いのですが、後半部分を表明する人に私は出会ったことがないのです。本音を言えば、その人からこの後半部分の言葉を聴きたかったと、いつもそう思うのです。

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)